第十話

「〝浄化の巫女〟というのは、その場に存在しているだけで、周囲を浄化する女性のことなんだ。澱んだ悪い気を祓い、清浄に導く。元々女性には浄化の性質が多少は備わってはいるが、お嬢さんくらいに強烈な浄化力を持っていると〝浄化の巫女〟と呼ばれるようになる。この家は人形に悪霊を封じて保管しているから、どうしても陰の気を引き寄せやすい。廊下や階段にあった陰の気の澱みが綺麗さっぱり消えているのはお嬢さんが出入りしているからだろう」

 和人の言葉はあまりにもファンタジー過ぎて、理解するのは難しい。大体、〝浄化の巫女〟という名称自体が恥ずかしいと思う。

「……あ。だから夜刀は私を雇おうとしてたの?」

 自分にそんな力があるかどうか知らなかったけれど、夜刀は最初からわかっていたのか。

「違う。誤解すんな。…………お前の就職先が全部潰れるのは、たぶんそれが原因だ」

「それ……どういう意味?」

 夜刀の告白があまりにも衝撃的で頭が真っ白になった。全く全然意味がわからない。

「お前の浄化の力が企業内の歪みや澱み、隠されてきた悪い部分を一気に顕在化させる。おそらくお前が仕事に情熱を燃やせば燃やすほど、その力は強くなる」

「待って待って待って。私が仕事頑張るぞーって思ってたのが会社が潰れた原因なんて、ありえないでしょ。たかが一人の新入社員よ?」

 厳しい就職活動を乗り越えて、やっと職に付けたという喜びと同時に、これから一生懸命頑張ろうと誓ったことが原因とは思えない。

「俺も最初はそう思ってたけどな。……出会ってから半年で四社潰れただろ? これはマジでヤバいと話をするべきか迷ってた」

 知っていたなら早く教えて欲しかったとは思っても、いまだに就職したいことには変わりはない。この呪いが解決次第、すぐにでも就職活動を始めるつもりでいる。

「じ、じゃあ、頑張るぞーって思わずに、適当でいいかーと思ったら潰れない?」 

「それはわからない。それなりにデカい会社なら体力も柔軟性もあるだろうとは思っていたが、この前社長一家が夜逃げした会社の例もあるからな」

 先日潰れたあの会社は、この辺りではそこそこ有名な老舗の企業だった。

「だ、だったら……超有名一流企業なら大丈夫かな?」

 ごく稀に求人を見かけることはあっても、最初から一流企業は無理とあきらめていた。次からは選択肢に入れるべきかも。

「一流企業に適当でいいかーで入れると思うか?」

「…………思いません」

 夜刀が正論過ぎて、ぐうの音も出なくて拳を握る。これまでの採用も就職活動を必死に頑張った成果だと思っている。

「今の話を聞いた限りだと、お嬢さんは潰れた方がいい会社に呼ばれているんじゃないかな。会社自体に守護霊が憑いていることがあるんだけど、そういった存在が浄化してほしいと呼んでいるのかもしれないね」

「……それならいいのですが……」

 私が目に見えてへこんでいるからか、和人がフォローするような言葉を紡いでくれても心は晴れない。浄化と聞いて、最近何度も耳にしたなと何か心に引っ掛かる。

「浄化……浄化……? ……あ! もしかして鎌倉時代の武将が成仏しちゃったのも私のせい?」

「……ああ。お前が作った服が浄化を加速させて、言霊でとどめを刺した」

「言霊? 私、何か怖いこと言った?」

 悪霊にとどめを刺せるほどの言葉。自分があの時、何を言ったのか思いだそうと努力してみても、全く記憶に残っていなかった。

「お前が言った『可愛い』がとどめになった。そもそも『可愛い』という言葉は強力な言霊を秘めてる。『可愛い』は均整の取れた美しさや綺麗さではなく、多少の不格好さがあっても愛嬌があるということだ。愛嬌というのは美醜を超え、人の心を和ませて場を柔らかく整える。すべてを許容し、包み込む寛容の心を発生させる。だから『可愛い』は最上に近い誉め言葉であり、言祝ことほぎの力が強い」

 その一言で夜刀が祓いきれなかった悪霊が成仏したとは俄かには信じがたい。

「よくわからないけど、そんな力があるのなら、気軽に『可愛い』って言えなくなるじゃない」

 私に限らず、多くの女性はどうしても可愛いものを見ると『可愛い』と言ってしまうし、何でも『可愛い』で表現しがち。たった一言に、強い力があるのなら、気軽に使ってはいけないのだろうか。

「そうじゃなくて。祝いの力があるからこそ、もっと言っていいってことだ。体の大部分が水で出来ている人間は、水と相性の良い陰の気をすぐに呼び寄せる。だから笑って陽の気を出して、言葉で祝うことでバランスを取る。……あの武将が八百年以上抱え込んでた陰の気を、お前の浄化力と『可愛い』という陽の気を持つ言葉でぶっ飛ばしたんだ」

 言葉にそんな力があるなんて知らなかった。

「『可愛い』で陰の気を祓うことができるって知ってるなら、夜刀も言えばよかったんじゃない? もっと早く成仏させられたかも」

「……あいつは人形を持った俺に『視覚の暴力』とまで言い放ったんだぞ。そんな俺に『可愛い』だの『綺麗』だの言われて素直に聞くと思うか?」

「あ。そういえばそうね」

 そうか。長年の敵同士みたいな間柄では、明るい言葉は通じないのか。

「それに残念だが、俺はお前ほどの浄化の力はない。きっと俺が千回言ってもお前の一言には敵わない」

 夜刀が口を引き結ぶ顔が拗ねているように見えてしまった。それを可愛いと言ったらますます拗ねてしまうだろうか。

「そうか。あの武将の霊を浄化したのはお嬢さんだったのか。就職先を探しているのなら、解呪の後、うちの神社で巫女をするのはどうだい? 給料は弾むよ」

 和人の言葉にぐらりと心が揺れつつも、あの石階段を思い出して無理だと思う。

「ありがとうございます。ですが私は会社員を目指したいと思っています」

 正直に言えば、この快適な都市部から離れるのがツラい。徒歩圏内で電車に乗れて、コンビニやスーパーが近くにある恵まれた環境を経験してしまった今では、山の中へ戻るのは相当な勇気が必要。ここから車で一時間半の八條家の神社の周囲には、山と田畑しかない。身分証替わりの原付免許しか持っていない私は車の免許を取る必要も出てくる。

「それは残念。まぁ、いつでも気が向いたら連絡を。……ということで電話番号……」

 和人がスマホを取り出し、夜刀が取り上げる。

「電話帳が寂しいからっていうくだらない理由で俺の婚約者をナンパしないでください」

 そうだった。今は夜刀の婚約者という設定になっていたことをすっかり忘れかけていた。

 夜刀が取り上げた和人のスマホが鳴り、画面には可愛らしい黒猫のキャラクターのアイコンと雅の名が表示されていた。

「……当主、良い趣味をお持ちで」

「誤解しないでくれたまえ。雅の趣味だよ」

 互いに半眼でスマホをやり取りし、和人が電話に出た。雅は顔に似合わず可愛い物好きなのか。

「ああ、はいはい。私は夜刀の家にいるよ。……残念ながら当初予定の場所は反対があってね」

 和人と雅の電話のやり取りは短く終わり、雅がここへ来ると言って電話が切れた。


 十五分後、雅は黒い高級国産車に乗って夜刀の家に現れた。夜刀が迎えに出て、一緒に居間へと戻ってきた。

「君を危険な目にあわせてしまって、本当に申し訳ない!」

「待って待って待って! 土下座禁止ーっ!」

 土下座しそうな勢いの雅に駆け寄って、ぎりぎり押しとどめてほっと息を吐く。

「私が離れるようにお願いしたので、私の責任です。私のワガママで、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」

 頭を下げたくても近すぎて下げられない。背の高い雅の顔を見上げつつ、離れると土下座されそうなので、どうしたらいいのか迷う。

「いや。私の方が……」

 至近距離で謝罪合戦になりかけていた私たちの間に夜刀が割り込んできた。

「愛流が無事だったので、どうでもいいです。それよりも、雅さんの話を聞かせて下さい」

 そういいながら、夜刀が私の肩を掴んで雅から引き離す。

「雅、夜刀もそういってるし、お菓子でも食べながら話を聞こうか」

 にこにこ顔の和人が促すと雅が渋々といった表情で頷く。いつの間にか和人の手には有名和菓子店の茶色い紙袋が下げられていて、どうやら雅が買ってきた物らしい。

「……和人、彼女への謝罪の品を、何故お前が開けるんだ」

「まぁまぁ。変な霊がついてないかチェックするだけだから」

 雅が止めるのも聞かずに和人は居間のテーブルで紙袋から次々と紙箱を取り出して広げる。雅のセレクトはとても可愛らしくて、綺麗な花を模した練り切り詰め合わせと、猫の形をしたお饅頭。肉球の焼き印が押されたどら焼き。小瓶に入った金平糖やカラフルな飴。この強面で選んだのかと思うと、何故か私の方がどきどきする。

「お嬢さん、和菓子は平気かな?」

「はい。甘い物は大好きです」

 洋菓子も好きだし、和菓子も好き。ましてやデザインが可愛らしくて凝っている。拒否する理由が思い浮かばない。ちらりと、先ほど和菓子店で置き去りにされた霊のことが脳裏に浮かぶ。私が呪われていなければ、この和菓子を一緒に楽しむことができたのに。

「おい、お前。変なこと考えてないか?」

「へ、変なことなんて考えてないってば。さっきの和菓子好きの霊が見たかっただろうなーって思っただけ」

 夜刀の問いにびっくりして、変な声になってしまった。

「愛流……そういうこと考えると、霊に憑かれやすくなるからやめろ」

「そうなの?」

「下手な同情やら憐れみは、霊を引き寄せる。霊から見れば、仲間になってくれるかもしれない人間。つまりは『同じ立場になるために殺してあげるから、お友達になろうね』って思われるんだぞ」

 その衝撃的な内容よりも、夜刀の女言葉が不気味で引いてしまうのは仕方ないと思う。

「こらこら。夜刀。変な例えで脅すのはやめなさい。お嬢さんは元々共感性が高いのかもしれないが、今は呪いのせいでその特性が強まっている可能性もあるから仕方ないよ。……この状態のお嬢さんがあの御遺体に会ってたら、あの男の霊が強力に憑りついて除霊に苦労しただろうね」

 夜刀の言葉よりも和人の言葉の方が怖いのは気のせいだろうか。

「呪いを掛けられて、性格が変わってしまうということもあるんですか?」

 自分の性格が変わったようには感じない。ここ数日で霊について考えることが多くなったから、ついつい霊寄りの思考になっているとは思う。

「それはあるよ。怒りやすい性格がおとなしくなったり、これまでは食べなかった物を好んで食べるようになったりと、性格だけでなく嗜好まで変わることもある。何か変わったことはある?」

「いいえ。全く思いつきません」

 私の答えを聞いて、ほっとした顔の夜刀が立ち上がった。お茶を淹れるというので、一緒に台所へと向かう。


「誤解するなよ。俺はお前の浄化の力をあてにしてるんじゃないぞ」

 やかんでお湯を沸かしながら、真剣な表情の夜刀が私へと話しかける。

「じゃあ、どうして私を雇おうと思ったの?」

「……もう一度俺にあのセリフを言えというのか……」

 何故か夜刀は遠い目をして呟く。

「別に言わなくていいわよ。だって、私は正社員をあきらめていないもの。就職活動は頑張って、入社後は適当に過ごすというのが新たな目標よ」

 山の中の神社の巫女はお断り。何とかして正社員として会社に潜り込み、おとなしく平凡な日常を過ごしたい。

 私の決意を聞いた夜刀は、深い深い溜息を吐いて口を引き結んだ。


 お茶を淹れて居間に戻ると、雅が書類を広げた。

「路上で水死した十一名の氏名と職業、動画をSNSに公開したと思われる八名のハンドルネームの一覧だ。この二名は家族から返信があって、本名と住所が確認できているが、他は確認作業中だ」

 A4サイズの紙に印刷された名前やハンドルネームを見ても、全く心当たりも見覚えもない。本当に知らない人々が勝手に撮影して動画をネットに流したのかと再度確認して、心が冷えていく。

「……会社員とか、ちゃんとした職業なのに無断で撮影した動画アップしたりしちゃうんですね……」

「残念だが、職業も年齢も関係ない。動画サイトやSNSに慣れ過ぎて、基本的な倫理観が異常をきたしている人間が一定数存在している。俺が取り扱う案件でも『皆がやっているから自分もやっただけ』と何が問題なのかすら理解していない者ばかりだ。実際は肖像権の侵害や名誉棄損、酷い場合は脅迫罪に該当することもある。今回は理解する前に、おそらく撮影者全員が命を落としているようだが。……代償は大きいな」

 雅が小さな溜息を吐いた。家族から返信があった二名の本名は、水死した十一名の名簿の中にあった。

「死んだからといって、許されることではないよ」

 さらりと挟まれた和人の言葉は私の気持ちと一致していて、妙な安心感が心に広がった。冷酷と思われるかもしれないけれど、撮影者たちの自業自得と感じてしまうのは否めない。SNSで拡散された動画はこの先消えることはなく、私は無責任な憶測や噂に一生付きまとわれる。

「動画を公開した人の中に、この動画配信者はいないんですね」

「確認中だが、削除された再生数百万回超えの動画というのが、この古見浦こみうら 達樹たつきという男が公開したものだと思われる。……いわゆる迷惑系動画の配信者で有名なトグルマだ」

「そのハンドルネームは知ってます。動画に出ている時には、いつも青い鬼の面を被っている人ですよね」

 見ず知らずの人に悪戯を仕掛けたり、有名人の家に押し掛けたり、時には犯罪の被害者や家族に突撃したりする動画は世間の批判をいつも浴びていて、何が面白いのかさっぱり理解できなかった。それでも動画のチャンネル登録者ファンは五十万人を超えている。誰に迷惑を掛けても謝罪しないし、訴えられると裁判の呼び出しの書類を公開してまた炎上させていた。

「雅、その消された動画を見る方法は無いかな」

「……そうだな……いろいろ方法はあるが、御遺体のはらえの神事の際に理由を付けてスマホと自宅PCを確認するのが一番早いだろう」

「元の動画ファイルも消された可能性は?」

 和人と雅のやり取りを聞いていた夜刀が疑問を挟んだ。

「物理的に完全破壊されていなければ、削除されていても復元の可能性はある。完全消去を謳う削除ソフトを使用していても、元に戻せる確率はゼロではない」

 雅の言葉は経験を含んでいそうで、私は頼もしく感じていた。

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