第三話
「何、何、何? めっちゃ軽くなったんだけど!」
体感で二キロ弱あった重さは、今や五百ミリのペットボトルより軽い。人形の目は閉じたものの、口元は微笑みを浮かべたまま。
「……封印していた霊が神上がり……一般的にわかりやすく言うと成仏したっていうことだな」
夜刀の声は深い安堵と共に若干の呆れを含んでいるように聞こえる。
「は? 成仏? 何でいきなり?」
全然全く理解不能。腕の中の人形をどうしたらいいのかわからない。
「この世に未練が無くなったってことだろ。恨みつらみが消えて気分がすっきりしたみたいだな」
差し出された夜刀の手に人形を手渡すと、緊張感が一気に抜けた。
「憑依してた霊が消えたなら、中身が誰だったのか聞いてもいい?」
夜刀の人形たちには名前がつけられていない。それは名前を付けることで、霊を名で縛って固定することになるから。だから中身が誰なのかも教えてはくれなかった。もちろん私の部屋にあるモデル用の人形には霊は宿っていない。
「……鎌倉時代の武将だ。弟の裏切りにあって名が残せなかったと、弟の子孫を祟り続けていたんだ」
少女のような人形の中身が武将と聞いて、あの威厳のある偉そうオーラの正体はそれかと妙に納得してしまう。正体を先に聞いていたら、もっと凛々しい服を作ることもできたのにと残念。
「祟ってたなら世継ぎが死んでお家断絶とかしない?」
「それが絶妙な奇跡があって子孫が生き延びてたんだな。生かさず殺さず祟り続ける為だったみたいだが」
「鎌倉時代だから、八百年以上? とってもしつこい恨みだったのね。人形に封印されて、子孫から離れたから落ち着いたってことかしら」
「それもあるが……それだけではないかもな……」
何故か言葉を濁した夜刀は丁寧な手つきで人形を椅子へと座らせた。元の場所に戻った人形は周囲を威圧するような怪しい空気が消えて、ただの綺麗な人形になっている。
「あいつ……本当に綺麗さっぱり消えやがった……」
そう呟く夜刀の横顔は、ほっとしているようでもあり寂しさも含んでいる。
「俺は……自分が生きてる間に、あいつが神上がりするとは思わなかった。恨みが強すぎて一生かけても無理だと判断してた。俺が死んだ後は八條本家で預かってもらう約束をしてた。もの凄く嫌がられたけどな」
「本家が嫌がるくらいに強力な悪霊だったのね。早めに成仏してよかったじゃない。これで一安心でしょ」
私の言葉を聞いて、夜刀は口を引き結んだ。
「…………あいつは俺に『視覚の暴力』と言い放ったヤツだ」
「その霊、ソフビ人形に封じたんじゃなかった?」
「ソフビから移した。この体は四体目だ。昔、もっとマシな体を寄越せと他のヤツらを扇動したのはあいつだ。あいつのせいで俺は球体関節人形を作る羽目になった。……冷静になったらムカついてきた。そうだ。神上がりする時に、文句の一つでも言っておくべきだった」
夜刀は手を握りしめ、しまったという顔をしている。何か過去の色々を思い出しているのか苦悩の表情が浮かんでは消えていく。
「夜刀が作る人形って、とても素敵だと思うけど。作りたくなかったの?」
「中二の男が人形作ってるなんて他人には言えないだろ。最初は男の人形作ってたら、女の霊が絶対嫌だって泣くわ暴れるわで苦労した」
「あー、それはわかる。もしも男の体に入れって言われたら私もきっと抵抗するもの。だから性別無しのボディなのね」
夜刀の話を聞いていると怖そうな悪霊も、人であることに変わりないような気がして面白い。
「教えられないならいいんだけど、女性の霊が入った人形はいる?」
「今はいない。女の霊はこの人形部屋を何故か嫌がるんだ。この部屋に置いて二、三日経つとさっさと神上がりしてしまう。最速はこの部屋に入った瞬間だったな」
その光景が余裕で想像できた。ふと頭の中をよぎる理由を口にするのはためらわれる。
「人形に取りついた霊同士って、お互いの中身がわかったりするの?」
「ああ。人形はただの器だから、霊はお互いのそのままの姿を見ていると思うぞ」
夜刀の言葉を聞いて私は確信した。もしも私がこの部屋に連れてこられたら、むさくるしい野郎どもが綺麗な少女人形に取りついているという地獄絵図に絶対耐えられない。目の保養になる超イケメンがいたら考えるかもしれないけれど、これまでの様子を聞いていると、そんな都合の良いイケメンはいないのだろう。
私が考えていることも知らずに、夜刀は空になってしまった人形を見つめ続けている。十年以上一緒にいたのだから、悪霊と霊能力者という敵対関係だったとしても何らかの繋がりのようなものを感じていたのかもしれない。
「その人形、どうするの?」
「八條本家の特殊焼却炉で焼いてもらう。超高温で焼く、環境に配慮した焼却炉だ。……悪いが、霊が戻ってこないように元の服もこの服も一緒に焼くことになる」
「それは気にしなくていいわよ。死出の衣になるってことでしょ」
あのドレスは私の作品でも、すでに私の手から離れた物。写真も撮っているし、人形服としての役目を最後まで全うしたことを目撃したのだから満足感すらある。
「もう一着残ってる方はどうする?」
「そっちはまだ霊が入ってない人形に着せる。……いつもフェイスカバー掛けただけで、裸で持ち運んでるから職務質問された時がツラくてな」
フェイスカバーというのは、顔のメイクが落ちないように保護するドーム状の薄くて透明なプラ製のパーツ。体は裸で顔だけ覆っている姿を想像すると、人形が可哀そうになってくる。
「職務質問って、警察の?」
「ああ。俺みたいな男が、黒くて長い筒状のカバン下げてるとすぐに不審者扱いされる。武器を隠し持ってるんじゃないかってな」
ドールの持ち運び用のカバンは市販されていて、夜刀は黒いナイロン製の筒状のカバンを使用している。長さ七十センチ、直径二十センチのサイズ感は、確かに武器を隠しているように見えなくもない。
「そういうの受けたことないけど、どんな感じ?」
「どんなというか、身分証とカバンの中身見せろってだけだな。免許証見せて、確認したいならどうぞとカバンを手渡すだけだ。自分で開けろと言われることもあるが、大抵中身見た途端に表情が変わる」
武器かと警戒しつつカバンを開けたら、中身は顔が覆われた裸の人形。その光景を想像するだけで、警察官が可哀そうになるのは何故なのか。
「前は着物作ってたんでしょ? もう作らないの?」
「……あれを作るのに、俺が何百回針を指に刺したか聞くか? 出来上がったら血の染みだらけで、着せるまでにどれだけ苦労したか」
思い出してもうんざりという顔をされたら、それ以上は聞いてはいけない気がする。というよりも針を指に刺したと聞いただけで背筋が寒い。
人形部屋の窓を閉めて、工房へ戻ると時計は午後四時を指示していた。たった一時間のことだったのに、長い時間を過ごしたような気がしてしまう。
「四時か……飯食うには早いな……あれ? お前、仕事は? この前、正社員の仕事が決まったって言ってただろ?」
「……ちょ。そんなの、察してよ」
平日金曜日の午後に訪れていることで、気を使ってくれているのかと思っていたのに夜刀は全く気が付いていなかったらしい。痛いところを突かれたと黙っていると、夜刀が焦りだした。
「おい、まさかまた潰れたのか? 二週間経ってないよな?」
「……先週の水曜に初出社。金曜夜に社長一家が夜逃げして、今週の火曜朝に取り立てが来て多額の負債発覚。部長にとりあえず帰って自宅待機って言われたけど、全然音沙汰無いのよ。取り立てのあった借金の金額だけでも再建は無理かなーって。……業務拡大で二十名の正社員雇用っていうのも、銀行とかからお金引き出す口実だったみたい」
夏の中途半端な時期にも関わらず高級ホテルの会議場で派手派手しい入社式も行われて、私を含めた新入社員二十名はとても喜んでいた。まさかそれも多額の資金調達の為だったなんてショックは大きい。
「この辺ではそこそこ名の知れた会社だったよな? 流石に全部の資産は処分してないだろ。そんな借金まみれになってたら、噂があると思うんだが」
「一族経営で三代目の社長に経営手腕が無かったみたいで、最初から自転車操業だったんですって。外に出てなかっただけで、内部では大丈夫かって心配されてたって。今回の業務拡大話からの流れがあまりにも手際が良すぎて社長に誰かが入れ知恵したんじゃないかっていう話なのよ」
それは社長が逃げた後、社員から聞いた話。誰もが毎日の業務に追われていて、時々感じる疑問や違和感を確認せずになんとなく過ごしていたと悔やんでいた。
「給料は?」
「連絡ないから、まだ全然わからない。勤務四日間でまともな仕事もしてないからどこまで補償されるのかっていうのもあるし、社員さんがいっぱいいるから、もしも資産とか見つかっても先にそっちに払われると思う」
はぁあと心の底から溜息一つ。復職は無理とわかっているから早く結果連絡が欲しい。夜刀の注文品を超スピードで納品できたのも、不安を忘れる為に制作に没頭したから。
「……潰れたの何社目だ?」
「十一社目。……これも職歴に書かないといけないかしら。デジタル履歴書ならまだいいけど、紙の履歴書出せってところだと、別紙が増えて仕方ないのよね……」
履歴書には『会社の倒産により退職』やら『会社の解散により退職』が並んでいる。経営に関わらない一般の社員なら、倒産が退職の理由とはっきり書いた方がいいと転職アドバイザーに教えてもらった。『会社都合』と書くと、何が理由なのかと採用担当者が不安になると言われたけれど、私が就職した十社すべての倒産が並ぶ職歴の方が不安になるのではないだろうか。
「職歴は正直に書いた方がいいだろうな。今の失業保険は半年以上勤務……だったか?」
「そう。だから一度も条件が満たないの」
今回の勤務四日間は最短記録。最長は二ヶ月。給料が払われることもあれば全く払われないこともある。ド田舎から都会に出てきた私は、実家に心配を掛けたくなくて頼れない。
「こんな時に何だが……人形服の注文、受けてもらえるか? あの新入りの服が至急欲しい」
「ありがとー! もちろんお受けします!」
夜刀は新入り分の四着だけでなく、他の人形のドレスも注文してくれた。すぐに支払うと言ってスマホで振り込み完了。会社から連絡があるまでは動けないから、人形服を作って稼ぐしかない。
ざっくりとしたイメージを聞きとってスマホにメモを取っていると、夜刀が口を開いた。
「愛流、もうすぐ誕生日だったな。いつだ?」
「八月八日」
「何か欲しい物あるか?」
「切実に就職先が欲しい! 去年も誕生日に就活してたのよ……面接官に誕生日おめでとうって言われた後、日付変わる前にお祈りメール届いて最悪で……あー、思い出したらムカついてきたー!」
シェアハウスの住人が誕生日を祝ってくれたことも、お祈りメールで吹っ飛んだ。
「お祈りメール?」
「就職活動の不合格通知のこと。『今後のご活躍をお祈り致します』っていう締めが定番だから、お祈りメールって呼ばれてるのよ」
お祈りメールには、気の利いた返信をする方がいいというアドバイスもあるけれど、不要と宣告された企業に食らいついてでも就職したいという気力はない。
「……………………俺のところに永久就職するか?」
「は? 私は拝み屋の才能ないわよ」
普通の人間が拝み屋に雇われても足手まといになる未来しか見えない。気前が良い夜刀は、他人に優しすぎる。
「……いや、そうじゃなく……」
「心配しないで、大丈夫。私は私自身の手で稼ぐから」
私の宣言を聞いて、夜刀は何故か大きな溜息をついて肩を落とした。
「……これから晩飯食う時間あるか?」
「あるけど……」
若干、お財布の中身が心配。コンビニATMで口座から引き出す手数料も気になるところ。けちくさいと思われても、失業中なのだから仕方ないとあきらめる。
「俺の長年の敵が神上がりした祝いに、飯おごってやる。鉄板焼きでもすき焼きでも何でもいいぞ」
私が断ろうとしたのを察したのか、夜刀はおごると言い出した。
「えーっと。それは嬉しいけど……」
先日、就職祝いにおごってもらった鉄板焼きの値段は、私のひと月分の食費を超えていた。夜刀が連れていくというのなら、庶民感覚のお店ではない気がする。
「インド料理はどうだ? 前にインドのカレー食べてみたいって言ってただろ? 知り合いに美味い店を教えてもらった」
そんなことを随分前に言った気がする。覚えていてくれたのかと少し嬉しい。インド料理なら、そこまで高くはないだろう。
「本場のカレー、食べてみたい……かも」
私が答えると、夜刀は上機嫌の笑顔を見せた。
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