第十一話

 四人というよりも、夜刀と和人の二人での話し合いの結果、私に呪いを掛けた女性の正体を突き止めるのが一番の優先事項。私が見せられた記憶による人物追跡と、消された動画の確認。そして血を吐いて死んだ土岐川が出演したという動画についての情報を集めるという方針が決まり、和人と雅は帰っていった。


 肉球の焼き印が押されたどら焼きを一口食べて、溜息一つ。

「……どうして私が? っていうのは考えても無駄なのよね」

「そうだな。前にも言ったが悪霊と化したヤツに理性は残ってない。悪霊とまともな対話ができるなんて考えない方がいいぞ。霊力でぶん殴って完全に動けなくしてから話を聞くっていう方法も一応あるが、女相手には出来ないな。何をして欲しいのか要求を聞くだけか……」

 めんどくさい。そんな顔をしながら、夜刀は溜息を吐いた。夜刀も雅と同じで、結構武闘派なのだろうか。いつも人形を作っている姿ばかり見てきたから、意外といえば意外。

「さっき、聞けなかったけど私は何をすればいいの?」

 夜刀と和人の話の中で、私の役割は一切出てこなかった。

「そうだな……。あ、この前依頼した人形服を完成させてくれ。早く服を寄越せって煩いんだ」 

 そうだった。事件の二日前、夜刀の人形部屋へ妙に注文の多い新人さんが入ったことを忘れていた。プリンセス願望があるらしく、魔法少女風のピンク色のドレスのオーダーを受けている。人形の中身の性別を聞く勇気は無かった。

「ごめん。モデルのドールと作りかけの衣装、部屋に置いてきちゃった」

 呪いへの恐怖と友人たちとのやり取りで慌て過ぎていたから着替えや化粧品が最優先で、シェアハウスから持ち出してはいなかった。

「それなら、まだ霊が入ってない人形がある。裁縫道具は一通り揃ってるが、材料は通販か、俺と一緒に買いに行くかだな」

「……えーっと……これの代金……」

「ストップ。代金は返さなくていい。物を作る人間が技術を無料で、なんて言うなよ」

 苦笑する夜刀は優しい。

「夜刀の解呪も技術でしょ。依頼料と私の滞在費もあるし……」

「……こんな状況で頼むのも何だが、人形部屋のヤツらの浄化を頼みたい。この前の四分割したヤツが、まだ馴染まないんだ。解呪の依頼料と滞在費はそれで釣りが出る」

「それって、バランス悪いわよ」

「いいや。〝浄化の巫女〟の浄化はとんでもない高額が取れる。俺が十回仕事して足りるかどうかだ」

 夜刀の拝み屋としての依頼料がいくらかはわからないけれど、十回分の金額は相当な額になるはず。

「あ、だから私を拝み屋にスカウトしたいのね」

「ちーがーう。…………とにかく、金のことは気にすんな」

 大きく溜息を吐いた夜刀は、何故かがくりと項垂れた。


 それから五日が過ぎて、再び和人と雅が夜刀の家へと訪れた。

「こんにちは、お嬢さん。体調はどうかな?」

 今日も涼やかな着物姿の和人と、夏だというのにきっちりとダークスーツを着る雅の組み合わせは何度見てもヤクザの若頭と護衛で笑ってしまいそうになる。

「ありがとうございます。元気です」

 夜刀の術は私を完全に護ってくれているようで、腕の痣は一つも減っていなかった。和人が痣に触れて確認したいというので、腕を差し出す。

「……これだけの聖域にいて、まだ呪いは弱まっていないのか……」

「それはどういう意味ですか?」

「夜刀の結界で〝浄化の巫女〟の浄化の力がこの家の中に閉じ込められている。それに、お嬢さんは浄化の力を使っただろう? 普通の呪いならここで過ごすだけで浄化されていく」

 確かに私は夜刀の人形部屋で浄化の力を使った。といっても、単に夜刀と一緒に部屋を掃除して、人形たちの髪や服を整えて可愛い・綺麗と褒めたり話し掛けただけ。たった半日で部屋にいた人形の半分が成仏してしまったので、今は棚がスカスカ。

「当主、俺の婚約者に触りすぎです」

 夜刀がぴしゃりと和人の手を叩き落として、そういえばそんな設定だったと思い出す。夜刀は相変わらずソファで寝ていて、私は夜刀の寝室を独占中。同じ屋根の下での共同生活でも、友達感覚で色恋なんて全く感じていなかった。シェアハウス生活よりも快適で、戻るのが少々億劫になりかけている。


 居間のソファに四人で座り、雅が持参した可愛らしい猫型最中と猫の形のせんべいと共に緑茶を飲む。可愛らしい猫の形の和菓子にほっこりしつつ、雅がこの厳つい顔で買っている光景と想像すると、店員さんはどう思っているのだろうかと不要な心配でどきどきしてしまう。

「さて。本題に入ろうか。雅、頼むよ」

 和人に促され、雅が黒いケースから書類を取り出した。

「ああ。まず、女性の正体についての中間報告が上がってきた。条件に該当する夫婦は二十二組にまで絞られている。後はスタッフが現地の役所に行って地形条件等も調べることになっているから、調査待ちだ。結果が判明次第、また報告する」

 書類には、二十二組の夫婦の名前と住所が並んでいる。住所は全国にわたっていた。私が見た少ない情報だけで、たった五日の間にここまで調べられるものなのかと驚いた。

「雅の弁護士事務所のスタッフには、凄腕の人探しがいるからね。一種の特殊能力といってもいいくらいだ」

 特殊能力と聞いて、そういえばここにいる私以外は霊能力者揃いだったと改めて思い出す。一気に非日常空間を感じて、普通の生活が遠くなったような気がする。

「次に……動画を撮影したと思われる十四名の死亡を確認した」

 示された書類は先日と同じA4サイズの紙に印刷されたもの。前回よりも明らかに人数が増えている。

「ふ、増えてませんか? 先日は十一名って……」

「二名が独り暮らしで発見が遅れたらしい。一名は登山中に滑落して死亡。いずれの遺体も全く乾かない状況で、事件の日は周辺にいたことが交通系ICカードの利用記録から判明している。まだ見つかっていない者がいる可能性もある」

 改めて、あの凄惨な状況を思い出して体が震える。血を吐く男よりも、半笑いで撮影する人々の方が怖かった。そのおそらく全員が死亡していると思うと、あの時の人々は既に悪魔か悪霊か、何か恐ろしい物に憑かれていたのかも。

「各種プラットフォームに上げられた動画は削除が認められて消されている。ただ、動画のコピーを持っている者がかなりの数いるらしい。アップされては消されるいたちごっこだ」

 それはどうしようもないことだと思う。一気に広まったデータを『消すと増える』というのは、ネット上でありがちな話で。

「それから……あの血を吐いた土岐川の持っていたスマホから動画を復元した。……その……出演したという動画の撮影風景と思われるもので……」

 それまでは淡々と話していた雅の言葉が濁っていく。話して良いのか迷っているように聞こえた。

「本来は女性に見せるべきではない見るに堪えない動画なんだけど、どうしても意見が欲しいと思ってね。少し我慢して見てもらえないかな」

 和人にそう言われれば見るしかない。頷くと雅がA4サイズのタブレット端末を出してきた。

「当主、先に俺が確認してからでいいでしょう? ヤバい動画はこいつに見せたくない」

「夜刀、お前はおそらく私や雅と同じ物が見えるだろう。お嬢さんにどう見えるかが知りたいだけだよ。音声は消しておこうか」

 夜刀の言葉を聞いて和人が微笑む。納得できないという顔でさらに抗議しようとする夜刀を止めて、動画の再生を頼んだ。


 タブレット画面いっぱいに表示された動画は、最初は真っ暗。一つ、二つとロウソクが灯り、炎が揺らめく。手持ちのスマホで撮影しているようで、時々大きく画面が揺れる。画面が明るくなると板張りの部屋の中央で、目隠しと猿ぐつわをされて全裸で腕を縛られた女性が吊り下げられ、黒い仮面を付けた男に犯されていた。

 女性の体には鞭で打たれたのか無数の傷があり、男の行為は女性に対する気遣いも容赦もなく乱暴すぎて、音声が消されているのが唯一の救い。土岐川が出演した動画はAVだったのか。

「もういいだろ」

 手を伸ばした夜刀が動画を止めて、自分の手を口元に当てて項垂れた。 

「ど、ど、どしたの?」

「気分悪い。最悪だ。……当主、こんなモノ見せる必要ありますか? ……お前、あれ、どんな風に見えた?」

「どんなって……………………緊縛モノのAV?」

 頬に集まりそうな羞恥を隠す為、なるべく平静を装いつつ控えめな言葉を選ぶ。男三人の前で見る動画ではないと思う。

「AVじゃない。……吊り下げられているのは白骨だった」

「は? いやいや、かなり華奢だけど、しっかりきっぱり女性よ」

 そう口にして、白いワンピースの女性の顔が思い浮かぶ。この動画では目隠しをされていたから同一人物かわからないけれど、すらりとした腕や長い黒髪に共通点がある。

「私や雅、夜刀もそうだが、ある程度の霊力を持つ人間には白骨にしか見えない。こういった動画の多くは霊体が見えるはずなんだけど、この動画には一切残っていないんだ。それなのに陰の気と悪意はたっぷり沁み込んでいる。だから不思議でね」

 三人には白骨を犯している変態男の動画としか見えないのか。想像すると滑稽で、一人で恥ずかしい思いをしているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

「女性は……目隠しと猿ぐつわをされていたので顔はわかりませんが、華奢で長い黒髪でした。……体には鞭で打たれたような傷がたくさん……」

「目隠しか……お嬢さんが目撃した白いワンピースの女性に似てる?」

「断言はできませんが、共通点はあると思います」

 かなり似ている……と思う。それなのに、そこはかとなく違和感がある。

「土岐川は、この動画に出演して霊に憑りつかれたってことかな。それにしても妙な動画だねぇ。こんなものをリアルタイムで配信していたんだろう? 大抵の霊は行動の中にメッセージを残しているものだけど、これは何が目的なのかさっぱりわからないねぇ」

 和人が和服の袖の中、腕を組んで首を傾げる。はっきりとしたメッセージといえば、『我慢できないの』という一言だけ。

「人殺しがやめられなくて、憑りつく為にあんな動画に出たいと思う馬鹿な男を釣ってたんじゃないですか? 完璧にとばっちりじゃないですか」

 夜刀はそう言って溜息を吐く途中で息を止めた。

「待て。何かおかしい。雅さん、もう一度再生してもらえますか」

「ああ。……これは……?」

 再生された動画の端から、虫食いのような穴が広がって白くなっていく。私たち四人の目の前で、動画データは全て消え去った。


 翌朝、夜刀と私は、吐血事件を最後まで撮影していた迷惑系動画配信者トグルマのはらえの神事に同行していた。とにもかくにも解呪のヒントが欲しい。夜刀は猛反対したけれど、私が夜刀の結界の外に出ることで、何らかの接触があることを期待してもいる。

「俺から絶対に離れるなよ」

「わかってる」

 雅が運転する車の後ろを夜刀の車が走る。トグルマの自宅は隣県で、一通りの検死が行われた遺体は管轄の警察署に安置されていた。

「もう一度確認したいんだけど、私の服の色、大丈夫? 明るすぎじゃない?」

 喪服とスーツは却下され、夜刀の指定はラベンダーピンク色のワンピース。お堅い席にはどう考えても不似合い過ぎて不安。

「大丈夫だ。その方がいい。……黒や濃い灰色っていうのは、穢れや陰の気を呼びやすい。今のお前は引き寄せやすくなってるから、明るい色で跳ね返す」

 そういいながら、夜刀自身は白の半そでシャツに黒のズボンと革靴姿。ノーネクタイなだけできちんとしていて、私だけが浮きそう。

「喪服とか黒でしょ? ……あ、だから家に入る前に塩振るの?」

 お葬式の後、家に入る前には塩を体に振って穢れを落とすという神道の風習を思い出した。

「ああ。葬式では死の穢れと共に、他の穢れや陰の気を拾う。葬式でまとう黒は悲しみを示し、死者に寄り添う心情を表す色でもある。黒に惹かれて集まってくるような雑多な穢れは、軽く塩振るだけで簡単に落とせる。身内の葬式では不要というが、できれば振った方がいいな。おっと、曲がるのか」

 前を走る雅の車がウインカーを出して曲がり、車間距離を取りつつ夜刀の車も曲がる。雅に習ったという夜刀の運転は滑らかで丁寧。急発進も急ブレーキもないから安心。

「ナビ通りだったら、まっすぐじゃないの?」

「そうなんだよな。……あー、わかった。あのまままっすぐ行くと、墓地の近くを通るから避けたんだな」

 その一言でピンときた。その辺にいる浮遊霊を拾わないようにということか。霊が視える霊能力者は大変だなと、ふと思う。本当に視えなくて良かった。

 和人と雅の顔が頭に浮かんで、忘れていた疑問を思い出した。

「そういえば、昨日、夜刀の結界の中なのに動画データが消えたのって、どうして?」

「雅さんが外部のネット回線に繋いでたからだろうな。俺の家の回線経由だったら外部干渉をブロックできてたかもしれない」

 雅の凡ミスは珍しいことらしい。驚いたという顔をして夜刀が苦笑する。

「霊って、ネット上のデータも消せるのね」

 雅のタブレット内の動画データだけでなく、弁護士事務所のPC、サーバーに保存されていたバックアップデータも綺麗さっぱり消えていた。

「ああ。昔は電話回線で移動する霊もいた。今はネット回線を介して移動する霊もいる」

「……私の腕の痣は関係ない?」

 夜刀の結界の中、私が受けた呪いが白いワンピースの女性の霊につながってはいないだろうか。理由はわからないけれど、私が白骨動画の存在を知ると同時に、霊にも知られて消された可能性はないだろうか。

「それは関係ない。昨日から何度も言ってるだろ。痣の数が減ってない限り、俺の術は効いてる。お前は絶対に死なせないから心配するな」

 夜刀の言葉は力強くて、その笑顔でほっとした。


 隣県の警察署は、市役所と図書館に囲まれた比較的大きな建物だった。指定されていた駐車場へと車を止めて署内へと向かう。和人が神職の服に着替える間、夜刀と私は警察署前のコンビニに立ち寄ろうと駐車場を歩いていた。

「神主さんの服って現場で着替えるのね」

「その時々だな。時間や場所が限られている時は、そのまま着て向かうこともある。装束のまま車に乗ると背中やら尻にシワが出来て美しくないから、当主はなるべく現場で着替えるようにしてるそうだ」

 八月下旬の空は秋の気配を含んでいても、まだまだ暑い。午後二時という時刻も相まって、太陽はぎらぎらと輝いている。車の中に置いてきた日傘を持ってくればよかったと密かに後悔。

「暑いな」

「夏だもの。涼しかったら、それはそれで問題よ。炎天下で食べるアイスと、冬のこたつで食べるアイスの醍醐味が無くなっちゃう」

「ふーん。アイスか。俺はかき氷だな」

 他愛もない会話で笑う中、ふわりと花の香りが漂ってきた。

「夜刀! この匂い……」

 私がまとっている香りと同じ。そう言い掛けた時、夜刀が後ろに振り向いて、つられて私も振り返る。三メートル程離れた場所に立っていたのは、夜刀と似た服装の男性。右手を中途半端に上げて固まっている。

「あのー、……すいません。その……えーっと……お姉さん、じゃなくて、お嬢さん……」

 どうやら男は私に話しかけようとしていたらしい。必死に言葉を探している様子。夜刀と同年代の男は、茶髪のショートウルフでグリーングレイの瞳。身長は夜刀より五センチくらい低く細身でモデルのような美形。

 髪型も髪色も全く違うのに、何故か私は、カーキ色の国民服を着た男に似ていると感じていた。

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