第22話:『相沢美鈴』だったから
満腹はいつだって人を幸せにしてくれる。
例え病気だったとしても、気分は軽くなるものだ。
腹8分目までとは言わなくても、そこそこに満腹感を得たわたしは尊花さんが買ってきたお薬を飲んで眠くなる。
知ってましたか? お腹に物が入ると、血糖値が上がって眠くなるのは人体の仕様なんです! なので牛になろうが何しようが、横になるのは仕方ないことなわけでして。
うつらうつらと眠気を噛み締めながら、自分の部屋に入る。尊花さんと入る。
そこで気づいた。『相沢美鈴』という部屋の全貌を!
「あっ……」
「どうしたの?」
「いや、その…………」
部屋はなるべく綺麗にしている。
が! それとこれとはまた別!
机の上にある『相沢美鈴』のDVD! CD! それから諸々の著作物!
さらに姿見、は置いておくとして、その奥にあるアイドルの衣装!
やらかした。わたしが元アイドルということがバレてしまったわけだ。
濁した言葉と視線で察したのか、尊花さんは慌てて否定した。
「だ、大丈夫だよ! 人の部屋を荒らす趣味とかないから!」
「見たんですね」
「あぁ……。はい」
死にたい。あ、1回死んでたわ。
転生ジョークはこの辺にして、さっきとは違い気まずそうに部屋のドアを閉める尊花さん。かわいいけど、申し訳なさすぎる。
いつだって人の過去に触れるのは勇気がいる。半ば事故だったとはいえ、よりにもよって尊花さんに元アイドルであることがバレてしまうとは。
相沢美鈴と市川尊花はゲームの頃からすごく仲が良かった。
今もその関係自体は変わらないけれど、ゲームの美鈴はもっとアイドルであることを大っぴらにしていた。
一方わたしは隠したがった。その差は歴然なわけでして。
「あの、お茶でもお入れしますか?」
「ううん。病人に働かせるのは嫌だから」
だいぶ楽になったんだけどなぁ。と心の中で呟く。
なんというか、気まずい。尊花さん、今にも帰りたいのかもしれない。
それらしい理由をつけて帰らせるか。その方がいい。見なかったことにしてもらうしかない。
「えっと。学校、休んだんですか?」
「うん。あの状態の美鈴ちゃんをおいていけなかったし」
「……今からでも、学校行った方がいいんじゃないですか? ほら、委員長の仕事とかもあるし、わたしはあと寝てたら治ると思うし!」
捲くし立てるように、言い訳を無理矢理通すように。
必死に口走ったことは全部正当性のあるものだ。尊花さんが負い目を背負わないように、あくまでもう大丈夫というライン決め。
これ以上は近づかないでほしくないという表れかも。そう考えるだけでちょっと心が痛む。
彼女はそんなわたしをじっと見つめて。それから……。
「嫌だ」
と、否定の言葉が出してきた。
「え?」
「今日は美鈴ちゃんのそばにいる!」
語尾を強めて、それ以上の意見を聞かないの一点張り。
この姿にわたしも少しイラつく。体調悪かったからなのもあるけど、単純にわたしの好意が無下にされた気分だったから。
「でも……」
「でももだってもない! 病人はお静かに!」
「わっ!」
だが、陰キャにそれ以上の強さはないわけで。
ベッドにチカラなく押し倒されたわたしは、そのまま布団をかけられて完全な睡眠態勢。
尊花さんも正座で待機。なんというチカラ技。
「でも……。申し訳ないです。みんなの尊花さんを独り占めするとか……。わたし死んじゃう」
「美鈴ちゃんって時々死にたがるよね……。でもダメです! 今日は美鈴ちゃんの尊花さんです」
ひぅっ!
なんだその殺し文句。わたしを殺すつもりか?!
「でも……」
「これ以上のでもは受け付けませーん!」
「尊花さん!」
「大丈夫だよ!」
身を乗り出そうとしたわたしを抑えてベッドに沈める。
尊花さんの顔は、まさしく眠りへいざなう天使の微笑みそのものだった。
「私がちゃんといるから!」
「…………はい」
消えるような声で呟いたわたしは、そのまま目を閉じた。
彼女は、よろしい。と口にしてから手を握ってくれた。
感じるのは時計の針が動く音と、心臓の鼓動。それから尊花さんのぬくもり。
思えば最初からずっと、貰ってばかりだ。
文字通り右も左も分からない1年間を過ごした。
不安と恐怖を無理やり押し殺してやってきた学校も、途中で力尽きようしていた。
でも、彼女が。尊花さんが声をかけてくれたから、ここまでやってこれた。
わたしにとって前世とかそんなに関係なく、尊花さんは天使だった。
――だから。貰ってばかりだから。
「わたし、アイドルだったんです」
せめて、嘘はつきたくはなかった。隠し事はしたくなかった。
目を閉じてたから表情は分からなかったけど、彼女の指がピクリと反応したのを感じた。
「信じられませんよね、こんなこと。でも本当なんです」
時計の針だけが動く。
1秒が薄く、長く伸びていくような感覚。
罪人が罪を懺悔するように、わたしは口にしていた。
でも。彼女は、より強く結びついてきた。
「ごめん、実は知ってたんだ。ずっと前から」
「え?」
初耳の情報だった。
多分ファンディスクで語られることだったんだと思う。
そうか。始めから、尊花さんはわたしを美鈴だと思って近づいたんだ。
「黙ってるつもりはなかったんだけど、迷惑かなって思って」
尊花さんの優しさに触れた気がした。
でもその真実は、わたしの心にわずかな歪みを生み出す。
「……ありがとう、ございます。今後も、そうしてくれたら嬉しいです!」
――『わたし』じゃなくて、『相沢美鈴』だったから、なんだよね。
最推しに対して、失礼に値する考えを必死で拭う。
違う。わたしが求めている距離感は、ぜんぜん違う。もっと、離れたものじゃなきゃいけないのに。
「うん、そうする」
沈めなきゃいけない気持ちを必死で抑えつける。
大丈夫。わたしは、大丈夫。ただ瓶の中に入れて、水底に沈めるだけなんだから。
優しいぬくもりと、冷たい事実の間で、わたしは意識をどんどん混濁させる。
わたしは、この世界の誰でもない。そう、胸に刻みつけて。
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