第三章

第十三話

「何故笑う? この呪いは本物だ。死ぬかもしれないんだぞ」

 零音の心からの笑顔に困惑した夜刀が問う。

「あ、僕は皆さんを疑ってる訳じゃないです。えーっと……今日体験した事は僕にとって未経験の連続でした。これまでの人生が……当たり前の常識が一変するってこういうことなんだなって」

 私が見ていなかった神事は、零音にとって驚愕の体験だったのだろう。零音は驚いたら笑ってしまうタイプなのか。それでも自分が死ぬと宣告されて笑っていられることが理解できなかった。

「呪い……呪いかぁ……」

 そう呟きながら、零音が天井を見上げる。微笑みは崩れず、喜んでいるように見える。

「動画のネタにしようと思うなよ」

「あ、バレました? 死の呪いの検証とか、カウントダウンとかウケるかなって」

 夜刀の呆れたような突っ込みに、顔を戻した零音は明るく笑って返した。

「死にネタは絶対アウトと言ってなかったか?」

「他人じゃなく、自分ならいいかなって思いました」

 黒い短髪に茶色の目の夜刀と、茶髪でウルフカットにグリーングレイのカラコンをした零音。見た目は対照的でも年齢的には近そうな二人は、意外と気が合うかもしれない。そんな空気が漂う。

「俺は個人的な問題で、この呪いを解明したいと思っている。この呪いは、掛けた女性霊の望みを叶えることで解ける、ということだけ判明している」

「女性霊……ということは、さっきの動画に出てきた白いワンピースの女性かな?」

「ああ」

「だからかな? ……既視感っていうか、懐かしいって思ったのは。全然知り合いにも誰にも似てないんだけどね」

 そういって零音は苦笑する。ますます国民服の男性とイメージが重なっていくような気がしても、あの男性の生まれ変わりなのかと口にする勇気は出なかった。

「望みって何かな?」

「それがわからないから手掛かりを探している。何か気が付いたことはないか?」

 一気に肩の力が抜けた零音と夜刀のやり取りは、徐々に友人のような口調になっていく。

「えーっと、気が付いたことっていうか、気になったのは鈴の音かな。女性が現れる直前に聞こえたけど、どうもスマホからじゃなくてリアルで聞こえたような気がするんだよね。耳元で鳴らされたみたいな感じで」

「俺には聞こえなかった。当主、聞こえましたか?」

「いや。私は何も。雅はどうだい?」

 和人の問いに、雅は首を横に振った。ということは、鈴の音を聞いたのは、私と零音だけ。呪われた者にしか聞こえないということか。

「……お前、わかりやすいな。さっきから顔に出てるぞ」

「か、顔にっ?」

 夜刀に突然指摘され、どんな顔をしているのだろうかと両手を頬にあててみる。顔に出しているつもりはなく、しっかりと余所行きの顔をしていたはず。視界の端で零音が口元に拳をあてて笑いを堪えているのが見えた。

「僕が聞いた鈴の音は、とても澄んだ高音でよく響く感じだった。不思議と怖さはなかったな。また聞きたいって思うから」

「私はもう聞きたくないです。どんなに綺麗な音でも」

 あの鈴の音を思い出すと、白いワンピースの女性よりも吐血する土岐川と半笑いで撮影する人々がセットで浮かんでくる。他人の不幸を動画で保存するより先に救急車を呼ぶか救護するか、優先すべきことはあったのに。

「ということは、彼女さんと僕は三日違いで同じ女性から呪われてるってことなのかな」

 零音は微笑みを消し、私を心配するような表情を見せた。

「……ああ。そのようだな。一時的な処置だが、俺は呪いの進行を止めることができる。もう一度痣を見せてくれ」

 夜刀の言葉を両手で押しとどめるような仕草をしながら、零音は首を横に振って微笑みを取り戻す。

「えーっと。……それは遠慮しておこうかな。八條さんの霊能力は、彼女さんの為に百パーセント使った方がいいんじゃないかな。あ、呪いを解くのを諦めた訳じゃないよ。できれば僕も調査に加わりたいってだけで。僕は都市伝説のライブ配信の件を調べてみようかと思うんだ」

「……少し時間をもらえないか? ……当主、外で彼と話してくるので、彼女の警護を頼みます」

 和人が了承すると、夜刀は零音と共に部屋を出て行った。

「ふーん。呪いと聞いても動じないのか。面白い子だね。後で電話番号でも聞いてみようかな」

「この件は夜刀に一任するつもりだろう? 直接介入するのか?」

 興味津々の猫のような目をした和人の横で、雅が尋ねる。

「いや。直接介入はしないよ。ただ、スマホのアドレス帳がすかすかだからね。……という訳で、お嬢さん、電話番号を教えてもらえないかな?」

 にこにこ顔で和人が着物の懐から取り出したスマホはピンクがかった金色。確か先日見たスマホは銀色だった。

「あの……銀色じゃありませんでしたか?」

「ああ、一昨日、暴れる怨霊にスマホが壊された。ショップに行ったら同じ機種の在庫がこれしかなくてね。やっと基本操作を覚えたのに、一から覚え直すのは面倒だろう?」

 同意を求められても……と思いつつ、曖昧に頷いておく。視界の片隅で大破したまま転がる零音のスマホといい、最近の怨霊と関わるとスマホが壊される危険があるのか。その場合、スマホの保険は適用されるのか気になる。

「路上水死事件で死んだ人の霊ですか?」

「いやいや。それは別のヤツでね。今回の件での祓え神事は今日が初めてだ。まさか死亡当時の状況を再現してくるとは思わなかったから、次の神事はご遺族に立ち合いを許可するかどうか考えないとねえ。もしもお嬢さんがご遺族の立場なら、どう思う? 見たいと思う?」

「……それは…………遺族なら死んだ状況も全部知っておきたいと思うかもしれませんが……今回、聞いていただけですが……見ていたらトラウマになりそうな気もします」

 死んだと告げられた者が、起き上がって再び死ぬ。その状況を受け止められるかどうかと考えても、すぐには答えは出なかった。

「難しいねえ。どうも私や雅では、『普通の感覚』がわからなくてね。……そうか。見せたいかどうか本人に聞けばいいのか」

 ひらめいた。そんな顔をされても……と苦笑しかけた所で気が付いた。

「見せたいかどうか?」

「そう。生きている人間は迷うし面倒だが、死んだ本人に聞けば早い」

「やめてください。聞くなら、生きている人間の方にして下さい」

 どう考えても生きている人間の意思を優先すべき問題だと思う。霊能力者の思考は常人には理解不能。

「やはり生きている人間というのは面倒だねえ。……という訳で、電話番号を……」

「わかりました。『普通の感覚』を知りたい時にはお電話かメールを下さい」

 この非常識人を放置しておいては、不幸なトラウマを抱える人を量産してしまう。絶対に阻止しなければと妙な使命感が沸き上がってくる不思議。

「メール……メールは雅の担当だねえ。私は一度も送ったことがないから」

 現代社会でメールを使ったことのない人間に初めて会ったような気がする。高校で情報処理の授業は無かったのだろうか。

「雅さん、電話番号とメールアドレスを交換して頂けますか?」

「あ、ああ」

 何故か引き気味の雅とも連絡先を交換した後、扉が開いて夜刀だけが戻ってきた。

「おや? あの子は?」

「零音は遺体引き取りの手続き中です。俺は明日、零音と都市伝説の件を調べに出かけます。その間、彼女を預かって頂けますか?」

「それはちょっと難しいねえ。明日は一つ大きな案件が入ってる。お嬢さんみたいな可愛らしい娘は嫁にされてしまうかもしれないよ。夜刀と一緒に行けばいいだろう?」

 嫁にされてしまうという和人の言葉の意味がわからなかった。

「嫁ってどういうことでしょうか」

荒魂あらみたまを鎮める儀式に可愛らしい女性がいると見初められてしまうことがあってね。要するに神様の嫁だねえ」

 ほのぼの良い話風に和人は笑っても、マンガや小説じゃあるまいし見ず知らずの神様に嫁にされるのはお断りしたい。

「夜刀の家にいたら大丈夫じゃない? 今までも何回か一人で留守番してたし」

 居候している間、夜刀は度々結界を強化して外出している。今回もそれで良いのではないかという私の提案は夜刀に却下され、何故か渋りつつも私の同行が決まった。


 翌朝、待ち合わせの約束をした駅前に向かうと、茶髪に流行りのサングラス、白いTシャツにジーンズ、白い革のスニーカー、ラベンダー色の半袖シャツを羽織った零音は、ただ立っているだけなのに周囲と空気が違っていて遠くからでも認識できた。夜刀は黒いTシャツに黒いカーゴパンツと黒革のスニーカー。モスグリーンの長袖シャツで、色合いは対照的。私は水色のワンピースに白のボレロ。今日も地味な色は穢れを引き寄せやすいからと却下されてしまった。

「夜刀、おはよう。彼女さんは今日も可愛いね」

「おはよう、零音」

「お、おはようございます」

 二人がいきなり呼び捨てで挨拶したことに驚いた。零音はサングラスをシャツのポケットに入れ、昔からの友達のような親しげな雰囲気を醸している。今日もグリーングレイのカラコン。

「昨日話した都市伝説系の動画配信者っていうのがサザキっていうハンドルネームなんだけど、彼の住んでる部屋がそこの八階」

 零音が指さしたのは、駅前の商業ビルの隙間に建つ古い雑居ビル。窓には貸金や怪しさ満点の聞いたこともない人材派遣会社の看板が設置されていて、とても住居とは思えない印象。

「こ、ここですか?」

「彼も会社を立ち上げてて、ここを事務所として借りてるらしい。どうせ独りだからって事務所で寝泊まりしてると前に言ってた。駅前だから便利だって」

 確かに周囲は賑やかな商業ビル。買い物にも交通手段にも困ることはなさそうでも、通勤客や買い物客が行き交う騒々しさと路地裏的な暗さというか何とも言い難い空気を感じると、私は住みたいとは思えなかった。

 雑居ビルの入り口は狭く、壁には集合ポストが設置されている。一つの階に一つのポストしかないのに、ポスト表面には数個から二十数個の会社の名前がぎっしりと書かれている。

「これ、ワンフロアに何社入ってるんだろ……」

 ワンフロアと言っても狭そう。もしも就職試験がここだったら、回れ右して帰る自信がある。

「単なる住所貸しか、複数の会社を立ち上げてるかだろ。駅前の雑居ビルではよくあることだ。昔は駅前の住所ってだけで信用があったが、今はネットの地図写真で実態が直ぐにバレる」

 八階のポストは会社名も無くテープでふさがれていて『郵便物は直接八階まで』という張り紙がされていた。ポストの前を通ると急すぎる階段と古い茶色の扉のエレベーター。定期点検済のステッカーが貼られていても、若干心配になる。

 薄汚れたエレベーターに乗って到着したのは八階。入り口とは反対側の扉が開き、降りると目の前に上部がすりガラスのアルミサッシの扉。扉についたポストには大量の封筒が突っ込まれていて、ガラス部分には何枚もの督促状が貼られていた。

「『至急連絡を下さい』か……一番古い日付は、僕に電話があった二日後だね……金に困ってる様子は無かったんだけどな……言ってくれたら貸したのに……」

 ぽつりと寂しそうに零音が呟く。

「プライドがあったんだろ。……中に人の気配はないな。これ、壊れてないか?」

 夜刀が古いインターホンを押しても、カチャカチャと玩具のような音を立てるだけで、中から音は聞こえてこない。零音がドアノブを回すと鍵が掛かっていた。

「やっぱり留守みたいだね」

 零音が苦笑しながら振り返り、夜刀は狭い玄関前の天井をしきりに見回す。

「……監視カメラはなさそうだな。ここからは見なかったことにしてくれ」

「何するの? まさか扉壊すとか言わないで……あれ?」

 私の言葉の途中、夜刀がドアノブを回すとあっさりと開いた。

「えーっと? 僕の確認が甘かったのかな?」

「いや。中から開けてもらった」

 さらりと言い放つ夜刀が何気に怖い。零音と二人で顔を見合わせる。

「な、な、何に?」

「……俺の式神。霊力を喰うから滅多に使わないが、背に腹は替えられん」

 夜刀はさっさと真っ暗な部屋の中へと入っていく。零音が手探りで壁のスイッチを探し当てて電気をつけると、古い灰色の壁とフロアタイルが敷かれた十八畳くらいの部屋。べたべたと新聞や雑誌の切り抜きが貼られたパーテーションが中央をぐるりと取り囲む。壁とパーテーションの間には折り畳み自転車や電動キックボード、健康器具が埃を被った状態で転がっていて、おおよそ人が住んでいるとは思えない状況。生ごみと何かが焦げたような酷い悪臭に耐えられず、ハンカチで口と鼻を覆う。

「こっちから入るみたいだよ」

 パーテーションの一部についていた扉を開くと、そこは生活をぎゅっと凝縮したような空間が広がっていた。巨大な机には付箋がべたべたと貼られた大きなディスプレイが二台、大型のパソコンとキーボードが置かれ、使い込まれたゲーミングチェア。中央に置かれたダイニングテーブルには椅子が四脚あっても、そのすべてに服や物が積まれ、テーブルの上にはタバコの吸い殻が入ったガラスの灰皿、ファーストフードやコンビニ弁当のゴミ、空き缶や空き瓶が山盛りになって異臭を漂わせている。病院にありそうな高さのあるパイプベッドの布団は、薄茶色や何ともいえないシミだらけで、さらには服が山を形成中。床には口が縛られたコンビニ袋や雑誌が散らばり、足の踏み場に迷う。

 零音は迷わずパソコンの電源を入れ、ブラウザの履歴やメールボックスを開いていく。

「パスワードは掛かってないんですか?」

「掛かってるよ。でも、ここにパスワード書いてある」

 そう指摘されて見ると、ディスプレイに貼られた付箋の一つにパスワードがしっかりと書かれていた。これはあまりにも不用心過ぎ。

「ネットの噂によると、ライブ配信のサイトアドレスは迷惑メールとして届くらしいんだけど……それらしいのは無いな……」

 画面を一緒に見ていた夜刀が、何かに気が付いて机の上に散らばるA4コピー用紙の一枚を手に取った。

「どうしたの? 白紙に何か書いてある?」

「筆圧跡が残ってる……これは……日付と……住所か?」

 サザキは筆圧が強いらしく、ボールペンか何かで書いた字が、下の紙に跡として残っていた。

「鉛筆なんて都合の良いものはないよな……」

 机の引き出しにはボールペンや油性ペンしかなく、夜刀が目を細めて読み取ろうとしていると、テーブルに近づいた零音が灰皿の灰を指ですりつぶし、夜刀が持っている物とは別の紙に擦り付けた。

「これで代用できそうだよ。試していいかな?」

 零音が指に付けた黒い灰で白く浮かび上がったのは、まぎれもなく日時と住所。消されないようにと三人がペンやスマホでメモを取り、一部ずつ確実に覚えた。

「他に手掛かりはなさそうだな。借金取りが来る前に逃げるか」

「借金取りが来るって、また督促状貼りに来るって話?」

「いや。金額がでかいから、電気が付くのを監視されてる可能性があるって話だ」

 部屋の電気が付くと誰かがいると判断される。だから周囲の住人に監視を依頼することもあるらしい。痕跡を残さないように気を付けながら部屋を出て、夜刀が鍵を掛けた。

 幸いにも誰にも出会うことなく雑居ビルの外に出て、車を止めた駐車場へと歩く道すがら、零音が商業施設を指さした。

「えーっと、職質される前に手を洗いたいな」

 黒い灰を指に付けたままの零音にウェットティッシュを差し出すと首を横に振られた。

「ありがとう。でも、ごめん。これは水で流した方がいいんだ。下手に拭いて痕跡を残すとマズい」

「……タバコじゃないのか。大麻か?」

 灰皿にあったのは絶滅危惧種の紙巻タバコだと思っていたのに違っていた。

「大麻じゃないけど、似たような物かな。最近、若年者層に有名な動画配信者に、これを試して欲しいって案件が来るんだ。合法ドラッグ……なんて言ってるけど、実際は微量の麻薬成分が含まれてる。薬剤師の動画配信者が成分分析したから間違いないよ。ただ、公開したら命の危険がありそうだから表向きは黙ってる」

 よくあることだと零音は笑っても、その闇は意外で深すぎる。

「手を洗ったら、さっきの住所へ行ってみようか。急げば昼前に着くよ」

 明るく笑う零音に、それ以上のことは聞けなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る