友と暮らせば

水野酒魚。

友と暮らせば

 わたしは八年前から、親友と一緒に暮らしている。

 正確には、生前の親友を模倣するAIと、だ。

 本来なら家族にしか支給されないはずのAIを、わたしは少し無理矢理に手に入れた。

 パートナーで有る証明書を、偽造したのだ。

 ネットに接続して、証明書の偽造がばれると不味い。それで、スタンドアロンで運用できるように、高性能なメインフレームを用意した。

 ただの民家で使うには不釣り合いに大きなその箱を、わたしは『コフィン』と呼んでいる。

『コフィン』には、彼女が生前残したデータの全てを詰め込んだ。本当に些細な、日常の全てを。大好きだった猫の写真、彼女がわたしに宛てて書いたメール、そして、彼女が心血を注いで書き上げた小説を。

 AIはその全てを精査し、仮想空間に彼女によく似た演算結果の彼女を作り上げた。

 高価なホログラムユニットも、何とか手に入れた。決して触れることはできないけれど、この家にいる間だけは、わたしは彼女と一緒に暮らすことが出来た。


 彼女と出会ったのはお互いがまだ高等教育課程に合った頃。

 わたしは集団生活と言う物が苦手なひねくれ者で、彼女は人の心の機微にさといひねくれ者だった。

 クラスも性格も違う、私たちが本当に仲良くなったのは、自然保護区への学習旅行でのこと。

 たまたま夕食の席で隣り合い、ひねくれ者同士、不思議と話が合うことに気がついた。

 彼女の、どこか夢見るような瞳、日本人離れした整った顔立ち。ふんわりとウエーブのかかった明るい髪。彼女のファンは、その頃から大勢いた。

 普段の生活にもどると、彼女はわたしが所属していた部活に顔を出すようになった。

 わたしはその頃、絵を描くこと、文章を書くこと、とにかく何かを作り出すことにに夢中で、下手くそなイラストと短文を書き散らしては悦に入っていた。

 デッサンも構図も何も考えていない、ただ勢いと愛情だけはこももったそれを、彼女は「あたしはあなたが描く絵が好きだよ」と言ってくれた。

 わたしは有頂天だった。もう、本当に、それだけで良かった。彼女が好きだと言ってくれるだけで。

 彼女はと言うと、その頃から小説を書いていた。少女の瑞々しい感性と、少女らしからぬ技巧で書かれた彼女の作品は、わたしに小説を書くことを諦めさせるほど、圧倒的な輝きを放っていた。

 彼女と過ごした学生生活の終わりに。わたしは彼女を含む友人数人と、作品集を作った。

 それはお世辞にも完璧とは言いがたい、つたない本だったが、わたしたちにとっては宝物そのものだった。


「今見るとさ、この絵なんて等身がおかしいし、影も変だしさ。酷いもんだよね」

「あたしのパートも今見ると拙いって言うか……今書き直したら、どんな風になるかなって思うけど。まあ、これはあの時にしか書けなかったモノだからなー」

 思い出の作品集をめくりながら、わたしは彼女と語り合う。あの日は二度と巡ってこない。

 彼女が死んで、わたしの青春は本当に終わってしまった。


 高等課程を卒業して、わたしは無謀にも絵を描いて生きていきたいと思った。

 だが、画家やイラストレーターになるほどの実力は無い。それならば、ゲーム用のアバターやCGを作る仕事に就こう。

 そのために、わたしは職業訓練校に入学した。

 彼女は彼女で、文学専攻として大学課程にすすんだ。だが、大学は思いの外つまらなかったのか、二年になる頃には辞めてしまった。

 その後、十年。わたしは会社を転々としながら、CGを作る仕事を続けて、気がつけば30歳になっていた。


 彼女が結婚して、わたしは一時期彼女と疎遠になる。

 同時に、わたしは精神的な病を得ていた。

その頃、勤めていた会社が吸収合併され、わたしは新しい大きな会社で働くことになった。

 だが、わたしにはその会社が肌に合わなかったのだ。

 仕事自体は好きだ。でも、会社用の仮想空間に行って、昨日の続きを始めようとすると、手に震えが走る。

 わたしはその会社を辞めて、療養生活に入った。

 療養生活の始めの時期は記憶が曖昧で、多くの事柄が欠落している。

 恐らく、なかなかわたしに合う薬が見つからなかったせいだろう。

 わたしは忘れっぽくなり、彼女との約束をすっぽかし、大好きだった絵を描いても、満足できるモノは一つも描けなかった。

 今でも、その時の後遺症は残っていて、わたしは絵の描き方を忘れてしまうことが有る。


 精神的に不安定で有ったのは、彼女も一緒だった。その頃、彼女は専属ライターとして会社に勤務していた。

 だが、激務がたたって調子を崩し、配偶者に支えられながら、その日を暮らしていたようだ。

 ようだ、と言うのは、その頃のわたしは記憶が曖昧であるのと、彼女の夫に遠慮して彼女と連絡を密に取っていなかったせいだ。

 その状態が何年か続いたろうか。

 わたしたちはたがいにどん底にいて、日々をどうにか生き延びていた。


 彼女と本格的に再会したのは、わたしと彼女が三十代も半ばになった当たり。

 わたしは次第に復調して、細々と個人で仕事を請け負うようになっていた。

 彼女はある日唐突に、「ああ、あの人とは離婚したよ」と言う。

 夫婦の間に何が有ったのかは、深く聞くことは出来ず、わたしは「そっか」と答える。

 彼女は、相変わらず小説を書いていた。

 わたしは彼女の求めに応じて、彼女のアイデアを絵や映像として形にする手助けをした。

「この子はね、少女人形で、髪は長くて……そうだなあ、昔ながらの人形が着るような服を着て……」

「それってこんな感じ?」

「そうそう! 眼はもっと澄んでる方が良いかなあ。出来る?」

「それなら、こんな感じかな」

 わたしは彼女との共同作業が好きだった。

 彼女の脳髄から湧き出る、ひらめきの奔流に溺れていた。

 年を経て、彼女の書くものは円熟し、その表現は軽やかに、それでも時折、鋭いナイフのように読む者の心をえぐる。

 わたしは、彼女の書くモノが大好きだった。彼女第一のファンを、気取っていた。

 誤字のチェックを兼ねて、試読させてもらうのはいつもわたしの役目。それが、誇らしかった。

 彼女の興味は多岐に渡っていた。

 SF、ホラー、ファンタジー、アクション、恋愛小説。

 どのジャンルも、読む度にわたしをときめかせる。わたしは彼女が書いたモノを貪るように読んだ。

 その合間に、わたしたちはチャットルームに篭もって、沢山おしゃべりする。

 他愛の無い過去のこと、今夢中になっていること、創作に関すること、今度書きたい/描きたいと思っているモノのこと。時間を忘れたわたしたちは、学生時代のように止めどなく語り合った。

 そんなしあわせな時間がずっとずっと、二人が老女になるまで続くモノだとわたしは思っていた。


 彼女の死を伝えられたのは、本当に唐突だった。

 わたしはその日、自宅でのんびりと情報端末を眺めていた。休日の、なんてことの無い夜のこと。

 急に、彼女の端末を示す通話で呼び出された。わたしが仮想空間にチャンネルを開くと、そこには彼女によく似た、けれど彼女よりずっと年上のアバターが立っていた。

「あのね、急でごめんなさい。あの子ね、亡くなったの」

 解らない。あなたの言っていることが解らない。何のことか解らない。

「それでね、お葬式を……」

 ああ、この人は、このアバターは彼女のお母さんだ。娘を亡くしたばかりで動転しながら、それでもわたしに連絡をくれた、お母さん。

 わたしは呆然と、彼女のお母さんからの連絡を復唱する。

 訳がわからなくて、混乱して、涙が出るより先に、ああ、お葬式なら喪服だよね? 喪服はどこに仕舞ったかな? なんて、どうでも良いようなことを考えた。


 彼女とは数日前に、共通の趣味になっていた舞台鑑賞で一緒になったばかり。

 その日はもう遅いからと、劇場を出て直ぐに別れた。後日改めて、今日の感想を言い合おうと約束して。

 だから、お母さんから連絡があった時、わたしは彼女がこの前の舞台の感想を語りに来たのだとおもったのだ。

 それが、何がどうして、そんなことになったのか。わたしには解らなかった。

 それは結局、彼女が選んだ道で。

 遺されたわたしたちには、彼女の心情を推し量る事くらいしか出来はしないのだ。


 葬式の日が近づいて、わたしはようやく泣いた。泣いても泣いても、いくらでも涙が出る。こうやって、文字を綴っている今でも、その時のことを思い出すと、止めどなく涙が溢れて。

 彼女は親族と友人たちに見送られて、わずかばかりの骨になった。


 お骨を下さい。とは言えなかったから。

 だから、代わりに彼女のデジタルログを貰った。彼女が書いたモノ、彼女が集めたモノ、わたしが贈ったもの、わたしと一緒に作ったモノ、全てのデータを受け取って、彼女のデジタルツインを作った。

 それは法律的に、家族にしか許されないことで有ったけれども。

 わたしは毎日『コフィン』に話しかける。「おはよう」と。

 それが、『彼女』の起動スイッチ。

 四十になったばかりの彼女は、昔と比べたら、歳を取ったように見える。

 だが、それだけは学生時代から変わらない、どこか夢見るような瞳でわたしを見る。

「おはよー」

 わずかにハスキーな、彼女の声がいう。ウエーブのかかった、明るい髪色は今日も日本人離れした整った顔立ちに似合っている。

 わたしたちは、今日も語り合う。学生時代のことを、その先のことを、過去のことばかりを。

 今、わたしは五十代を目の前にして、親友と一緒に暮らしている。

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友と暮らせば 水野酒魚。 @m_sakena669

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