第十四話

 書店で購入した地図を睨みつつ、私たちはサザキが残した住所へと向かっていた。零音の車は駐車場に止めたまま、三人で夜刀の車に乗っている。

「……ねえ。思うんだけど、車のナビ使えないの?」

「データが消される可能性があるだろ。それに、ナビに介入されたらどこに案内されるかわからん」

 それは重々わかっていても、地図を読み取るのが面倒過ぎて投げたい。短時間で交差点や曲がり角を三度も間違っていて、遠回りをさせているのが心苦しい。

「えーっと、僕が変わろうか?」

 零音の申し出に有難く乗って地図を手渡すと、夜刀が口を引き結ぶ。

「どしたの?」

「……別に」

 夜刀が拗ねても零音のナビは的確以上で、私が回り道をさせた時間を簡単に取り戻した。

「凄いですね」

「この辺の道に慣れてるだけだよ。車の運転が趣味だから、あちこちナビ無しで走ってる。でも、疲れると戻る道を忘れちゃうから最後はナビに頼るんだけどね」

 目的地まであと三キロという所で、緊急車両のサイレンが響き渡った。夜刀は車を路肩へ寄せ、車両が通り過ぎるのを待つ。

「消防車……近くで火事かな? ……ちょ。まさかとは思うけど……」

 進行方向の先に広がる森の中、白い煙が上がっているのが見える。

「……そのまさか、だろうな。とりあえず近づける所まで近づく」

 目的地は森の中の一軒家。地図を頼りにしつつ、最寄りの時間貸駐車場に車を止めて歩く。

「あー、当たりだな」

 一軒家に向かう一本の道路は封鎖され、二台の消防車が消火活動をしているのが木々の間から見える。野次馬の中に高校生と思しき制服姿の学生がちらほらといるのは下校時間なのだろうか。

 近づく私たちとすれ違う三人の女子高生から、ぱしゃりと撮影音が聞こえた。火事の現場写真かと思ったのに、その手元に隠されているようで隠れていないスマホのレンズは零音へと向いていた。

「あれ? 写真なら隠し撮りじゃなく、撮りたいって言ってよ。一緒に撮る?」

 気づいた零音は怒ることもなく、女子高生たちに笑いかける。

「きゃーっ! 本物っ!?」

「嘘っ! マジで零音じゃん!」

「いつも動画見てます!」

 黄色い声のパワーはすさまじくて、夜刀と私は少々距離を取って眺めるだけ。零音は女子高生のスマホを借りてツーショット自撮りをし、サインまで応じていた。

「えーっと、知ってたら教えて欲しいんだけど、あの燃えてる家って誰が住んでたのかな?」

 盗撮されても怒らないのは情報を聞き出すためなのか。それにしても手馴れていると感じる。いつも同じような対応をしているのかも。

「あの家は、この辺で有名な迷惑ジジイが住んでいたんですよ」

「すごいお金持ちで全然人を信用してなくて誰にでも怒鳴り散らすし、敷地の周りにトゲトゲの針金とかクマ用の罠とか仕掛けてて、飼ってたドーベルマンが脱走しても謝らないし超迷惑でした」

「でも一年くらい前に突然姿が見えなくなったんです。犬の散歩にも出なくなって死んだかなって皆で噂してたら、毎日夜に人が来て、夜中とか早朝に帰っていくから、とうとう介護されるようになったのかなって」

 女子高生の話を聞いて、夜刀と視線を交わす。あの白骨AVが撮影されていたのはここで間違いなさそう。サザキのメモに残されていた時間は午後十一時三十分だった。

「夜に人が来るって、車で?」

「車の時もあるし、タクシーとかバイクの時もあるみたいです。いつもサングラスとかマスクして、こそこそしてるって見た人が言ってました」

 撮影内容を考えると、顔を隠したくなる理由もわかる気がする。知り合いにバレたら恥ずかしすぎて悲惨。

「えーっと、介護に来るのは同じ人なんだ?」

「それが違うみたいなんです。背が高かったり低かったり、太ってるとか痩せてるとか、見た人が言う特徴が全部違ってて、迷惑ジジイが毎日クビにしてるんじゃないかって皆言ってます」

 毎日行われているというライブ配信に、毎日違う男性が出演するのかとうんざりしてきた。悪霊に騙されているとしても、こんな辺鄙な所までわざわざやってくるのはどうかと思う。

「いろいろ教えてくれて助かったよ。ありがとう。これからもよろしく!」

 明るく笑う零音が女子高生と別れて、私たちの方へと戻ってきた。その表情は変わらず明るいまま。四六時中笑っているのは疲れないだろうか。

「さっきの話、聞こえた?」

「ああ。……で、その出演者と思しきヤツがさっきからうろついてる」

 夜刀の視線の五十メートル先、黒いTシャツに黒いジーンズ、サングラスとマスクという不審者スタイルの男性が消防と警察の立ち入り規制線をしきりに覗き込んでいる。隙があれば侵入しようとしている風にも見えた。

「まだ午後三時よ? 早過ぎだから違うんじゃない?」

「昼間のうちに下調べしておくつもりだったんじゃないか? ヤバいと思ったら逃げるつもりで……糸が付いてるな。確保した方がいいか……」

 夜刀が大きく溜息を吐いて歩きだし、零音も何気ない素振りで男へと近づいていく。男はしきりに火事の現場を覗き込んでいて、二人が背後から近づいていることに気が付いていなかった。

「お兄さん、僕たちにお話聞かせてくれないかな?」

 軽く明るい零音の呼びかけに、男は全身を大きく震わせて硬直した。くるりと振り向いて逃げようとした所を、左右から夜刀と零音に腕を取られる。

「はい、確保っと。あ、心配しなくていいよ。別に警察でも何でもないから」

「れ、零音っ!? まさか、これ、ニセ企画なのかっ?」

 男と知り合いなのかと思ったら違っていた。単に男が動画を見たことがあるだけと聞いて、先ほどの女子高生の件もあって零音の知名度の高さに内心驚く。

「僕の企画じゃないよ。立ち話もなんだから、向こうのファミレスで話そうか。約束の時間までまだ余裕はあるだろ? 絶対に動画撮ったりしないから安心していいよ」

 零音の言葉にがくりと肩を落とした男は、サングラスとマスクを取った。三十歳前後の割と整った顔立ちで、女性からモテそうな清潔感も漂わせていて意外。

 森に背を向けてファミレスまで歩き始めた時、耳元で鈴が鳴った。私と同時に、零音も振り向く。

 鬱蒼と茂る木々の中、白いワンピースの女性が現れて、そして消えた。

「どうした?」

「……今、鈴の音が聞こえた。……でも……」

 夜刀の問い掛けに答える零音が戸惑っているのがわかる。私も戸惑いを感じていた。

「白いワンピースの女性が現れて消えたんだけど……何か変っていうか……」

 良く似た別人。そんな風に感じた。森までは距離があるし、暗いからそう見えたのかも。

「……完全に逃げられたな。マジで痕跡消しやがった」

 目を閉じて何かを感じ取っていた夜刀が溜息を吐いた。


 午後二時過ぎのファミレスは意外と人が少なかった。営業マンと思しき男性が遅いランチを食べていたり、ハーブティ片手にノートパソコンで何か作業をしている女性、分厚い本を前にしてノートに何かを書いている男性くらいで、私たちは店内端の人気が全くないテーブルを陣取った。

「意外と人がいないんですね。この時間なら、お茶する人がいると思いました」

「えーっと、たぶん、向かいにチェーンの喫茶店があるからじゃないかな。価格帯も違うし」

 こそこそと小声で正面に座る零音と話す。壁際の四人掛けのテーブルで、男が逃げられないように奥に座らせて零音が隣に座り、男の前に夜刀、その隣が私。それぞれが飲み物を頼んだ。

「……で、俺の話を聞きたいっていうのは?」

 ラギとだけ名乗った男は、完全に不貞腐れたという表情でテーブルに頬杖をついた。

「実はサザキさんが行方不明になっててね。噂のライブ配信の件を調べてたそうなんだ」

「サザキって、都市伝説とか胡散臭い動画チャンネルやってるヤツか。あいつ行方不明なのか。へー……って、これ、やっぱヤバい話なのか?」

 途中で男は顔色を変えた。

「ヤバいかどうか調べてる最中なんだ。だから僕たちに協力してもらえると助かる。頼むよ」

 零音が両手を顔の前で合わせて拝むような仕草をすると、気を良くした男は話し始めた。

「ネットの一部で都市伝説とか言われてるのは、午前零時に始まるライブ配信なんだが……実は俺は一年くらい前から毎日見てる。見始めたきっかけは迷惑メールで、夜中に酔っぱらってた俺は間違ってリンク先へ飛んだ。そしたら……あーっと、その、だな……ヤバい内容の配信が映ってた」

 ラギは私が聞いていることに気を使ってか、言葉を選ぶ。

「その配信は数分で終わることもあれば、日の出直前までやってることもある。……出演する男によって時間が変わるんだよ。男の出演者は毎日変わって、俺が記憶してる限り同じ男が出てきたことはなかった。……それで……昨日の晩……配信が終わった後、当選したって文字が出て……次は俺の番だって画面に表示された。画面のリンク先に、さっき燃えてた家の住所と集合時間、あとは注意事項が書かれてた。配信内容や場所については絶対に外部に漏らすなっていうことと……同行者は男性二名まで可ってあったが、友達は仕事を急に休めないだろうし、俺は一人で参加することにして……車で来たら、あの通りだ」

 ラギは明らかに残念だと言わんばかりに溜息を吐く。

「そんなに出たかったのか?」

 夜刀の呆れた声に、ラギは苦笑する。

「ライブの内容は三人とも知ってるのか?」

「いや。具体的に知っているのは俺だけだ。零音と彼女は内容を知らないから、俺にだけわかるように話してくれればいい」

 夜刀はさらりと嘘を吐く。知らないのは白骨AVを見ていない零音だけのはず。

「そうか。それなら……出演者の女が……初恋の女にそっくりで、一度だけでも会いたいと思ってたんだ。流石に撮影場所が火事なら、今夜からライブ配信は無くなるだろうな」

 うわ、最低。そんな感想を抱いたことがバレないように、目の前のアイスコーヒーをストローですする。シロップを入れ忘れたコーヒーは苦くて、慌ててシロップを注ぐ。

「では、俺が知っていることを説明する。あのライブ配信に出ていた女は悪霊だ。出演すると祟り殺される」

「は? 祟り? 冗談キツイな」

 ラギは大きく目を開いて驚いた。そんな顔でも割と整っていて、女性にモテそうな気がするのにどうしてあんなAVもどきに参加したいと思うのだろうか。

「過去に出演した男が死んでる。毎日出演する男が変わるのは、それが理由だろうな。逃げても追いかけてくるらしい」

 何でもないことのように淡々と話す夜刀の前で、ラギの血の気が引いていくのがわかる。

「待ってくれ。……悪霊? まさか……彼女が言ってたのは本当だったのか?」

「彼女がいるのか? お前、最低だな」

 夜刀の指摘に同意して頷いてしまう。

「そ、その……彼女とは三日前に別れた。俺はライブ配信見始めてから、泊まりとか旅行に行けなくなって……デートの度に神社のお守りとかパワーストーンを彼女から渡されて、背後に悪い影がいるから気を付けろって……でも、家に帰るとお守りも石も消えてたから彼女の言葉もすぐ忘れてた」

「そうか。それは彼女に感謝するべきだな。だから、その程度の糸で済んでるんだな」

「い、糸って何だよ」

 それは私も気になっていた。夜刀には、何の糸が見えているのか。

「悪霊がターゲットに付ける目印だ。細くて黒い糸に見えるから糸と言ってる。一年もあんなもの見てたなら、それこそ糸が撚り合わさってワイヤーロープみたいに頑丈で切れない縄で縛られてる状態だったろうが、お守りや石が身代わりになって糸を剥がしてくれていたんだろう。お前についてる目印は、まだ細い糸の状態だ」

 糸がどこにどういう風についているのかと目を凝らしてみても、私には全く見えないし感じ取れなかった。ラギは口を片手で覆い、何かを呟きながら青ざめている。

「残っている糸を取ってもいいか?」

 夜刀の言葉にラギが頷くと、夜刀は右手の指二本を口元にあてて何かを呟きながら、左手をラギの首へと伸ばす。

「あ!」

 夜刀の左手が白い光を帯びた瞬間、黒く細い糸がラギの首に巻かれているのが見えて、夜刀に握られた糸が粉々に砕けて消えた。

「今、僕にも見えたよ。……それが糸なんだ……ロープになってたら怖かったね」

 首に巻き付くロープ。それは絞首刑の縄に見えるかもしれないと思うとぞっとする。

 ラギのスマホに保存されていたライブ配信のサイトアドレスを紙に書き写し、夜刀が元のメールを転送するように指示すると、メールも転送したメールも消え去った。

「これで悪霊との縁は完全に切れた。目が覚めたなら、もうあんなもの見るな。現実を生きろ」

 夜刀の言葉に頷くラギは、先ほどとは別人のように背筋が伸びて、拗ねた様子も消え去っていた。


 頭を下げ、感謝の言葉を告げて去るラギを見送り、私たちはあの家の前まで戻った。火は消えたようでも周囲には焦げ臭い空気が漂い、消防車だけでなく警察車両が増えて規制線を示すロープが張られていた。これは関係者以外近づけないだろう。野次馬は減り、数名のグループが遠くから覗き込むようにして見ている。

「さっき、悪霊が森に現れた後、俺があの家に感じていた強い霊力が消え去った。火事で物的証拠は完全消滅。徹底してるな」

「あの家に住んでたおじいさん、大丈夫かな?」

 迷惑ジジイと呼ばれていた人も、陰の気が溜まりすぎて異常をきたしていたのかも。

「生者の気配は感じ取れなかった。感じた霊力は死者のものだ」

 それが何を意味するのか察して、無言になった私たちは時間貸駐車場へと戻った。

「確認してなかったけど、二時間止めても百円? 一晩止めても上限三百円とか激安過ぎよね」

「この辺りだと、このくらいの値段が相場だよ。ほら、あっちの駐車場も同じ値段だ」

 零音が指さす二百メートル先にも似たような時間貸駐車場があり、どろどろに汚れた黒い外車が一台止まっている。

「うわー、あれ、不法投棄かな?」

「あれは……先月、発売されたばかりの車じゃないかな? 滅茶苦茶高いよ」

 車の運転が趣味という零音は興味を持ったらしく、見てくると歩き出す。つられてついていくと、夜刀も追いかけてきた。

 外車のフロントガラスは泥で汚れ、他の窓は黒いスモークフィルムが張られていて車内は見えない。

「このフィルムは、違法になってるんだけどね」

 零音が中を覗こうと近づいた時、夜刀が止めた。

「触るな。警察を呼ぶ。中で誰か死んでる」

 心の中で悲鳴を上げつつ、全力で車から遠ざかって夜刀の背中に隠れる。

「愛流? どうした?」

「な、なんとなく」

 私たちがそんなやり取りをしている間に、零音は警察へ電話をしていた。

「……そうです。車内で誰か倒れているみたいなんです。散歩していたら見つけただけで……はい。わかりました」

 電話を切った後、五分でパトカーがサイレンを鳴らさずに現れた。二人の警察官が降り、私たちに通報者かどうかの確認があった。

「随分汚れてるな……扉は……」

 ドアハンドルを引くと扉が開き、服を着た乾いた木の人形が倒れ掛かって警察官が抱き留める。なんだ人形かと、ほっと安堵の空気がその場に広がった。

「おっと……うああああああああ!」

 笑いながら人形の顔を覗き込んだ警察官が叫び声を上げ、後ろに飛び退く。地面に落ちたのは人形ではなく、ミイラ化して茶色くなった人間だった。

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