第二章

第七話

 和人からの電話を受けて、夜刀と私は警察署近くの公園で待ち合わせをすることになった。平日の公園には、近くの保育園の子供たちが遊んでいて可愛らしい歓声と笑い声が満ちている。この明るくて賑やかな場所を待ち合わせに選んだのは、霊と呪いが持つ陰の気を抑えるためと夜刀に説明を受けた。日光の下、確かに陽気な空気が流れている。

「保育園や小学校の子供の声がうるさいっていうクレームがあるって、たまに聞くだろ? あれはクレーマー本人に陰の気が溜まって、陽の気に耐えられなくなった結果だ」

「そうなんだー。後から引っ越してきて文句言うワガママな人って思ってた」

「そういうヤツは初めから引っ越してくんなって話だな。もともとは平気だったのに、突然我慢ができなくなったっていうパターンが一番ヤバい。陰の気は凝り固まると病気を呼ぶから、体か心のどこかで病気が始まってる可能性が高い」

「近所で遊ぶ子供の声がうるさいっていうのも?」

「いや、それは陰の気どうこうの話とは違ってくるな。親の躾ができてない子供が遊びを超えて暴れてたら怒りたくもなるだろ。公園ならまだしも、道路や他人の敷地で暴れて事故られたら困るしな」

「そっか。それだとクレーマーじゃなく迷惑掛けられた被害者よね。複雑ー」

 出会って半年、これまでは人形の話題が多かったのに一昨日からは様々な話をしている。こうして話していると呪われているという恐怖が紛れて、普通の日々のような気の緩みも感じていた。左腕の痣は夜刀の霊力による封印結界のおかげでまだ一つも消えてはいなかった。呪いの香りは強いものの、徐々に慣れてしまってきている。和人や洋子が口にした〝浄化の巫女〟について夜刀に聞いてみたのに、解呪のめどが立ったら話すと約束されただけ。夜刀に何も返せない私は、それ以上を聞くのはためらわれた。

「どうやったら陰の気が解消できるの? やっぱ滝に打たれるとか禊とか?」

「そこまでするのは行者か特殊な人間だけだろ。普通の生活で溜まる陰の気を解消するには酒一合か二合と粗塩一掴み入れた風呂で十分だ。あとは毎日日光を浴びたり、それこそ童心に帰って遊ぶとか本を読むとか、人それぞれ解消方法は違う。誰でも出来て手っ取り早いのは睡眠だな。さほど疲れを感じていなくても、異常を感じたらとにかく寝るといい。二十分の昼寝でも効果はある。……呪いを受けてから睡眠時間が長くなってるだろ? それは無意識に陰の気を散らそうとしてるからだ」

 成程。だから起きられないのか。

「……来たな」

「わかるの?」

「当主の方じゃないヤツの気が半端なく強烈だからな」

 夜刀の言葉がどういう意味なのか聞こうとしたとき、曲がり角から和人が姿を見せた。淡い灰水色の紗の羽織と着物の組み合わせが涼やか。

「やあ。こんにちは。お嬢さん」

 にこにこと優しい笑顔の和人の横で、鉄紺色のスーツ姿の体格の良い男性が険しい表情で佇んでいた。和人と同じ三十前後だろうか。和服姿の和人と並ぶと護衛のような雰囲気が漂う。

みやび、もう少し愛想よくできないか?」

「和人、俺に愛想は求めるな。……叡山えいざん雅です。初めまして」

 雅という名前がこれほど似合わない人も珍しいと思う。夜刀はすでに知り合いのようで、私だけが名前を名乗って挨拶をした。

「雅はうちの顧問弁護士なんだ。親父さんの代から世話になってる」

 弁護士と聞いて、さらに困惑してしまうのは何故なのか。どこかのジムのインストラクターやSPと言われた方がしっくりくる。弁護士という職業の印象から、書類ケース等を持っていないのも違和感がある。

「お嬢さんの話をしたら、司法解剖なら事件性があると思われてるはずだって雅が言うから連れてきた」

「事件性がある? 一昨日は全然そんなこと……」

「執拗に同じ質問を繰り返されたり、所持品検査をされなかったか?」

 雅に言われて思い返せば、何度も何度もしつこく知り合いかどうか聞かれたし、女性警察官に所持品検査をされた。これまで、警察の取り調べを受けたことがなかったから、それが普通と思っていた。

「……死因が不明で即日拘束できるほどの理由はないから、誰か見張りに付いているはずだが……それはなさそうだな」

 雅は私の背後をさっと見ただけで断言した。そんな程度でわかるものだろうかと考えて、もしかしたらこの人も何か霊能力か特殊能力があるのかもしれないと思い至った。


 四人で警察署に入って受付に向かった途端、カウンター内にいる十数名の空気が変わった。一昨日はもっと和やかな雰囲気だったのに、打って変わってぴりぴりとした緊張感を漂わせていた。私の顔を見て、あっという表情をした人もいる。

「八條様、本日はどういったご用件でしょうか」

「こんにちは。藤内さんから呼ばれてきました」

 和人の返答を聞いて、応対した受付の中年男性の表情がますます緊張の色を帯びた。あの血を吐いた男性の遺体を見に来たはずなのに、呼ばれてきたというのはどういうことだろうか。

「ということは……つまり……あの変死体は……」

「はい、ストップ。この件には可能な限り関わらないように。事務的な対応にとどめておいてください。他の人に話すこともやめておいたほうがよさそうですよ。……同じ目にあいたくないのでしたら」

 にこにことした和人の口からでた言葉は、周囲の人々の顔色を悪くさせるのに十分な効果を見せた。

「で、では、こちらへどうぞ」

 青い顔をしたままの中年男性はそう言って、私たちを警察署内の応接室へと案内した。立派なこげ茶色の革張りのソファと飴色の木製のローテーブルが置かれた室内は、壁面にモニタが埋め込まれているだけで他に何の家具も置かれていない。

「こちらで少々お待ち下さい」

 中年男性が頭を下げて扉を出て行くと、和人が肩を落として溜息を吐いて苦笑する。

「呼ばれて来たってどういうことですか?」

「藤内さんに電話したら、私にどうしても見て欲しい御遺体があるというから一緒に片付けることにした。電話では話せないと言っていたけど、署員のあの様子だと相当異常な件だろうな」

 夜刀の問いに和人はそう答えて肩をすくめた。藤内は警察署長らしい。

「どの事件ですか?」

「さあ? 私があらゆる先入観を持たない為に、新聞を読まないようにしているのは知っているだろ?」

 その言葉で私が驚いたのが伝わってしまったのか、和人が笑う。

「山奥の神社の宮司というのは便利でね。多少世間知らずでも許してもらえる」

 複数の新聞を読んで事件の情報を把握する夜刀と違って、二人の霊能力者としての事件との向き合い方は全く異なっている。テレビもネットも見ないと聞いてさらに驚いた。

「ネットといえば、お嬢さんが災難にあったようだね」

「和人、お前は身内認定すると口が羽のように軽くなるのをやめろ」

 雅の顔がますます険しくなり、対照的に和人が笑顔を増す。この人も夜刀と同じで和人にからかわれる分類なのか。身内認定という言葉がむずがゆい。

「申し訳ない。あとで話す予定だったが気になるだろうから一部話しておく。夜刀から受けた動画の件は削除申請がネット上で出せる会社には出しておいた。連絡が取れる個人に対してはスタッフが接触しているが、妙な事態になっている」

 雅は大きく溜息を吐いて一気に話し出した。

「妙な事態?」

「自ら撮影した動画をネットにアップしたと思われる八名の人物のうち、二人が死亡している。家族が返信してきて判明した。他の六名からは返信がない」

 雅の話を聞いて、今朝の記事と繋がった気がした。夜刀も同様に思ったらしく、二人で顔を見合わせる。

「どうした?」

「……あの時、最後まで撮影していた人が昨日死亡していました。道を歩いていて、何故か水死したと新聞に」

「路上で水死? それはまた妙な死に方だな」

 和人が首を傾げた時、扉が叩かれて年配の男性が入ってきた。水色のワイシャツにノーネクタイの夏用の制服姿。穏やかな笑顔を見せてはいてもドラマや映画で見る警察の偉い人という圧力めいた空気を感じる。

「八條さん、このお嬢さんはどなたですかな?」

「私が確認したいと申し上げた御遺体の第一発見者、というより被害者でしょうか」

 和人の言葉を聞いて藤内の顔が渋くなった。

「死因が明確になるまで関係者には……」

「お嬢さんには外で待っててもらいます。それでよろしいか?」

 和人の確認には強制が込められていて、藤内は圧されるように渋々承諾した。


 警察署の中は複雑で、ざっくりとした案内地図板と部屋の前に付けられたプレートしか表示がない。その案内地図にも何も描かれていない部分が多く、地下に降りると自分が今どこにいるのかわからなくなっていた。

「向こうは留置場やらいろいろあるからな。絶対に行くなよ」

「そんなのわかってる」

 子供じゃないのに。隣を歩く夜刀の言葉に反論しそうになって、振り返ったにこにこ顔の和人の視線に気が付いて口を閉ざす。何故か夜刀も顔を赤くしている。

 迷路のような廊下を歩き、一際暗い廊下の奥に遺体安置所はあった。

「ここに八條さんに見て頂きたい御遺体と、ご覧になりたい御遺体が安置されています」

「……できれば彼女の入室を許可して頂きたいのですが」

 いざ、私が廊下で待つとなった時、夜刀が迷いを見せた。

「じゃあ、雅がお嬢さんのボディガードをしばらく務めるということでどうかな? 雅は霊体を物理的に殴ることができるから、安心していいよ」

 霊を殴り飛ばす屈強なスーツの弁護士。その姿が簡単に想像できて、変な笑いが込み上げてきた。必死に笑いをこらえつつ頷く。

 夜刀と和人、藤内が安置所の中へと入り、雅と私が少し離れた廊下で待つ。

「霊って、殴れるんですね」

「……困ったな。俺は単に変質者を殴ってるつもりだ。女は絶対に殴らないが、俺と目が合うと何故か逃げる。……ネットの動画の件は気にならないか?」

「正直に言うと、気になります。……夜刀といろいろ話しているから気が紛れていますが、独りでいたらスマホやパソコンで動画を探したりしていたかもしれません」

 ふとした瞬間に思い出すのは、友人たちの好奇の目。男が血を吐いて縋ってくる光景は、どんな風に写されているのか。全く見ず知らずの相手なのに、勝手に恋人やストーカーと言われ、挙句の果ては私が殺人犯。動画を見た人全員に説明する機会も与えられず、面白可笑しく揶揄されるのを一方的に受けるしかない。『人が一人死んでいるのに不謹慎』なんていう言葉は瞬間の娯楽を求めるだけの人々には無意味だと知った。

「状況を説明する動画とか、アップするというのはどうでしょうか」

「それは勧められない。不特定多数の悪意を持つ人間に玩具になる『素材』を提供するだけだ。これ以上玩具にされないよう可能な限り手を回す。名誉棄損に該当する者は、時間は掛かるが警告していく。悔しいとは思うが、しばらくは我慢してほしい」

 雅の言うことは頭で理解はできても感情が納得できない。溜息を吐きかけた時、何かがぶつかる大きな音と女性の叫び声が廊下に響き渡った。

「誰か助けて! 誰か来て! 助けて!」

 甲高い女性の叫び声と、がんがんと何か硬い物がぶつかるような大きな音が混じる。反射的に声の方向へと走りだそうとして、雅が私の肩を掴んで止めた。

「危険だ。ここは警官に任せて関わり合いにならない方がいい」

「で、でも、助けを求めてますよ?」

 音は激しさを増し、叫び声は切羽詰まっているように思える。私の数度の訴えで雅は視線を揺らした。

「……俺が見てくる。君はここで絶対に動かないでくれ」

 その言葉に頷くと雅は声のする方向へ走り出した。一人廊下に残されると、その薄暗さが気になってくる。地下のせいで窓もなく、天井の照明だけ。古臭いまっすぐな蛍光灯が発するジジジという音が妙に気になり始めた。

「……あれ?」

 その時私はようやく気が付いた。あれだけ響いていた女性の叫び声が聞こえない。あの大きな音も聞こえない。静まり返る廊下に蛍光灯の微かな音が聞こえるだけ。


 ――耳元で鈴が鳴った。

 背筋がぞくりと寒くなり、花の香りが強く漂ってくる。夜刀に助けを求めようと振り返って安置所の扉を見ると消えていて、五メートル先が曲がり角になっていた。その角を白いワンピースの女性が歩いていく。

 どうしたらいいのかわからない。あの女性にどうやったら呪いを解いてもらえるのか聞かなければと思っても、脚が震えて動けない。

 雅が走っていった方へと視線を戻すと、また白いワンピースの女性が歩く背中が見えた。追いかけてこいと言われているような気がする。それでも、追いかけたら終わりのような気もする。

 腰まである長い黒髪は艶やかで、その華奢な手足が白いワンピースを引き立てている。髪に結ばれた白いリボンが揺れて、まるで私を呼んでいるよう。

 心臓は恐怖で早鐘を打ち、冷や汗が流れていく。白いワンピースの背中が、廊下を曲がって消えた。ほっとした途端、背後に冷気を感じて体が硬直する。

『……我慢、できないの……』

 か細い声が背後から聞こえて、氷のように冷たい手が私の口をふさいだ。

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