第14話

 ルアンの家に宿泊して、翌日。

 現実空間に戻ってきた俺たちは、高層ビルの屋上に立っていた。

 母愛用の品を鳥に変化させ、帰巣本能を使って母の現在地に向かわせる。

 それならば高い場所で実行して、後を追いかけたほうが見逃さないだろうと、空を一望できる高さまでやってきた。


「それでは、私に手渡してください」


 能力発動条件を満たすため、俺はルアンの手のひらの上にポケットティッシュケースを乗せる。

 自分も同意したこととはいえ、思い出の品を一つ失うという現実はやはり物悲しい。そんな想いを噛み締め、せめて記憶に残そうとジッと母愛用の品を見つめた。


「鳥になったら持ち主の所に飛んでいくはずなので、見失わないように追いかけてください」


 ルアンから最後の注意事項を聞き、俺は無言で頷く。

 俺自身は身体能力のみでビルの屋上を跳び越えていくことができるが、ルアンの身体能力では無理。なので事前に、落ち葉を身体能力向上を付加したシルバーの腕輪に変えて身につけている。

 これで建物の屋根や屋上を、二人で飛び移りながら移動することが可能だ。


「いきます」


 ポケットティッシュケースを天に掲げ、ルアンは静かに目を閉じる。

 本来そんな儀式めいた動作は必要ない。しかし祈るような姿は、上手くいって欲しいというルアンの願いが込められているように見えた。


「羽ばたいて」


 目を薄く開いたルアンが呟くと、手のひらに収まっていた赤い布がフワリと浮かび。淡い光を放ったかと思うと、赤い鳩となってルアンの周囲を飛び回り始めた。


「持ち主の所に案内してください」


 ルアンがお願いすると、鳩は彼女の正面を旋回し、一直線に西の方角へと移動を始めた。


「見失わないように続こう」


 期待感を抑え切れずに先行する俺の瞳に、ルアンの微かな笑み映る。

 能力で作られた鳩だからか、高速道路を走る車より速いスピードで飛んでいく。その背を見失わないよう、俺たちは鳩と一定の距離を保ちながらビルの上を駆け、ビルの縁を蹴り上げ次のビルへと跳び続けた。


「上手くいきそうですね」


 明確にどこかを目指している鳩に、ルアンは期待感を胸に膨らませる。

 俺の母が地球上のどこにも存在していなければ、帰るべき場所がない鳩は何もせずに時間経過で消滅していたはずだ。そうならず、真っ直ぐに羽ばたき続けている姿は、否応なしに俺の胸も高鳴らせた。しかし、


「この方角は……」


 見覚えのある土地に近づいていく気配に、俺の顔色は曇る。

 帰巣本能のある鳩は母のもとに飛んでいくと思っていたが、帰巣本能は住み慣れた我が家に帰還するための能力だ。

 つまり、母の現在いる場所ではなく、実家に向かっているのではないかと、俺は一抹の不安を覚え始めていた。


「鳩が降下していきますよ」


 目的地が近いのか、スピードを緩めて徐々に高度を下げていく鳩に、ルアンは声を弾ませる。

 一方、子供の頃はもちろん、召喚獣として降臨した後に何度も見た景色が近づき、俺は表情を強張らせた。


「あっ、あそこに下りていくみたいですよ」


 ルアンが指差した先、倒壊した一軒家に向かっていく鳩に、俺は落胆の色を濃厚にする。


「ここは?」


 明らかに誰も住んでいない、そもそも住むことができなくなっている住宅に、ルアンは困惑ぎみにパートナーの顔を振り返った。


「……俺が人間だった頃の実家だ」


 その一言が意味することを察し、ルアンの表情が一気に曇る。

 帰巣本能を利用すれば、俺の母のもとへ向かってくれる。そう信じて提案し、実行したことが実を結ばず、ルアンは申し訳なさそうに目を伏せた。


「鳩が飛んでいく方向から、予想はできていた。ルアンが気にすることはない」


 期待通りに物事が運ばず、母愛用の品も失ったが後悔はない。

 あくまで可能性に賭けて、賭けに負けただけ。人生には勝ちもあれば負けもある。負けたなら、それを次に活かせばいい。

 長居をすれば思い出がいくつも蘇ってここから動けなくなると、俺は悲壮感を断ち切ろうと残骸だけの実家に背を向け。


「待ってください。鳩がまだどこかに行こうとしています」


 ルアンの制止の呼びかけに、踏み出そうとしていた足を止めて振り返った。

 その視線の先、ピョンピョンと飛び跳ねながら瓦礫を上を移動し、赤い鳩は裏手に回って姿が見えなくなった。


「まさか……」


 頭をよぎった予感に従い、俺は急ぎ瓦礫の裏手に足を運ぶ。

 するとそこには、細い腕で小さな瓦礫を拾っては除けている、白髪混じりの背の低い女性がいた。


「ん? どちら様ですか?」


 こちらの存在に気づき、女性は作業する手を止めて腰を上げる。

 やせ細った体に、淡いピンクの上下パーカー姿。ここで作業をするために居たと思われる女性との対面に、俺とルアンは声も出せず、見つめ返すことしかできなかった。


「あら、赤い鳥なんて初めて見たわ」


 間近まで跳ねながら寄ってきた鳩に、女性は物珍しいものを見たように興味を示し。


「えっ? 消えた?」


 自身の足に触れた瞬間、消滅した鳩に驚き、わずかに後ずさった。

 帰巣本能を持つ鳩は、どんなに離れた場所に来ても、自分の巣へと戻る。

 役目を終えて自然解除された能力は、俺たちに答えを示していた。


「かあ……さん」


 一連の流れと、かつて毎日聞いていた優しい声音に、俺の心臓はドクンッと脈打つ。


「──っ!? ……まさか……優希?」


 人間だった頃の名前──ユウキと呼ばれた瞬間、目の前にいる女性が自分の母親だと確信し、俺は無意識に近づいていた。


「母さん……生きていてくれた……本当に良かった……」


 俺は長い時間と想いを埋めるように、すっかり小さくなった母の身体を抱きしめる。

 どんなに捜しても見つからず、もう二度と会えないかもしれないと思っていた。

 でも今この瞬間、体の温もりが伝わり、そっと抱きしめ返してくれた腕に、俺は母の愛を感じた。


「優希、こんなに大きくなって……また会えるなんて思わなかったわ」


 母の言葉に、今まで塞き止めていた思いが溢れて、涙が頬を一筋流れた俺の頭を、母は優しく撫でてくれる。

 見た目も声も完全に別人なのに、自分の息子だとすぐに信じて受け入れてくれた。

 どんなに変化していても、どんなに時間が経っていても、母は母なんだと、嬉しさが止めどなく溢れた。


「召喚獣になって日本に来てから、ずっと捜してたんだ。実家も周辺もたくさん回ったのに、今までどこにいたんだよ」


 すっかり子供時代に戻っている俺に、母は身体をそっと離し、息子の口調に懐かしさを覚えるように微笑んだ。


「魔物が現れたとき、家が壊されちゃってね。避難所には行かずに、隣の県にいる親戚の家に向かったのよ。今は一緒に住まわせて貰ってるわ」


 親戚がいること自体が初耳だった俺は、驚愕の事実に唖然とする。

 災害があったときに親戚を頼るということはある。しかし、親戚の存在を知らなかったせいで、隣県に行くという発想が浮かばなかった。


「でも、なんで壊れた実家にいるんだよ?」


 住むことのできない家に来ても、片付け以外にすることはない。

 現に母は片付け作業をしていたようだが、人間一人で行うには時間も手間も膨大にかかる。その理由を知りたくて、俺が興味を持って問いかけると。


「優希との思い出の品を集めたくてね。人様に迷惑をかけるわけにもいかないから、時間を見つけては一人で実家に来て、撤去作業をしてたのよ」


 それが俺のことを思ってのことだと聞かされ、涙腺が崩壊しそうになるのを堪えるのに必死にさせられた。

 どれだけ月日が経っても、自分が母の子であるという実感に、胸がマグマのように熱くなる。

 しかし、泣きじゃくっていては伝えたいことが伝えられないと、自分を奮い立たせて口を開いた。


「俺のことをずっと思ってくれてありがとう。召喚獣になって見た目は変わっちゃったけど、俺はいつまでも母さんの息子だから」

「ああ……優希……優希……」


 俺の言葉に、母は泣き崩れるように腰に抱き着いてきた。

 息子が若いうちに先立ち、十二年も一人で生きてきた孤独と想い。

 その重みを一身に受け、言葉を失って涙する母を優しく抱きしめた。

 もう二度と、母を置いて消えはしないと誓って。


「……優希はこれからどうするの?」


 少し落ち着いたのか、母は俺の今後を憂いる。


「魔物がまだ残っているし、俺たち召喚獣が召喚できなくなって、困っている人が世界中にたくさんいる。だから俺が獣王になって再契約して、世界中の人を救いたいんだ」


 人間であれば国のトップに立つと宣言するような目標に、もしかしたら反対されるかと思ったが。


「優希はやっぱり、私が名前に込めた通りのままね」


 母は俺の人間名を噛み締めながら、俺の胸にそっと手を置いた。


「誰よりも優しく、他人の希望となる人になって欲しい。そう願って付けた名前なの」

「そんな意味があったんだ。俺、自分の名前好きだったけど、意味までは聞いたことなかったな」


 自分の名の由来を知り、召喚獣になっても母にも望まれる生き方をしようとしていたことに誇りを感じた。


「優希は優希が思うように生きなさい。あなたがやりたいことはきっと、他の人だけじゃなく、あなた自身も幸せになることだから」


 母は俺の手を取って優しく包む。その手から伝わってくる温もりに、ルアンだけでなく、母という味方もいることに、強い自信を与えられ、信念がより強固になった。


「俺、母さんの子供に生まれて良かった。何も返せずに、先に死んじゃってごめんね」

「そんなこと言わないで。優希には、たくさん思い出を貰ってるんだから。それに、見た目は変わったけど、こうしてまた会うことができたんだから、私はそれだけで幸せよ」


 懺悔するように後悔を口にした俺に、母は首を振って手をギュッと握ってくれた。

 本来ならば再会することは永遠に叶わず、思いを届けることすらできないはずだった。

 互いに言わなかったこと、言えなかったことが口にして伝えられただけでも、俺は召喚獣になれて心底良かったと思えた。

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