第7話
「身体能力に自信があるみたいだね。けど、ごり押しじゃクリアはできないよ」
女店主はニヤリと挑戦的に笑い、新しいポイを差し出してくる。
能力交換ができる固有能力という特性上、戦闘に向かない能力を保持しているときでもある程度対処できるよう、力だけでなく技術や身体能力も磨いてきた。
金魚たちからの攻撃を躱しつつ、防御力特化の金魚だけを的確に捕獲していけるはず。
俺はもっと本腰を入れようと羽織りを地面に下ろし、着物の片側を脱いで右の腕と肩を出すと、鍛えた筋肉を晒しながらポイを受け取った。
「シャノバさん、が、頑張ってください」
背後からルアンの応援する声が聞こえる。
少し気恥ずかしそうな声音だった気がしたが、今は集中力が必要なので振り返らず。
〈アナライズ〉で再び水面を見据えると、先程の力技による激流に怒りをあらわにするように、金魚たちが殺気立ってこちらを睨みつけているように見えた。
外見は可愛げがあるが、無数の金魚が見つめ返しているという異様な光景。
人間なら怖くなって逃げ出すほどの威圧感だが、俺は逆に睨み返す意気込みでポイを構えた。
「素早く、かつ丁寧に。力ではなく技術で敵を討ち取る」
力んで失敗しないように自分に言い聞かせ、防御力特化の金魚の動きを凝視する。
そして相手に攻撃されても避けられるギリギリの距離を保ちながら、背を追うようにポイを水面近くで水平移動させ。
悠々と泳ぎ、仲間の間に見え隠れする個体に狙いを澄まし、背後から紙面を近づける。
慌てず、慎重に、ゆっくりと。
ターゲットを尾行する探偵の意識で、相手に気づかれぬよう気配を殺しながら、徐々に距離感を詰めて。
あと少し……残り十センチ……
ポイを水面下に差し入れたい衝動を抑え、獲物を仕留める獣になって。
絶対に相手を逃さないと決意を固め、すくわれたことにすら気づかない、スピードだけを重視した一撃を。
積み重ねてきた技術の粋をすべて注ぎ込む一心で、俺は相手の様子をうかがい。
──ここだっ!
ターゲットとの距離、群れから充分に離れた状況。
召喚獣として積み上げた経験と勘をもって、この瞬間こそ最高のタイミングだと、ポイを持つ指先に意識を集中した瞬間。
「なっ!?」
水面にポイを入れようとした地点の真下から、俺の目でも捉え切れない速さで、別の金魚が紙面に向かって水中から突撃してきた。
まさか水中ではなく水上で攻撃されるとは思っておらず、俺は不意打ちに思わず声を漏らす。
しかし召喚獣の本能がそうさせたのか、無意識にポイを持つ手を捻り、紙面を横から縦にしたお陰で紙は破れずに済んだ。
「こいっ──」
想定外の横槍に文句をつけようと、真上に飛んでいく金魚を睨もうとした寸前。
水面に垂直に立てていたポイに対し、さらに別の金魚が輪を潜るライオンのように真横から飛び込み、紙面に体当たりをしてぶち破っていった。
「しまった!」
意識を一瞬逸らしたせいで、他の金魚への意識が疎かになった失策。
〈アナライズ〉で見ると、最初にポイを狙ってきたのは俊敏力の高い固体で、紙面を破ったのは攻撃力の高い個体だった。
役割を分担した金魚たちが連携プレーをしたとしか思えない所業に、俺はギリリと歯を噛んだ。
「油断大敵。金魚すくいは挑戦者と金魚たちの戦場だからね。水中はもちろん、水上にポイがあっても気を抜いちゃ駄目だよ」
悔しがる俺とは対照的に、女店主はいかにも楽しそうだ。
二本目のポイも紙面のど真ん中に穴を開けられ、金魚をすくうことはできなさそうだ。
残りはあと一本。たった一匹しか金魚を確保できていない状態で、他の金魚の妨害を避けつつ、ここから追加で四匹ゲットするのは至難の業だ。
心なしか金魚たちまでほくそ笑んでいるように見えるのは、俺の心理状態を表しているのだろうか。しかし本当にそう見えてしまうほど、俺の内心は複雑な渦を描いていた。
「シャノバさん、大丈夫ですか? 何かお手伝いしましょうか?」
後ろで見守っていたルアンが、たまらず声をかけてくる。
一人で挑戦すると意気込んでいたものの、苦戦している様子を見兼ねたのだろう。
「いや、時間制限があるわけじゃない。もう少し考えさせてくれ」
どうしても一人で達成不可能ならば、ルアンに限らず、他人の手を借りる心づもりはある。
だがなぜか、まだ一人でも突破できる気がする。
確信はないが、そんな野生の勘のようなものを信じ、俺は水槽と金魚たちを穴が開くほど見つめた。
「紙が破れたポイでは、もう金魚はすくえませんね」
「柄や輪っかだけ残っても金魚が乗せられないからね。金魚をすくえるのは最後の一本だけだよ」
ルアンの一言を合図に、女店主が最後のポイを差し出してくる。
そのポイをまだ受け取らず、俺は紙の破れた二本目のポイを眺めてみた。
二人の言うとおり、紙のないポイはただの柄の付いた輪っかだ。金魚をすくう道具としての役目はとっくに終えている。
一方、金魚たちは勝ち誇るように悠々と水槽の中を泳いでいて、どれもが元気にピンピンとした様子で……
「ん? これは?」
ポイと金魚を交互に眺めていたとき、ふとあることに気づく。
最初は防御力特化の個体を見つけるため、〈アナライズ〉で防御力にフォーカスしていた。
しかし今は、どこかに突破口がないか、すべての金魚のステータスを細かく見ていて。
視線の先で泳ぎ回る金魚たち、それぞれの能力値を何度も何度も見比べて……俺は確信を得た。
「ルアン、ちょっと危ないことになるから、また下がってて貰えるか?」
「……? わかりました」
不可思議そうにしながらも、理由を聞かず素直に水槽から距離を取るルアンを横目に、俺は女店主の顔を見た。
「ほら、最後のポイだよ」
「いや、それもちょっと待ってくれ」
柄のこちらに向けて突き出してくる女店主に、俺は手のひらを向けて制止した。
「そのポイじゃ、もう金魚はすくえないよ?」
腕を引っ込め、変人を見るように眉を歪める女店主。
「わかってる。でも〝すくうこと以外には使える〟だろ?」
「ん? どういうことだい?」
意味がわからないと言いたげな女店主に、俺は返答を行動で示そうと、紙面の破れたポイを右手で高く掲げ。
悠々自適に過ごす人間のように、ゆったりと泳いでいる金魚たちに狙いを定めると、召喚獣の筋力でポイを水中に叩きつけた。
「なにをっ!?」
目の前で始まった男の暴走に、女店主は目を見開いて恐れるように仰け反る。
先程の光景を再現した水槽から上がる噴水に、背後のルアンからも「えっ」という声が聞こえ。
二人の驚きと困惑を他所に、俺は水の噴き上げが収まる前。水槽に水がドボンッと落ちてきた瞬間に、さらにポイの一撃を叩き込む。
激しく何度も上昇しては、見えない壁に当たって四方にバウンドを繰り返す水と金魚たち。
何度も噴水のごとく打ち上がって、滝のように落ちるモダンアートと化した水と金魚。
大衆がいれば曲芸として拍手喝采を貰えるか、金魚が可哀想と抗議を受けるかしそうだが、あいにく二人の観客は唖然としているだけだった。
龍が天に昇るような荒々しさで、暴れた水が大きく波打ちながら水槽へと落ちる。
もう水の中に金魚がいるのか、金魚の中に水があるのか。わからなくなるまで繰り返すことジャスト十回。
ポイを打ちつけるのを止め、水槽に派手に落水し、金魚水と化した水の中で、ほとんどの金魚たちがプカァと水面に横倒しに浮かんでいく。
「……まさか、ポイで金魚たちにダメージを与えて、自分に有利にするとはね」
現実の生き物ではなく、マナによって作り出された金魚が次々と透明になって消えていく中、女店主が苦笑いをしながら俺の顔を見つめた。
「シャノバさん、どうしたこんなことを?」
現場が落ち着いたのを確認し、ルアンが再び近づいてくる。
そちらには視線を向けず、俺は不敵な笑みをたたえ女店主の瞳を見つめ返しながら言った。
「さっき、金魚たちのステータスを見たときに、生命力が減っている個体がたくさんいることに気づいたんだ」
一本目のポイで勢いよく金魚をすくった衝撃と、噴き上がった水の水流でダメージを受けたのだろう。
見た目には変化がなかったものの、ほとんどの金魚の生命力が大幅に減少しているのを〈アナライズ〉使用で気づいた。
「攻撃力、俊敏力、防御力。それぞれに特化した個体がいるが、〝防御力特化の個体だけ〟が生命力の減りが異様に少なかった」
防御力特化だけあり、攻撃に対して耐久性が高い。つまり、何度攻撃を加えても生き残る可能性が非常に高いことを示唆していた。
「だから、ポイを武器として何度も水に攻撃を加えて、防御力特化の個体以外を排除したという流れだ」
攻撃力や俊敏力に特化した個体さえ排除してしまえば、残るは紙面が強化されたポイを破る力を持っていない防御力特化の個体だけ。そうなれば、他の金魚に邪魔されず防御力特化の金魚だけを悠々とすくえる。
荒療治にも似た行動によって、金魚たちが死滅してしまうのであれば使えない戦略だが、すべてマナで生み出されたアバターで、生命力がゼロになってもただ消えるだけなので実行できた。
見立てどおりに事が運び、残り四匹だけとなった水槽に、俺は口角を上げて不敵な笑みをたたえた。
「まったく、無茶する客がいたもんだよ……」
「でも、ルール違反はしてないだろ?」
「……ほら、最後のポイだよ」
問題ないはずだとの俺の主張に答える代わりに、女店主は三本目のポイを差し出してきた。
あとは力加減を間違えないようにだけ注意しながらすくうだけと、俺は残った金魚を丁寧にポイに乗せていく。
そして最後の一匹を華麗にすくいあげると、金魚は空中に高く飛び上がり、花火が散るように消えていった。
「ははっ、完敗だよ。あんたの勝ちさ」
降参を表すように女店主は両手を挙げる。
水槽の中には水しか残らず、無数に泳いでいた金魚はすべて消え去った。
金魚を五匹以上ポイですくうという条件もクリアし、これ以上ないと言えるほど完膚なきまでに打ちのめす。完全攻略の達成感に、俺は立ち上がり顔を綻ばせた。
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