第六話

 神社から屋敷の部屋に戻っても、しばらくは誰も言葉を発しなかった。

「……呪いを掛けた女性霊の望みを叶えることが解呪条件だとは聞いていたんだけどね。……まさかそこまでとは思わなかったな」

 和人がため息交じりで口を開いた。新居や家具を用意し、夫として過ごすこと。新婚の女性にとっては、とても苦しいことだと思う。

「今回の場合は、お嬢さんが夜刀と婚約しているのがムカついたってことになるのかな」

「待ってくれ。まず呪われるきっかけがわからない。彼女は花を手折った。愛流は何もしてない。そうだよな?」

 夜刀に問われて、何度も頷いてしまう。私は何かを持ち去ったりはしていない。

「それなら……死んだ男は謎の動画に出演して、女に憑りつかれていた。そのターゲットに声を掛けたことで、横取りしたと思われた……とか? どうにかして女性の霊を呼び出して呪った理由を聞き出すしかないが……何か残っていないのかねえ?」

 声を掛けただけで横取りしたなんて普通は考えないと思う。恨みを強く持って死んだ霊は、正常な判断力を持ってはいないのかと考えて、だから悪霊になるのかと思い直す。

「何か残っていないか確認したが、愛流の体に残った死臭と痣だけだ」

 夜刀の表情は硬い。スーツやカバンの確認をしている時、私も横で見ていた。私の手が離れると、あれだけ匂っていた甘い花の香りはスーツやカバンから綺麗に消え失せた。

「死んだ男の方をあたるしかないのか。お嬢さん、警察から何か聞いてる?」

「あの男性は土岐川栄樹ときかわ えいきという人です。九州に住む三十一歳の会社員ということしかわかりません。あとは司法解剖になると聞きました」

 相手は運転免許証を持っていて、身元確認はすぐに行われた。取り調べの中で知り合いではないかと何度も確認されたものの、相手は遠方に住んでいて経歴も職歴も生活圏にも一切接点がない。変死扱いで司法解剖に回されると言っていた。

「司法解剖に回るなら遺族への遺体の引き渡しは数日かかるな。私が一度見てこよう。……ああ、お嬢さん、驚かせてしまったかな。警察も検死の医者の方にも伝手はあるんだ。年に数回、警察の手には負えない不可思議な事件というものがあってね。そんな時に呼ばれるんだ。酷いことにタダ働きだよ」

 肩をすくめて和人が苦笑する。

「俺も行く」

「それじゃあ、向こうの都合を聞いて連絡する。……お嬢さん、洋子さんが助かっているし、夜刀は洋子さんの夫よりも霊力は強い。あまり心配しなくていいよ」

 和人の言葉が明るいのは、私の心配を軽くするためなのだろう。和人に対して何か言おうとした夜刀は何故か口を引き結んだ。

「……どうかよろしくお願いします」

 何の役にも立てそうにない私は、二人に頭を下げることしかできなかった。


 本家を出てファミレスで軽めの夕食の後、シェアハウスに夜刀の車で到着したのは午後九時過ぎ。電子カードキーで玄関を開けて、一階の居間へと向かう。このシェアハウスでは居間の壁に設置された白板に在室かどうか表示する義務があり、たとえ短時間の在室でも避けては通れない。白壁の居間に入ると部屋着姿でゲームをしていた二人が振り返った。

「あ! 愛流! お帰りー!」

 私と同い年の二人は、同級生。ハンドクラフト趣味で稼ぎつつ、派遣社員をして生活している。

「ただいまー」

 誰かがゲームをしている時には邪魔をしないという暗黙のルールがあって、挨拶だけで自分の部屋に戻ろうとしたのに二人が駆け寄ってきた。

「ねーねー、愛流、動画見たよ! あれって、マジで事件? それともドラマ?」

「え?」

 何を言っているのかわからずに固まっていると、二人が早口で話し出す。

「男が血を吐きながら、愛流にしがみついてるヤツよ。ネットで動画がいっぱい流れてるの。あれ、愛流でしょ?」

「昨日帰ってこないし、連絡もないから、皆で心配してたのよ!」

「あ、ご、ごめんなさい。心配掛けて……」

 心配していた割には、目が輝いているように見えるのは何故なのか。声もハイテンションで明るい。

「凄いよ! 愛流、有名人だよ! 百万再生超えた動画は何故か削除されちゃったけど、ショート動画で五十万回超えはいくつもあるし! 凄いじゃない!」

 有名人? 百万再生? 二人の嬉々とした声が耳を通り抜けていく。

 ――これは、誰なんだろう。

 何か私の心のスイッチが、ぱちりとオフになったような気がした。友人だと思っていた人間が知らない人のように見える。とばっちりで血を吐かれて、呪われただけで全然凄くも何ともない。……凄いって気軽に使っているけれど、その言葉に隠された意味は何なのか。

「ねえ、警察で泊まってたの? 留置所?」

「もう、何言ってるの? 愛流は迷惑掛けられた被害者なんだから違うわよ。警察が用意したホテルとかじゃないの? カッコイイ刑事とかいた?」

 二人の盛り上がる勢いは止まらない。鼻息荒く詰め寄られてパニックになりつつも、どこか冷静になっている自分を感じている。

「え、えっと。き、昨日は警察行った後、彼氏の家に泊まってたの」

 偽婚約者とも言えず、とりあえず彼氏と口にすると二人はさらに目を輝かせる。

「えーっ! 愛流、彼氏いたんだ? じゃあ、血を吐いてたのってやっぱストーカー?」

「ストーカー?」

 どうしてその単語が出てくるのかさっぱり理解できなかった。

「別れ話のもつれで男が毒飲んで自殺したんじゃないかって言う人と、愛流はスーツ姿だし嫌がってるからストーカーじゃないかって言う人がいてね、もう酷い人だと別れる為に愛流が毒飲ませたんじゃないかって言うのよ! あ、絶対そんなことないって私たちは言ってたのよ!」

「ぜ、全然知らない人に決まってるじゃない。私は就職の面接に行く途中だったし、ただの通りすがりよ」

 答えながら血の気が引いていく。私は気分が悪いと言っていた人に声を掛けただけなのに、そんな風に言われているなんて全く考えもしなかった。

「ねえ、詳しく話を聞かせて!」

 声をそろえた二人の姿が不幸を楽しんでいるように見えて、背筋がぞっとした。何か人ではない、恐ろしいバケモノのように感じる。

「え、えっと。その、警察から詳しいことは話すなって言われてるから」

 口止めはされてはいない。私が知っていることは全部話して調書も作ったし、後日追加で取り調べが必要な時は連絡すると言われているだけ。男が口にしていた動画のことも、姿を消した白いワンピースの女性と、最後まで動画を撮っていた男のこともすべて話した。女性と動画撮影の男のことは事件には関係ないと、調書には採用されなかった。変な女と思われても、警察に聞かれたのだから全部言っておかなければという義務感が強くあった。

「えー、誰にも言わないから少しだけー。お願いっ。ねー、いいじゃん、友達でしょー? 皆で一緒にお菓子食べながら、ちょーっと話すだけでいいからさー」

 友達という言葉が、これほど軽薄に感じたことはなかったように思う。私が経験した不幸は、彼女たちにとってお茶請けに消費する娯楽にしか過ぎないのだと衝撃を受けた。

「ご、ごめん。これからまた出かけるから。外で彼氏に待ってもらってるの」

「え? 外で待ってるの? マジで?」

 目を丸くして驚いた二人が外が見える窓へと向かうのを横目で見ながら、私は二階の自室へと駆け上がった。 


 二十分後、着替えや靴を詰め込んだスーツケースを持って、私はシェアハウスの外で待っていた夜刀の車に乗り込んだ。見送る友人たちの顔は私を心配しているのではなく、詳しい話が聞けなくて残念そうに見えて仕方ない。事件がきっかけで私の心が歪んでしまっているのか。それとも……。

「……愛流? どうした?」

 遠くなっていくシェアハウスをサイドミラーで見ていると夜刀が声を掛けてきた。

「……もうあの部屋には戻れないかも。…………ちょっと無理」

「言える範囲で理由を聞かせてくれないか」 

「……昨日の事件の動画がネットにアップされてるんだって。顔もばっちり映ってるみたいで……変な噂にもなってるって……」

「変な噂?」

「別れ話で揉めて男が自殺した……とか死んだ人が私のストーカーだったとか……私が……毒を盛った……とか」

「……それは……酷いな」

 私の話を聞いた夜刀は口を引き結ぶ。ぎりりと歯噛みする音が聞こえた。悔しいと思ってくれているのだろうか。この気持ちを共有してくれているだけでも、悔しさが和らぐ。

「昨日の件って、ニュースとかになってた?」

「いいや。昨日の夜から大物芸能人の離婚がトップニュース扱いだった。今朝の新聞もチェックしたが報道はされてない。はっきり言えば、一般人がカフェイン中毒で突然死というのはニュースにもならないだろうな」

 その言葉で少しだけほっとしても、全然安心はできなかった。私の知らない所で動画が出回っているという事実は重すぎる。動画も写真も拡散されたら完全削除は不可能と理解はしていても、SNSで顔出ししていない自分が被害に合うとは想像もしていなかった。

「刑事さんは司法解剖回すからって詳しい死因とか教えてくれなかったけど、やっぱカフェイン中毒ってことになってるのかな」

「おそらくな。霊に取りつかれて死んだより、カフェイン中毒で死亡の方が現実的だろ」

 男が座っていたベンチの周囲に散らばっていたカフェイン入りドリンクの瓶と空になった薬の包装シートの光景が脳裏に浮かぶ。一日の上限がどのくらいなのかわからないけれど、あれだけの量を飲めば体に影響があるだろう。

「動画のこと、警察に相談したら何とかなるかな?」

「どうだろうな……難しいかもしれないな。……本家の顧問弁護士に頼んでみるか」

「弁護士? どうして?」

「肖像権の侵害と名誉棄損で動画の削除を各プラットフォームに申請する。……悪いが完全削除は難しいかもしれない」

「夜刀が謝る必要ないわよ。悪いのはアップした人間だし、ネットに流れたら完全削除は難しいっていうのもわかってる」

 それでも気分は最悪。無断で切り貼り加工されたり、面白可笑しく心無いコメントが付けられてネット上に永遠に残るのかと思うと胃が痛くなってきた。

「まずは呪いを解くことを優先……ごめんなさい。夜刀に迷惑ばっかかけちゃうね」

 元凶はおそらくあの白いワンピースの女性。何が理由なのかさっぱりわからないけれど、彼女が満足する為に何が要求されるのだろうか。

「そもそも、呪われた時点では愛流と俺はつきあってないし婚約もしていない。ってことは、何か別の要求があるんだと思うぞ。俺はお前が助かればそれでいいから、迷惑かけたくないとか遠慮するな」

 そう言って笑う夜刀がいつもより凛々しく見えて、私は戸惑うしかなかった。


 翌朝、スマホで朝六時に目覚ましアラームを掛けていたのに、何故か八時に起きてしまった。慌てながら着替えて階下に降りると、真新しい新聞を持った深緑色の作務衣姿の夜刀と出会った。

「おはよう、夜刀。へー。紙の新聞なんて久しぶりに見たー」

「おはよう、愛流。あのシェアハウスでは新聞を取ってないのか?」

「仲介業者から、最初にどうするか聞かれた時に六人全員がいらないって答えたの。だって年間にしたら結構な金額でしょ。ニュースなんてスマホでいつでも見れるし。それだけあったら別のことに使った方が有意義だもの」

 実家の両親は新聞を取っていた。毎朝、会社員の父親が新聞紙を広げてニュースをチェックしている姿を見慣れていたけれど、私自身は手に取ることもなかった。

「まぁ、仕事に関係ないなら、その選択はありだな」

「〝拝み屋〟の仕事に新聞って必要なの?」

「必要だな。事件や事故の情報と、最低限の時事問題は押さえておきたい」

 事件や事故のことは〝拝み屋〟の仕事に関係がありそうだと思っても、時事問題が関係あるとは思えなかった。

「今や新聞紙は絶滅危惧種だ。古いと言われるが俺は紙の方が見やすくて頭に入りやすい。以前は六社取ってたけどな。二社潰れて一社はデジタルのみになって、残ったのがこれだ。そろそろ一社潰れそうだな」

 よく見れば、夜刀が持つ三部の新聞はどれも違う社のもの。

「新聞って書いてある記事はどれでも同じじゃない?」

 日本で起きる大事件なんて限られているのに。

「そうでもない。社によって報道内容に偏向があるからな。同じ事件を取り扱う記事を複数付き合わせて読むことで書いてないことや隠されてること、世論誘導の方向が推測できたりする。気になる記事があればネットで深掘りして一次情報を探す。……なんだこれ?」

 テーブルの上に、夜刀が新聞を開いて並べていく。三紙共に大きな見出しで目に飛び込んできたのは『路上で謎の水死相次ぐ』という記事だった。道を歩いていた人が、突然水死するという事件が別の場所で同時に起こったと書かれている。犠牲者は九名。年齢も職業もバラバラで共通点はない。そんな中、一人だけ写真付きで動画配信者と紹介されていた。

「……夜刀、この人……見たことある」

「どこで見た?」

「……あの時……スマホで最後まで撮影してた人」

 間違いない。SNSから拾ったものなのか、ふざけた顔で撮影された写真を見て、私はあの時感じた別の恐怖を思い出していた。

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