第十二話

 私と目が会うと、茶髪の男はいきなり大きく頭を下げた。

「弟がご迷惑をお掛けして申し訳ありません!」

「え? あ、あの? どういうことでしょうか?」

 モデルのような美形から、唐突に謝罪を受けるような覚えは全くない。夜刀は口を引き結び、一気に不機嫌オーラを醸し出した。

「あ、僕はトグルマの兄で零音れのんです。あの……動画に映ってた方ですよね? 男が血を吐いてた……」

「……」

 その問いにはいと答えていいものなのか、盛大に迷う。違うと否定したい。答えられない私と男の間に夜刀が割って入ってくれて、ほっと息を吐く。

「まずは名前を名乗って頂けますか。ハンドルネームでは信用できません」

「あ、失礼しました。えーっと、僕は古三浦こみうら零音と申します。動画配信を仕事にしています。ネットでトグルマと名乗っていた古三浦達樹たつきは僕の弟です」

 口調も困惑する表情も柔らかで、あの時最後まで撮影していた男の兄とは俄かには信じられなかった。

「俺は彼女の婚約者、八條夜刀です。弟さんの動画は削除されているようですが、勝手に撮影されてネットに上げられて、非常に迷惑しています」

 何故か勝手に夜刀が婚約者と名乗っていることがひっかかりつつも、今はそういう設定だからとざわつく心を落ち着かせる。

「それは……僕が動画を削除させました。でも全然間に合わなかったみたいで、すいません」

 再び零音は深々と頭を下げた。髪色や目の色は派手でも、根は真面目な人なのかも。

「貴方が削除させた? どういうことでしょうか?」

「……えーっと……僕たち動画配信者は、大抵スポンサーがついてCMを動画内に流すことで稼いでいます。弟は非常識な炎上動画ばかりでスポンサーがつかなくて。チャンネル登録者ファンからの投げ銭で生活していたんですが、時々、金が足りなくなると僕に動画の買取りを求めてきたんです。……今回の動画もアップ直後に連絡が来ました。今までは買取りに応じたことはなかったんですが……最初の十数秒を見て、これは絶対アウトだと思って金を払って削除させました」

「絶対アウトとは?」

「僕の勝手な理想ですけど、人の死は動画のネタにしちゃダメだと思っているんです。映っていた男性の吐血量はヤバかったし、演技には見えなかった。これは死ぬんじゃないかって、すぐに予想できました。僕は多くの人が笑って楽しい気分になる動画を作りたいと思っているので……あ、すいません。話が逸れました。とにかく、人が死ぬ動画はダメだと思っています。絶対アウトです」

 語る内容からは、良い人なのが伝わってきた。落ち着いてみると、やはり零音からも同じ花の匂いが漂ってくる。

「そちらの事情はわかりました。ただ、彼女の被害はまだ終わっていませんし、弟さんは亡くなられている。貴方の謝罪は意味がありません」

 不謹慎と思いつつ、きっぱりとした口調の夜刀が凛々しくて頼もしく感じる。一緒にいてくれて良かった。私一人の時に出会っていたら、ろくに話も聞けずに逃げ出していただろう。

「そうですね、すいません。……えーっと……できれば被害の賠償金だけでも受け取っていただけないかと……」

 そう言って零音は一軒家が買えそうな超高額を提示してきたのに、夜刀は顔色一つ変えなかった。

「金銭は不要です。もし謝罪の気持ちがあるのなら、動画の削除にご協力ください。弟さんの動画はコピーされていないようですが、他の人間が撮影した動画が拡散しています。似たような動画を発見した場合は、プラットフォームへの通報とアップした人物への注意をお願いしたい」

「わかりました。僕の会社のスタッフにも指示します。これ、僕の連絡先です」

 零音は動画配信で相当稼いでいるらしく、自らの会社を立ち上げ、数名の社員を雇っていた。渡された名刺には社長の肩書と、SNS総フォロワー数・一千万人超えと書かれている。

「有名な方なんですね……存じ上げなくて申し訳ありません」

 私が見ている動画のジャンルが違うのか、一度もおすすめに流れてきたことはなかった。

「謝る必要ないですよ。有名って訳でもないです。テレビに出てる芸能人と違って、ネットで名前と顔が知られてても限られた世界の中だけです。世間から見れば無名ですから、知らなくて当然です」

 結構失礼な発言をしてしまったのに零音の反応は穏やかで柔らかく、こちらが恐縮してしまう。漂ってくる花の香りのことを聞こうとした時、夜刀が口を開いた。

「……弟さんがアップされた動画の元データはありますか? もし弟さんのスマホかパソコンに残っているのなら確認したいのですが」

「動画データは僕が持っています。買取り金を動画を仕入れた経費にしたので。今、確認しますか?」

 トグルマがアップしていた動画は、白いワンピースの女性が映っている動画のはずと思い出して緊張が走る。

「わ、私はパス」

「警察署の中で、部屋を借りられないか相談してみます。画像の確認はその時に。……もうすぐ神事が始まる時間です。貴方も立ち合いに来たのでは?」

 夜刀の言葉を聞いて、そんな時間かとスマホで時刻を確認する。予定の十分前。そろそろ移動しなければならないだろう。

 そうして夜刀と私、零音の三人で、警察署の中へと入った。


 八條家当主が行うはらえの神事は、通常の形式ではないらしい。警察署内の道場に白いビニールシートが敷かれ、中央に灰色の遺体袋が置かれている。シートの四隅には白木の柱が立てられ、紙垂しでが付けられた縄が張り巡らされていた。その前に置かれた祭壇も、地鎮祭等で見る物とは全く違うし、中央には鉄で出来た鉢が置かれている。

 立ち合いは警察署長と夜刀と私、零音だけ。雅の姿がないと思っていたら、道場の扉が開いて白い神職姿の和人が現れ、雅はスーツ姿で付き人のように扉の開け閉めをしていた。ますますボディガードに見えて場違いな笑いが込み上げそうになる。

 道場にある神棚と、急ごしらえの祭壇に礼をした和人が手を叩くと、道場内の空気がぴんと張り詰めたのを感じて背筋が伸びた。

「袋を開いて頂けますか」

 ゆったりとした口調でありながら、その言葉には従わざるを得ない圧がある。警察署長と雅が縄の中に入って、遺体袋のファスナーを開けた。人の遺体を見たくないと目を逸らすと、夜刀が私を抱き寄せた。

「ちょ。何するのよっ」

「お前は見るな。マジでヤバい」

 夜刀の囁きには緊迫感が溢れていて、見上げると額に汗をにじませていた。冷房が効いた道場内は涼しく、汗が出るなんて異常。それほどヤバいということかと抵抗する力を緩めて諦める。

 夜刀に抱きしめられたまま、私は祭壇に背を向けた状態で神事が始まった。聞いたことのある祝詞から、聞いたことのない祝詞まで、いくつもの祝詞が聞こえてくる。時折、ぱちぱちと炎がはじける音と、炎が勢いよく燃え上がる音が混じる。

 十分程経つと風もないのに、ざわざわと紙垂が揺れる音と、豪雨のような水音がして背筋が凍った。振り返って確認したくても、夜刀は私の後頭部を手で押さえつけて絶対に見せないようにしている。横目で隣にいる零音を見ると、右手で口を押えながら驚愕の表情で祭壇の方向を凝視していた。一体何を見ているのか、怖いけれど興味はある。

『うああああああああああああああ……がはっ……があっ!』

 響き渡る男の絶叫が、途中から水を飲んでむせたような声に変化した。先日巻き込まれた幻影の水の感触を思い出して体が震える。手で耳を塞いでも、溺れる叫びは頭に響く。

「達樹……」

 よろよろと前に歩き出した零音の腕を雅が掴んで止めた。

「彼はすでに命を失っている。君も死にたいのか?」

 雅の警告に対して、腕を掴まれたままの零音は歯噛みしながら視線を逸らす。叫び声の主は死者なのか。和人の祝詞が続く中、断続的に助けを求める叫びが胸に刺さる。

 どれだけの時間が経ったのかわからなくなった頃、炎が爆発的な音を立て、焦げた匂いを含む熱い風が辺りを駆け抜けていった。同時に夜刀が大きく安堵の息を吐き、抱きしめていた腕の力が弱まった。

「終わった?」

「ああ。おっと、まだ見るなよ」

 終わったと聞けば、見たくなるもの。ちらりと振り返って超絶後悔。

「うっわ!」

 灰色の遺体袋の中央には、黒焦げの何かが横たわっていた。一瞬だけでしっかりとは見なかったものの、それが何なのかはすぐにわかった。

「馬鹿、見るなって言っただろ?」

 夜刀の呆れた声も右から左。夜刀のシャツにしがみつき、私は何も見なかったと心の中で繰り返す。和人が祓串を振り、遺体袋が閉じられて神事は完全に終了した。


 警察署の応接室で和人が着替えている間、私たちは会議室で待たされていた。無機質な長机とパイプ椅子が並ぶ部屋の中、項垂れて座る零音に掛ける言葉が見つからない。あの花の香りのことを聞きたくてもきっかけが掴めず、我慢できなくなった私は夜刀の腕を引いて会議室の外に出る。

「何だ? トイレか?」

「違いますー。……あのね、零音さんから私と同じ匂いしない?」

「ああ。あいつも完璧に呪われてるな」

 夜刀はそんなことかと言わんばかりの呆れ顔。私の時のように驚いたりはしないのか。

「ちょ! 何でそんなに冷静なのよっ? 死ぬ呪いなんでしょっ?」

「その話は後で本人に聞く。それより先に動画の確認だ。俺はお前の解呪を優先したい」

 何でもないことのように言われると、そうかと納得してしまう不思議。再び部屋に入って椅子に座り直すと同時に扉が開いて灰水色の紗羽織に単衣の和服姿の和人と着替えと思しき大きなカバンを持ったダークスーツ姿の雅、夏の制服姿の警察署長と警察官が入ってきた。

「お待たせしてすまないね。……おや?」

 和人の視線は項垂れたままの零音へと向かう。警察官は遺体の引き取り手続きの説明をすると言って、零音に声を掛けた。

「署長さん、その方に少々お話を聞きたいのですが、この部屋を貸して頂いてもよろしいですか?」

 和人が署長に声を掛け、零音が承諾すると、署長と警察官は部屋から出て行った。

「当主、俺の方の用件を先に済ませていいですか?」

「用件?」

「彼は吐血事件の動画データを持っているそうです。今、ここで確認したい」

 夜刀の言葉を聞いた雅が、部屋の片隅に置かれたプロジェクタの使用許可を求めると言って出て行った。プロジェクタは型落ちながらも超小型の品。夜刀は置かれていた説明書にざっと目を通す。

 許可を取り、すぐに戻ってきた雅が巻き上げられていた布スクリーンを降ろし、夜刀が機材をセットしていく。和人は何か言いたげな様子で、スマホでデータを準備する零音を見ている。

 セッティングが終わると、夜刀はポケットから複雑な図形が描かれた白い付箋を取り出して機材の周囲に貼り始めた。

「夜刀、何それ?」

「護符。簡易だがデータに干渉されないように結界を張る」

 以前短期間務めた会社で、パソコン周りにペタペタと付箋を貼る男性がいたことを思い出した。本人は備忘録のつもりでも、見た目は美しくない。

「零音さん、スマホの外部接続を切ってから、ここに置いて下さい」

 夜刀に指示されるまま、緊張した面持ちの零音がスマホを机の上に置く。ケーブルでプロジェクタと繋いだ後、夜刀が唇に二本の指を当てて何かを呟くと白い光が護符の間を走り抜け、五芒星が浮かび上がった。

「動画を再生させます。……愛流あいる、見たくなければ目を閉じてろよ」

 そう言われると迷う。夜刀がスマホの画面を操作すると、スクリーン中央に縦長の映像が投影された。手持ちで撮られた画面は揺れていて、撮影者が公園を走っていることがわかる。中央に小さく映るのは……スーツ姿で座り込む私と、かなりの量の血を吐く土岐川の姿。すでに周囲には数名の男女がスマホで撮影していた。

 さらに近づいた画面では、顔を青くした私のスカートにしがみつきながら血を吐く土岐川が顔まではっきりと映っている。

「僕はここまでしか見ていません」

 零音がぽつりと呟いた。確かにこの吐血量なら死ぬと感じるだろう。私が記憶していたよりも血の量は多く、血だまりが広がっていく。走ってきた撮影者の荒い息遣いと共に揺れる画面が、動画の生々しさに拍車を掛ける。

 しばらくして、スマホからではなく耳元で鈴が鳴った。

「あ……」

 画面の中、座り込む私の背後に白い人影が小さく映り、徐々に近づいてくる。ぼんやりとした白いワンピースの裾が揺れて、儚げな美人が寂しそうに微笑んだ瞬間、大きな音を立ててスマホの画面が砕け散り、画面が消えた。

「……ちっ! 簡易じゃ無理か!」

「これは相当難儀な相手だねぇ。逃げ足が速い」

 夜刀が舌打ちをし、和人がのんびりと首を傾げる中、私は壊れたスマホが気になって仕方なかった。人気スマホの最新機種は、画面だけでなく金属の枠までが裂けていて、修理するより買い直しだろうと想像できる。最高スペックなら二十数万が一瞬で鉄屑状態。

「……え? ああ、心配しなくていいよ。もう一台持ってるから」

 呆然と画面を見つめていた零音は私の視線に気が付いて、苦笑しながらポケットからもう一台を取り出した。

「いつでも撮影できるように、基本的に二台持ち歩いてるんだ。……あれ?」

 スマホを操作する零音の顔から苦笑が消え、何かを探す様子。

「そちらのデータも消えましたか?」

 夜刀の問いに、零音は頷く。電話をしたいと言って、零音はどこかへ電話を掛けた。

「あ、ごめん。僕だけど。えーっと、達樹の最後の動画データ、そっちのパソコンに残ってるよね? クラウドサーバーにアップしてくれないかな」

 どうやら零音は自らの会社に電話をしているらしい。しばらくのやり取りの後、零音は電話を切った。

「……すいません。僕の会社のパソコンからもデータが消えてます。もしかしたら、達樹のスマホには残っているかもしれません」

「これ以上の確認は不要です。俺が見たい物は確認できました。……この動画をネットを通じて見た者の一部が、体調不良を感じたという話は聞いておられますか?」

 零音に対する夜刀の声は淡々としていて、先ほどの神事の時の和人と共通する雰囲気を醸していた。何故かその問いには答えなければならないという圧がある。

「はい。噂だけですが」

「貴方は体調不良を感じませんでしたか? 例えば左腕に赤い痣が出来た……とか」

 夜刀の言葉に零音がはっと息をのむ。

「えーっと……どうしてそれを知って……って、そうか、霊能力者だからなのかな……でも、痣が出たのは動画を見る少し前……たぶん三日前くらいです」

 動揺する零音が白い半そでシャツの袖をめくると、私と同じ赤い痣がぽつぽつと現れていた。

「医者にも掛かったんですが原因不明で。塗り薬で徐々に消えてはいます」

 痣の数は生存可能日数。私は夜刀の結界に護られていて数が減らないから危機感が無くなっているけれど、零音の痣の数は明らかに少なくなっていた。

「動画の三日前? 何か変わったことはありませんでしたか?」

「……変わったこと……というか……ネットで出回っている噂について調べていた知人から夜中に妙な電話があって……途中で切れた後、音信不通です」

「どんな噂ですか?」

「……えーっと……毎日午前零時に始まるライブ配信の話で……かなりヤバい内容らしいという噂が流れてはいるんですが、何しろ誰も見たことがないし検索を掛けても出てこない。都市伝説やネットの噂を動画のネタにしていた知人が熱心に調べていて……夜中の一時頃かな……妙に興奮した声で『当たった! 次は俺の番だ!』って。その直後に何か言いかけた所で電話が切れました。変だと思ったんですが掛け直す程の知人でもないし、そのまま寝ました。朝になって電話をしても繋がらないし、毎日アップされていた動画も途切れて。そのままです」

 ライブ配信の内容は女性との性行為。ただし相手は白骨で。当たったというのは出演のことだろうか。そのことと零音が呪われた理由がわからないと思いつつ、そういえば私も出演した土岐川と接触したことで呪われたと思い出す。理性を失った悪霊に理由なんてないのだろう。

「…………当主、〝闇香の呪い〟の対象者は女性のみじゃないんですか?」

「そうだねぇ。これまで男が呪われた話は聞いたことがないよ」

 夜刀の問いにのんびりと和人が答えると、零音は驚いた顔を見せた。

「呪い……ですか? もしかして、この痣が?」

「そう。〝闇香の呪い〟は虐げられ非業の死を迎えた女性の呪いだ。これまで女性が呪われた話ばかりで、男が呪われたことは一度もない。……呪われた者は四十九日後に死ぬ。痣はその期限を示している」

 穏やかな口調でも、和人が告げる内容は恐ろしい。

「痣の数が、命の残り日数ですか?」

 零音の問いに和人が頷くと、何故か零音は安堵の息を吐いて柔らかな笑顔を見せた。

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