第五話

 目が覚めると木の天井が視界に広がった。私の部屋の天井は白いはず。ここはどこかと考えて、夜刀の布団の中だと思い出すまでたっぷり十五秒。夜刀は私に寝室を明け渡し、自分は居間のソファに寝ると言って譲らなかった。寝室は八畳の床張りで、和風モダンなダブルサイズのフロアベッドと、和紙と木で出来たフロアライトが置かれているだけ。窓に掛かる遮光カーテンはしっかりと光をさえぎっていて、何時なのかわからない。

 枕元に置いたスマホを確認すると、午前十一時を示していて完全に目が覚めて飛び起きる。いくら昨日疲れていたといっても、十二時間以上も眠っているなんて信じられなかった。

 着ていた服やカバン、財布まで本家で焼却するらしく、私の手元に残されたのはスマホとカード類と現金のみ。ある意味で言えば、就活時で助かった。お気に入りの化粧ポーチやハンカチは自室に置いてあって、今回処分するのは就活用に買った思い入れのない物ばかり。

 ベージュ色の遮光カーテンを開くと、白いミラーレースのカーテン。私が昼近くまで眠れたのも、徹底した遮光のおかげなのだろう。窓の外は夏の空が広がっていて、昨日のことが夢のようで現実味が全く感じられなかった。

 浴衣の襟を合わせ直し帯を結び直してから二階の寝室を出て、一階の居間へと向かうと夜刀は壁際の棚に置かれた固定電話で誰かと話している最中だった。黒いダイヤル式の電話は、受話器と本体がくるくると巻かれたカールコードで繋がっている。アンティークな置物だと思っていたのに、実際に使えるとは思わなかった。

「――あ! それじゃあ、出発前にまた連絡します。よろしくお願いします」

 振り返って私に気が付いた夜刀は、そう言って電話を切った。

「おはよう、愛流。どうだ? 変な夢は見てないか?」

 夜刀の笑顔はぎこちなくて、少し疲れているように見える。服は白い半そでシャツに黒のカーゴパンツ。作務衣を部屋着にしている夜刀は一度出かけたのかもしれない。

「おはよう、夜刀。夢は全然見てないの。心配してくれてありがとう。……出かけたの?」

「ああ。宅配便の集配所に行って荷物を受け取ってきた。そこに置いてあるから確認してくれ。あと昨日言ってた『お泊りセット』とかいうやつをコンビニで買ってきた」

 居間のローテーブルの上には、大きめの段ボール箱が三箱積まれている。昨日注文した服と下着と靴にしては大きいことに疑問を持ちつつ、自分で買いに行くつもりだった化粧品セットを手渡されて焦りながらお礼を告げる。

「着替えたら……お前の部屋に荷物を取りに行く前に、八條の本家に行く」

「本家に? どうして?」

「……八條の先々代当主の弟は〝闇香の呪い〟の解呪に成功してる。本人は亡くなっているが、その状況を知っている人がいるから話を聞く。……現役から退いてはいるが、その人も霊能力者だ」

 命を助けてくれようとしている夜刀は真剣で、言うことを聞くしかないと思う。

 夜刀の寝室に戻って箱を開けると、私が頼んだスーツと下着と靴、カバンの他、私が良く着ている服と似た渋ピンク色のワンピースと茶色のカバンと靴が入っていた。どちらを着るべきなのか迷って、夜刀に聞こうと扉を開くと本人が廊下の壁に寄りかかって立っていた。腕を組み、物思いに沈む顔がかっこよくて胸がどきりとする。

「あ! や、夜刀、服、ありがとう。どっち着たらいい?」

「どっちでもいい。……できれば、いつもの格好がいい」

 ならばワンピースかと理解して、さっさと支度をして部屋を出ると夜刀に驚かれた。

「……もっと時間が掛かるかと思ったが、意外と早いな」

「メイクしてないから、こんなもんよ。コンビニに寄る時間はある?」

 完全ノーメイクで知らない人に会うのは緊急時とはいえ心情的に厳しい。コンビニでミニサイズの化粧品を買っておきたい。

「ああ。飯も食っていこう」

 夜刀の言葉にうなずいて、私たちは家を出た。



 夜刀の車は国産クーペのスポーツカー。見る角度によってバイオレットが光る黒色は夜の闇を感じる。ツードアでも最大四人乗り。座席を倒すと荷物も意外に載せられるお洒落で便利な車。

 ファミレスで軽く昼食を取って向かった八條本家は、夜刀の家から車で約一時間半の山奥の集落にある大きな日本家屋。神社は山の頂にある。

「うわ……でっかい……」

 古き良き時代のお屋敷。まさしくそんな雰囲気に圧倒されて委縮していると、夜刀が言いにくそうに口を開いた。

「……愛流。悪いが、俺と婚約していることにしてくれ」

「私が? 何で?」

 突然過ぎる話で、頭に疑問符しかわかない。どうして夜刀と婚約偽装しなければいけないのか。

「正直に言うと『俺の知り合い』と『俺の婚約者』では本家での扱いが変わる。赤の他人には見せられない儀式もあるからな」

 他人と身内では、本気度が変わる。そういうことか。

「わかった。……えーっと、婚約者って……お土産とか何にも持ってないけど大丈夫?」

 私が了承すると、夜刀はほっと安堵の表情を見せた。

「緊急事態に土産はいらないだろ。まだ口約束ってことにして、正式な挨拶は後日に予定していることにすればいい。それなら正式な挨拶の前に別れたってことにできる」

 そう言って笑った夜刀は、高級車が並ぶ広い駐車場に車を止めた。


 立派過ぎる玄関へと向かうと、着物にエプロン姿の中年女性に出迎えられ、私たちは和室へと案内された。二十畳はある広い部屋の中央に、座布団が置かれているだけなのに、高級そうなオーラがにじみ出ている。

「只今、当主が参ります。お座りになってお待ち下さい」

 着物の女性が部屋から出て私たちが座布団に座った後、紺色の和服姿の男性が入ってきた。八條本家の当主と聞いて緊張していたのに、部屋に入ってきたのはにこにこと柔らかな笑顔を携えた三十代前後の男性。夜刀と面差しが似ているのに親しみやすい印象が強くて、ほっと肩の力が抜けていく。男性は私たちと対面する場所に置かれていた座布団に座った。

「初めまして。八條和人かずとです。……いつも夜刀がお世話になって……」

 和人の挨拶が途切れ、視線が私の二の腕へと向かった。

「それを受けてて、うちの結界を超えられたのか……お嬢さん、体調はどうですか? 気分は? 腕に痛みはない?」

 突如として始まった医者の問診のような言葉に驚いて固まってしまう。体調も普通だし、気分も悪くない。腕の痣も痛みは感じない。

「俺が封印結界で押さえてるだけです。彼女に負担は掛けたくない」

「ああ、成程。〝浄化の巫女〟だからかと思ったが、お前の結界か。……お嬢さん、強力過ぎる呪い持ちは通常うちの敷地へは入れないのですよ」

 八條本家と神社には、強い呪いは持ち込めないように結界が張られていると和人は笑顔で説明した。

「あ、あの……〝浄化の巫女〟って何ですか?」

「おや? 自覚無し? 夜刀はわかっているよな?」

 そう確認する和人に対して、夜刀は口を引き結んで頷きつつも視線を逸らしていた。

「ふーん。……夜刀、後でちゃんと説明してあげなさい。ということで、お嬢さん、夜刀が説明しないようであれば、私に電話してください。……電話番号は……」

 和人が懐から銀色のスマホを取り出したのを見て、夜刀が慌てて遮った。

「俺が必ず説明しますから、彼女に接触しないでください。というか、いつからスマホ持ちになったんですか? 不用意に霊道が繋がるから絶対に持たないとおっしゃっていたでしょう?」

「時代の流れに逆らえなくてね。一昨日買ったばかりで、アドレス帳がすかすかなのは寂しいだろう? ああ、夜刀の番号は登録済だよ」

 にこにこと笑う和人を前に、うんざりとした顔で夜刀は溜息を吐く。当主に対して失礼な態度ではないのかと心配になってしまう。

「お嬢さん、私と夜刀の仲はとっても良いから心配しなくていいよ。子供の頃からの特別な仲なんだ」

「誤解を招く言い方はやめて下さい」

 これは完全に夜刀がからかわれている。どんな顔をすればいいのかわからなくて、私は苦笑するしかなかった。


 本家の屋敷から神社までの距離は近くても、山の上まで延々と続く石階段を上るのはとても大変だった。日頃の運動不足を実感しつつ、流れる汗を拭い一段ずつ踏みしめる。私の為に速度を落としていたからか、和人と夜刀は平気な顔で上り切っていた。

「愛流、大丈夫か?」

「……全然、無理」

 途中で段数を数えるのはやめた。これは絶対に明日、筋肉痛になる予感がする。

「お嬢さん、解呪まで夜刀と一緒にうちに泊まるといいよ。毎日二往復でもすれば慣れるだろう」

 和人の提案に顔がひきつるのは仕方ないと思う。この長い階段を毎日上ることを考えるだけでぞっとする。

「いえ。結構です」

 即座に断りを入れたのは夜刀。和人はさらににこにこと笑う。この人のよさそうな笑顔は仮面で、実は性格が悪いのではないかと思うのは気のせいではないのかも。

 到着した神社は、長い時間を感じさせながらも立派な造り。青々とした緑の木々が茂る林の中に建っていた。玉砂利が敷かれた参道は木の枝のおかげで陰になっていて、ひやりとした空気が流れている。

 鳥居の前まで来て、和人は足を止めた。

「参拝はその呪いが解けてからにしようか。うちの神様が力業を発揮しそうだから」

 和人の言葉がどういう意味かと首をかしげると、夜刀が重い口を開いた。

「呪いと一緒に対象者も消滅させる……つまりは殺すってことだ。ここの神は嫌いなものは徹底的に嫌う」

「こ、怖っ」

 思わず漏れた一言を聞いて、和人が笑いだす。

「いくらなんでも、女性に対してはそこまではしないよ。男だったら可能性はあるけど」

 笑う和人に案内されて鳥居をくぐらず横を通り、神社の境内からは外れた場所に建てられた平屋に到着した。すりガラスの引き戸を見て、田舎で見かけた古い民家を思い出す。

 民家には、高齢の女性が一人で住んでいた。先々代の当主の弟の妻だった八條洋子は、昨年夫を看取ってからこの家に移ってきたらしい。結い上げられた白髪は美しく、紬の着物の着こなしは完全に着慣れた雰囲気。若い頃は相当な美人だったと推測できる顔は、年齢を重ねても可愛らしくてうらやましい。

 洋子に求められて私が昨日経験したことを語ると、首を傾げられた。

「あの香りが薄いねぇ。〝浄化の巫女〟の力かねぇ」

「夜刀が封印結界で押さえているそうです。そうでなければ、うちの結界には入れなかったでしょう」

 和人の説明で、洋子はそうかとうなずいた。

「それでは私のことを話そうかねぇ。……これまでは言っていなかったが〝闇香の呪い〟を掛けられたのは私だ」

 その告白で和人と夜刀が息をのんだ。私は呪いを掛けられても生きている人がいることに内心喜んだ。

「私が呪われたのは、夫と祝言を上げた直後のことでな。戦争が終わって十年が経っても、一部の霊たちが騒がしくうごめいていて……そして神や先祖の霊の存在を信じなくなった人々の不敬のせいで、封印されていた古の悪しき霊たちが放たれることも少なからず起きておった。夫も私も霊を鎮める為にあちこちに呼ばれておった。……ある時、とある山村の温泉宿で依頼を片付けた後、しばらく滞在してはどうかと言われて私たちは厚意に甘えることにした」

 そこで洋子は一旦話を切って息を整えた。

「だがそれは、隣村で起きていた祟りを鎮めて欲しいが故の足止めでねぇ。他の霊能力者は皆、逃げ出したという話だった。夫は仕方ないと苦笑しながら隣村へと向かい、その間、私は宿で待っていた。……ちょうど今頃の時期でねぇ。時間を持て余した私は森の中を散歩するのが日課だった。ある日、私は今まで嗅いだことの無い良い香りに気が付いた。まるで誘われるようにして森の中を歩いていると、一輪のオトメユリを見つけた。淡い桃色の可愛らしいユリの花でねぇ。今では絶滅危惧種入りも間近と言われているが、当時はそれほど貴重なものではなく、香りに魅入られていた私は折り取って宿に持ち帰った」

 香りに魅入られていた。その状態が私にも痛いほどわかる。どうしてもあの香りの正体が知りたくて、見知らぬ男に声まで掛けてしまったのだから。

「宿の部屋に花を飾ると、私は部屋に引きこもって一日中花ばかりを見つめていた。三日目に戻ってきた夫の叫び声を聞くまで、私は眠りもせずに花を見ながら笑っていたらしい。夫はすぐにその花を使って、呪いの元凶を呼び出した。〝闇香の呪い〟は虐げられ非業の死を迎えた女の呪いだ。私を呪ったのは、殿様に輿入れする道中で野盗に襲われた公家の姫君だった。攫われた姫君は野盗の砦で死ぬまで慰み者にされ、枯れた古井戸に捨てられた。私が手折ったオトメユリは、その古井戸が埋まった場所に咲いていたものだそうだ」

 洋子は一瞬のためらいの後、また言葉をつづけた。

「夫は姫君の霊の訴えと望みを聞き、井戸につながる池のほとりに建つ小さな家を買った。真新しい家具を入れ、桐の箪笥には綺麗な着物を並べ、酒は嫌いだというので甘い饅頭と果物を毎日供えて弔った。それで姫君の霊は満足して、七日目に呪いと共に消え去った」

「姫君は、何故貴女を呪ったのですか? 花を手折ったからという理由だけですか?」

 洋子が話を終えた時、夜刀が鋭い口調で問いかけた。彼女は何か隠している。そんな直感が私にもあった。

「……花を手折った……だけではない。まだ新婚で幸せそうな私が憎くて仕方なかったと。……夫は七日の間、姫君の……仮初の夫になっていた」

 静かな告白が胸に痛かった。解呪の為とはいえ、自らの夫が他者の夫としてふるまう姿を想像するだけで悲しい。

「それは…………無理にお聞きして申し訳ありません。お話下さりありがとうございました」

 夜刀と和人、私の三人は洋子に頭を下げ、その場から離れた。

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