第二話

 十二畳の人形部屋の窓には厚い臙脂色の天鵞絨ビロード製のカーテンが掛けられていて薄暗く、ロウソクを模したLED電灯がぼんやりとした光を発していた。濃い飴色の木の床と同じ色の棚が一つの窓以外の壁を埋め、棚にところどころ置かれた小さな椅子には私が作った服を着た人形たちが座っている。髪型は様々で、髪色は黒や金、茶色に銀色や白もある。総数十五体のはずが、体に布を巻いただけの人形がテーブルの上に置かれた棺のような箱に収められていた。

「ちょ。……増えてる?」

「ああ。昨日四体増えたから、追加で服を注文しようと思ってた」

 常に結界が張られた部屋に置かれている人形たちには、人間に害をなした霊が封印されている。夜刀は悪霊を人形へと憑依させて移動させることで、霊が取りついていた人や場所から切り離し、時間を掛けて怒りや悲しみを落ち着かせて祓う。

「一気に四体って……悪霊四名様相手にしたの?」

「一名だ。力が強すぎるから分割した。時間があれば一体に納められたが、緊急だったからな」

「緊急って?」

「素人拝み屋の除霊が失敗して、俺が呼ばれた。ネットの情報で勉強した気になって拝み屋名乗るヤツが増えてるんだ。強い霊か神の加護を受けてればまだいいが、中途半端に霊能力があるだけのヤツは調子に乗ってマジでヤバい件に無策で突っ込んでいく」

 夜刀の一族の本家は神社。分家は代々拝み屋や占いを生業にしていて、ほぼ全員が何らかの霊能力を持っているらしい。

 棺をのぞき込むと人形の顔がどれも険しく見えて、怒りの感情がにじみ出ていた。

「この新入りさんに服を着せるの?」

「いや。頼んだ服は古参の人形用だ。準備をするから少し待ってくれ」

 そう言った夜刀は木の床に白い布を敷いて四隅に木の枝を置き、棺を一つずつ恭しくテーブルから移動させていく。人形の着替えに関しては、夜刀が依頼するまで手伝ってはいけないと言われているからすることがない。

 テーブルの上を清める夜刀を横目で見ながら、壁際に置かれた人形たちを眺める。初めてこの人形たちと会った時には、新入りの人形と同じで険しい顔や悲しい顔ばかりだった。造形は変わっていないのに穏やかな顔をしているのは、取りついた霊が落ち着いてきたからなのだろう。半貴石や七宝焼で作られた瞳は瞳孔がなく、どこに視線が向いているのかわかりにくい。

「こんにちは。いきなり話し掛けてごめんなさい。貴方の髪を直していいかしら?」

 人形に声を掛け、顔に一房落ちた髪を指ですくって撫でつけると表情が少し明るくなったような気がするから不思議。人形の中には悪霊が封印されていると聞いてはいるし、最初は怖かった。今では慣れてしまったのか、自然と小さな子供を相手にしているような態度になってしまっている。それが正解なのか不正解なのか、夜刀は教えてはくれなかった。何度聞いても私の思うままに接していいと繰り返すだけ。


「球体関節人形って、ビスクとか石粉粘土製って思ってたけどレジンキャスト製も悪くないわね。黄変するのは致命的だけど」

 夜刀に出会うまでは、球体関節人形は高価で不気味な芸術品という認識だった。一生触れる機会はないだろうと思っていたのに、今では服を作るためにモデルとして提供された人形を毎日のように触っている。

 レジンキャストという樹脂で作られた人形は、陶器や粘土より壊れにくくて気軽に扱うことができるという利点はあっても、光による劣化が早くて数年で肌が黄色っぽくなっていく欠点がある。

「随分上から目線だな。昔は石粉粘土で作っていたが、壊された時に困るからな。レジンキャストは気軽に量産できるから都合が良い」

「壊された時?」

「霊によっては力業で器を壊してくる。ビスクドールなんて簡単に粉々にされるぞ。レジンなら、そこそこ強い霊でも指や手足を折られる程度で済む」

 人形の細い指なら折れることもあるだろうと想像はできても、手や足が折られるのは想像できない。

「それだったら、ソフビの着せ替え人形でいいんじゃないの? 三十センチくらいでしょ。持ち運びも楽よね」

「お前な。俺がアニメ顔の可愛らしい着せ替え人形持ってるところを想像してみろ。『視覚の暴力』だぞ」

 さらりと流す軽口のつもりが、夜刀は真面目な顔で食いついてきた。

「そう? 別にいいと思うけど……それ……誰かに言われたの?」

「お前は本当に妙なところだけ勘が働くよな。……俺が中学生の頃、よりによって封印しようとした悪霊に言われたんだよ。封印は成功したが断末魔の叫びがそれだったんで、ダメージがでかい」

 断末魔のセリフがそれかと考えると、夜刀より悪霊が可哀そうな気がしてきた。

「中学の頃って、着せ替え人形で封印してたの?」

「ああ。……親に隠れて正義のヒーロー気取りで悪霊退治をやってた頃だ。子供の頃から基礎は叩き込まれてたが、正規の仕事じゃないから金は受け取れない。全部自腹の状況で当時の小遣いで買えるのはその程度だった。で、俺に暴言放った悪霊は八條本家が除霊に失敗した霊だった。だから親だけでなく親戚中に知れ渡ったが、見栄えが悪いと雛人形やビスクドールを渡された。それも地味にダメージ喰らったな」

 夜刀が嫌なことを思い出したとばかりに溜息を吐いていても、まさに中二病の中学生に封印された悪霊が、さらに哀れに思えるのは何故なのか。

「そんなことがあって、本家に目を付けられた俺は頻繁に除霊現場に駆り出されるようになったが、渡された人形はことごとく霊に粉砕された」

 それは本家の人々が、調子に乗った中学生を懲らしめようとしたのではないかとちらりと思う。

「人形壊されて、除霊失敗したの?」

「除霊は成功させてたぞ。粉々になった人形に無理矢理霊を押し込んで、家に帰って粘土細工の人形にこっそり移してた。そしたら霊たちが、もっとマシな体を寄越せと毎晩大合唱だ。睡眠不足になった俺はビスクドールを参考にして球体関節人形を自分で作ることにした。それが十四の頃だ」

 まさに中学生の夜刀を想像しようとしてもうまくいかなくて、現状のままで学生服姿の夜刀を思い浮かべてしまう。……どう考えても可愛くはない。


「夜刀って今、いくつだったっけ?」

「二十五。そういえばお前は?」

 もう少し上だと思っていたのに、意外と近い年齢だった。

「二十三。もうすぐ誕生日で二十四。……そもそも、何で人形なの? 小説とか映画だったら魔法陣とか怪しい御札とか水晶玉とか石とか、そういう物に封印したりするじゃない?」

 私の疑問に対して、夜刀は肩をすくめた。

「俺にもよくわからんが、水晶や宝石より人形の方が器として良いらしい。子供の頃は水晶と人形と見せて、どっちに憑くか聞いてみたりしてたんだが、中高年のおっさん霊やら落ち武者の霊も大抵、人形選ぶからな」

 綺麗な人形の中身がおっさんや落ち武者と聞いて、ネット上で二次元美少女を装っていた中年男性が家族にバレたという話題を思い出した。

「ふーん。バ美肉びにくは霊の世界でも人気ってことなのね」

「バビ? なんだそりゃ」

 夜刀はネットから少し距離を置いているので知らなくても仕方ない。スマホやパソコンは持っていても、ニュースや世界の情報を見るばかりで流行の話題は知らないし、SNSの利用もしていない。メッセージアプリすらスマホに入れていないので、連絡は電話か手紙かメールのみという不便さで生きている。

「バ美肉。『バーチャル美少女受肉』の略語よ。バーチャル世界で美少女姿の分身アバターを纏うっていう日本発のネット文化なの。見た目は美少女だけど、中身はおっさんだったりして全然違うっていうのが多いのよ」

「そうか……あいつら……時代の最先端だったんだな……」

 私の言葉を聞いて、夜刀は遠い目をしてつぶやいた。

「そのうち、ネット上の美少女アバターの中身が霊でしたなんてことになったりして」

「俺は笑えないが、そうなっても不思議はないな。ネットで流れてる動画を介して移動する霊もすでにいるからな」

「それって、動画見てたら悪霊が出てくるってこと?」

「ああ。だから見本画像サムネイルでヤバいと直感したら、その動画は見ない方がいい」

 そうは言われても、霊能力なんて全くない私にはそんな直感が降りてきたことはない。


 人形が納められた四つの棺は床に敷かれた白い布の上に置かれ、清掃されたテーブルの上には別に用意された白い布が掛けられた。

「灯りを点けるぞ」

 それは私に対する宣言ではなく、部屋の住人である人形たちに対する言葉。壁面のスイッチを入れると天井から下がる小さなシャンデリアから煌めく光が落ちてくる。私はこの瞬間の光景が好きだ。人形たちの髪飾りや服に縫い付けたビーズや金具、布が光を受けて輝く。

「さて。待望の新しいドレスが来たぞ。誰が着替える?」

 人形たちに向かってそういった夜刀は十数秒の空白の後、棚の中央に置かれた豪華なソファに座る人形へと手を伸ばして動きを止めた。

「どうしたの?」

 夜刀が手を降ろし、私の方へと振り向いた。 

「愛流、この人形をそこへ運んでくれないか?」

 珍しい。というよりも棚から人形を運ぶのは初めて。いつもは夜刀がテーブルまで運ぶ。

「いいわよ」

 指示された人形は、夜刀から初めて注文されたドレスを着ている。雪の女王をイメージした白いドレスには雪の結晶を白銀の糸で刺繍していて、あちこちに縫い付けたオーロラガラスビーズが光を受けて七色に煌めく。最初に見せられた時、この人形は夜刀が縫った白いシンプルな着物を着ていた。それはそれで似合ってはいたけれど、もっと豪華で威厳のあるドレスが相応しいと感じてデザインした。

「新しいドレスの着替えをお手伝いしていいかしら?」

 人形に話しかけて断りを入れてから、そっと抱き上げると体感で二キロ弱の重みが腕にかかる。ほんの数歩の距離を慎重に移動して、テーブルの上に横たえる。

 夢から覚めた直後のような、うっすらと目を開けた表情の人形は、美しい少女のような顔をしている。その白い肌の一部には青みを帯びた血管が透けて見え、目元は長いまつげが陰を重ねて物憂げ。今にも言葉を紡ぎそうな何か言いたげな唇は艶やか。すべては塗装による化粧だと理解してはいても生きているように見える。

 翡翠と月長石ムーンストーンで出来た瞳は穏やかな緑色。黄色がかった薄茶色の髪は緩やかな波を描きながら膝近くまでの長さがある。

 ヘッドドレスを外してドレスを脱がせると、そこに現れるのは少年とも少女とも判断できない無性のボディ。ただの人形といえども、第二次性徴前特有の色気のようなものを感じてどきりとする。

「夜刀、毎回思うんだけど、下着あった方がよくない?」

 服の下がすぐに肌。夜刀の注文を受けるまでは、人形服と下着と靴でワンセットの注文が多かったので違和感がぬぐえない。

「下着や靴下、靴で細部をしっかり覆うと浄化の妨げになるらしい」

「じゃあ、裸で飾ってた方がいいんじゃないの? 美術品みたいに綺麗だし」

「それだと霊が落ち着かない」

「注文の多い悪霊さんたちなのね」

 そういうことなら仕方ない。箱から新しいドレスを取り出して、人形へと見せる。

「これは海月をイメージしたドレスなの」

 この人形に着せる可能性があったのなら、注文時に言って欲しかった。知っていたら海月の女王レベルの装飾を施したのに。

 シルクシフォンを重ねたワンピースを着せると、うっすらとその体が透けて見える。全体的には人の形をしているのに、球体関節という人とは違う造形が魅力的で美しい。

 レースで作ったコルセットベストを重ね、総レースのオーバーワンピース。素材の違う白は、自然なオフホワイトではなく漂白されたホワイトを選んだ。さらしあるいは晒白、蛍光ホワイトと呼ばれる漂白された布地やレースは、ほのかに青みを感じる白色。個人的にはナチュラルな高級感を醸し出すオフホワイトより、人工的な不自然さが出てしまうホワイトの方が難しい色だと思っている。

 服を着せつけた後、服を覆い隠す白いマントで包んでからドール用のヘアブラシで髪を梳かす。この人形たちの髪は人毛ではなく、ファイバー製。ウィッグは固定されていて、人間と同じように髪を扱える。

「夜刀、髪にツヤが欲しいから、ウィッグオイル使っていい?」

「ああ」

 手渡されたウィッグ用のオイルミストをスプレーすると、人形の髪にツヤが出る。多すぎるとべたべたするし、マントの下の服に染みてしまうので加減が大事。人形の顔を手で覆いながら、さっと吹きかけてブラシで梳かす。

 マントを外したところで、夜刀が唯一の窓へと向かってカーテンを開いた。

「窓、開けるの?」

「ああ。着替えさせたら日の光にあててみてくれ」

 これも今まではなかったこと。この部屋に入って窓を開けたことはないし、そもそもカーテンを開けたところを見たことがない。舞台の緞帳どんちょうのような分厚い臙脂色のカーテンが開かれると、錠が掛かった木の窓枠が出てきた。夜刀は手にした鍵で錠を外す。

「この窓開けるの初めて見た」

「そうだな。俺も久しぶりだ。ここに越してきて以来だな」

 開かれた窓の外は、青い空と庭の木々の緑色。ヘッドドレスを髪に付け、人形を抱えて窓際へと向かう。

 シャンデリアの光で見る怪しい美しさは消えて、太陽光が海月のドレスを青白く輝かせて眩しい。ゆらゆらと海を漂う海月のドレスを着た人魚姫。そんなイメージが沸き上がる。

「すっごい可愛いー」

 心からの言葉が口から出た途端、人形の瞳が開き、口元がはっきりと笑顔になった。

「え?」

 心底驚いても手を離したら人形を床に落としてしまう。それだけは避けたいと手に力を込めた時、突如として人形の重みが消えた。

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