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02 雲と」への応援コメント


  • 編集済

    北から南へ流れる風

    平将門はいくさの申し子でありながら勝利することができなかったのが何故だろうと思うのですが
    結局古今東西官軍には勝てぬということでしょうか

    それができたのが足利?



    作者からの返信

    北から南へと吹く風。

    平将門が勝てなかったのは諸説ありますが、官軍の方が地力があるし、組織力があるし、何より全国規模の朝廷というバックがあるところが大きかったと思います。

    ……足利さんはたしかに勝っちゃいましたけど(笑)、この人、北朝の天皇を背負ったりしてるから微妙です^^;

    ありがとうございました。

  • 「いくさの申し子」が「寂しそうな目をして」刀をふるう、という場面がいいですね!

    いくさに魅入られてしまっても、殺戮自体に喜びを見出すようになるのではなく、その「寂しさ」を根のところに持っている人になっている、という。
    以前にお書きになった×の○祖にも通じる「いくさの世を生きる者のさびしさ」のようなものを感じます。

    将門が名のった「新皇」号はなかなか謎だと思っています。京都を知っているならば、天皇が武力で天下を取るというイメージは違う、と思いそうなものですけど、本来は天下を武力で切り従えた者が「皇」であるべきだ、という理想があったのか。

    またよろしくお願いします。

    作者からの返信

    平将門って強さと優しさが混在するというか、同じ人格の中に併存しているイメージです。
    実際、戦えば負けなしだったんでしょうけど、だからといって、最初から覇王になるつもりはなくて……という矛盾した感じを表したかったのです^^;
    そのあたり、確かに朱重八さんも似たような哀愁を漂わせていたかもしれません。

    「新皇」は、言われてみると何でこう号したのか、というのは謎ですね……。
    拙作では、「国の中の国」として坂東を経営すべき、という構想を持っていた(乱暴に言うと「関東公方」ですね^^;)、という設定にしましたが。
    それで、「皇」と言い出した、という裏設定です。

    ありがとうございました。

  • 風が強く吹いている。
    追い風、旋風、仇の風に腥風。

    風に翻弄されて
    雲は流れる。
    北から南へ
    これから何処へ?


    作者からの返信

    平将門の巻き起こした旋風、あるいは強風は坂東を覆い、天下へと吹き付けるのか。
    しかし、誰よりも将門を知る、坂東を知る平貞盛は、その風の風向きがどうなるかが気になるようです。

    ありがとうございました。

  • いくさに魅入られている。確かに、将門のイメージです。

    風の使い方がとても詩的でいいですね。

    作者からの返信

    将門は強かった。
    だからこそ、新皇とまで成りおおせましたが、同時にその後の運命も引き寄せてしまったのではないか……と思うのです。

    風は、坂東に吹く風をイメージして書きました^^;

    ありがとうございました。

  • 北条早雲もそうなんですが、関東に入ると何で武力で関東を制圧して楽園を築きたがるのですかね…?

    作者からの返信

    やっぱりあの広大な関東平野を見ちゃうと、気が大きくなっちゃうんじゃないでしょうか(笑)
    平将門の場合だと、生まれ育った地元なだけに、特に^^;

    ありがとうございました。

  • 洋の東西を問わず、基本自力救済の世界ですからね。
    誰かの庇護下で無ければ生きていけず、庇護下の者をまとめて力にする世界。
    みんなヒャッハー。

    作者からの返信

    むかし観た教育テレビの「社会」で「武士の起こり」みたいなのをやっていて、開拓農民の若い衆が「弱いから米を盗られる。おれは武士になりたい」とか言って、老母の止めるのも聞かずに近くの武士のところへ行き、武士が「そうか」と言って、開拓農民の土地を取り上げて郎党としてしまう……そんなえぐい内容だったのを思い出します。
    そうすると、回遊魚みたいに、止まると死んでしまう……周囲を食い尽くしていくしかないと死んでしまう、となるのでしょうね。
    だからこそ、平良文と源宛みたいな希少な例が光るわけですが^^;

    ありがとうございました。

  • はじめは理想に燃えていたであろう将門も、厳しい現実の前に、結局「強くなくては」ならないと思い、強さを求めた。

    力がものを言う時代・地域であったとはいえ、将門がだんだんとすれていき、また貞盛ともすれ違っていく様は、哀しいですね。

    面白かったです!

    作者からの返信

    平将門は、坂東に楽土を築き上げようとしましたが、結局は武士の「業」みたいなのを見せつけられてしまったのではないでしょうか。
    しかもその「業」の深いところは、よりによって将門が武士として「強かった」というところだと思います。合戦においても。
    そうすると、「もう戦って言うことを聞かせるしかないや」とか考えちゃったんじゃないでしょうか。

    一方の平貞盛は、都で官人として出世して、「そういう方向」はやめておこうと考えていたのでは。
    しかし皮肉なことに、その貞盛が将門と戦い、やがて……となってしまうところが悲劇ですね。

    ありがとうございました!


  • 編集済

     こんにちは、御作を読みました。
     ああ、武士に秩序をもたらすために、武士になっちゃったか……。
     武士でないと武士をまとめられない(清盛死後、武士でなく貴族に戻ってしまった平家は、地方への介入能力を失っていった)から、正しい認識ではあるのですが、その真実は都の公家には受け入れ難いし、何なら平安国体制の危機ですからね。
     未来の承久の乱って、そういうことだろうし。
     でも、この時は藤原秀郷さんが貞盛さん側にいるんだなあ。
     面白かったです。

    作者からの返信

    結局のところ、強くなければ誰も従わない、という一面の真実を突きつけられてしまった……という感じです。
    当時の坂東、否、武士はもうケンカばっかりで……「今昔物語集」に平良文(将門の叔父)と源宛(渡辺綱の父)が隣同士で諍いを起こしたけど仲直りした、という話が残っているほど(つまりフツーはケンカばっかり)の世界です^^;

    藤原道長あたりは、そこら辺をうまく調整して、地方人事の名手であったがゆえに、名宰相となれたと思います。
    でも道長死後はそういうのができなくて院政になり、平氏政権になり……で、おっしゃるとおり承久の乱に……。
    執権北条家も「何でおれたちがこんな苦労を」とか思ってたんだろうなぁ……自業自得かもしれませんが(笑)

    秀郷さんは、実務面で貞盛を支えていたと思います。
    貞盛さんが頼んだんじゃないでしょうか。
    戦略戦術は貞盛が考えるから、あとは運用を秀郷さんに任せれば勝てるからとか言って。

    ありがとうございました。