第一章
第一話
指でつまんだ目玉を窓の外の光にかざすと艶やかな怪しい煌めきが降ってくる。
「飴みたいで綺麗よね。舐めてみたくなっちゃう」
艶やかな白が甘い甘いミルク味なら、赤い瞳は何の味だろうか。甘酸っぱいラズベリーかイチゴ味だったらいいのに。毒々しい人工的なアメリカンチェリー味も素敵かもしれない。……毒の味がする目玉。そう考えるだけで背筋がぞくぞくする。
「
やけにきっぱりとした男の声が、私を現実に引き戻した。わざとらしい溜息を吐きつつ、窓から室内へ振り返りながら視線を移す。
換気されつつも空調が効いて快適な古民家の一室は、壁面が大小の木製の引き出しで埋め尽くされ、中央に据えられた大きな作業台の上にはレジンキャスト製の球体関節人形の体のパーツが多数転がっている。椅子に座る墨色の作務衣を着た短髪の男の手が、セラミックで出来た特殊な彫刻刀でパーツの合わせ目を削っていた。
「
「止めてほしかったのか?」
一方の私――
窓際にいた私はグラスアイを弄びながら、削り作業を再開した夜刀の隣の椅子に座り込む。
「作業中に近づくと服に削りカスが付くぞ」
「平気。帰ったら洗うから」
くすみピンク色のワンピースは、最近のお気に入り。やっと髪の長さが足りるようになったポニーテールには、似た色味のリボンを結んでいる。
「赤い瞳か。そんな変わった色の目玉、どこで調達したんだ?」
夜刀は私の手の中のグラスアイへちらりと視線を投げて口を開いた。赤い深みのある光彩に黒い瞳孔の目玉のサイズは直径三十ミリ。国内ではなかなかお目にかかれない色合いと大きさ。
「これはドイツからお取り寄せ。マシンメイドだから、意外とお手頃価格よ。いつもお願いしてる近所のガラス職人さんが先月から産休取ってるのよねー」
青や緑、茶色といった人の瞳と同じような色は豊富に作られていて安価で入手しやすい。赤や黄色、紫等の特殊な色は種類もサイズも限られているので、どうしても欲しい色はガラス職人に個別オーダーしていた。子供が生まれて落ち着いたら復帰すると意気込んでいたので、楽しみに待っている。
濃い飴色の木製ジュエリーボックスを改造したディスプレイケースには、様々な色合いとサイズのグラスアイが並んでいて、その輝きを見ているだけで心が躍る。
「……前から聞きたかったんだが、何で俺の工房にお前の目玉コレクションが置いてあるんだ?」
この古民家は一人暮らしの夜刀の家。夜刀が工房と呼ぶ作業部屋の中、棚の上にしっかりと存在を主張しているのは、私のディスプレイケースであることは間違いない。
「あれ? 言ってなかったっけ? 一緒に住んでる子にフリマアプリで売られそうになったから、私の部屋に置いとくの心配になったのよねー。超ベテラン職人さんの目玉がオークションサイトで六諭吉になってたーって言っちゃった私も悪かったんだけどさー」
私が住んでいるのはハンドクラフト系の趣味を持つ女性六名のシェアハウス。それぞれの得意分野が違っているけれど、気の合う友人だと思っていた。お互いの趣味や持ち物を隠すことなくオープンにしていたから、私のコレクションの中にもそのベテラン職人が手掛けたグラスアイがあることは全員に知られていた。
「ガラスの目玉が六万か。安くはないが、高くもないな」
「夜刀が使ってる目玉と比べないでよ。そもそも造りが違うんだから」
作業机の引き出しの中で無造作に転がっていても、夜刀が使う目玉は宝石職人が磨いた半貴石か特殊な七宝焼きで作られた高価な物ばかり。リアルに近い造形の目玉が好きな私の趣味には合わなくて助かった。
「ってことは、その窃盗犯とまだ一緒に住んでいるのか」
「……それは言わないお約束よ。表向き、そのことは水に流したってことにしてるし。こういう時、シェアハウスってめんどうよね」
深い深い溜息一つ。毎日顔を合わせるから気が重い。最初は控えめにしていた彼女も都合の悪いことは完全に忘れてしまったようで、以前と変わらず普通に接してくるようになっていた。やらかした方は忘れやすくて、やられた方はいつまでも記憶に残るとはいうけれど、どうして被害者が加害者に気を使わなければならないのか不思議で仕方ない。
「私の運はギリギリ良かったと思うの。知り合いがたまたま気が付いて、売り払われるのを阻止してくれたなんて奇跡よね」
元友人は、数組のグラスアイを持ち出していた。その中に製作者が再販禁止にしている有名なものが含まれていて、私の知人が落札した上で連絡してくれたので気が付いた。
「たくさん持ってるんだから少しくらいバレないと思った。なーんてド定番の言い訳されたのよねー。……大事にするから欲しいって言われたら譲ったのに」
たとえ譲った後で売りさばかれても、それはそれで仕方ないと諦めもつく。友人のカテゴリから他人へと、心の信用ランクを下げるだけで済んだ。
「災難だったな。それなら別にここに置いていても構わないが、俺が使うかもしれないっていう危機感はないのか? かなりの確率で元には戻せないぞ」
夜刀が作る球体関節人形は身長約五十五センチで、使用する目玉は直径十四ミリから二十ミリ。確かに該当するサイズも私のコレクションに含まれている。私のコレクションは直径八ミリから三十二ミリまでと、サイズも色も幅広い。
「夜刀は代金きっちり払ってくれるでしょ? また新しい目玉買う資金にするわよ」
気前の良すぎる夜刀なら、買った値段どころか勝手にプレミアム価格を上乗せして支払ってくれるだろう。ある意味では美味しい話であっても、私は適正価格しか受け取るつもりはない。
「さて、と。今日の削りは終了だな」
夜刀が手を止め、腕や脚のパーツを箱へと並べる。その数は人形八体分で、胴体はない。
「頭と胴体は?」
「昨日削った。明日は磨きで、明後日に塗装だな」
立ち上がって背を伸ばした夜刀は、片づけを手伝おうとした私を手で制した。
「お前は触らない方がいい。俺は平気だが、レジンキャストで肌がかぶれるかもしれんぞ」
それほど繊細な肌ではないと思いつつも、夜刀の言葉に甘えることにする。夜刀は手早く机を片付けて雑巾で拭き、木の床に落ちたカンナくずのようなキャストを充電式の掃除機で吸い取った。一連の作業は手馴れていて、毎日の習慣なのだろうと推測できる。
古民家の中も掃除が行き届いているし、作業はまめ。身なりも清潔感があるし、私が突然訪れても嫌な顔一つせず様々な気遣いもしてくれる。何故夜刀に彼女ができないのか本当に不思議でしかない。以前、私の女友達を紹介しようかと言ったときに断られたから、実は女性に興味はないのかも。
「そういえば、何で来たのか聞いてなかったな。お前の目玉コレクション見に来たのか?」
現時刻は金曜日の午後三時。綺麗な目玉に気を取られて本当の目的を忘れかけていたのは秘密にしておきたい。
「目玉はついで。注文受けてたドール服を届けに来たの」
紙袋から出した紙箱を開くと、淡いピンクの薄紙に包まれたドールサイズの服が二着現れる。
「白っぽいドレスっていうオーダーだったから、海月をイメージしてデザインしてみたの。夏っぽいでしょ?」
夜刀の注文はいつも大雑把で、自由にデザインできるのは嬉しい。美しい球体関節がほのかに透けて見えるように薄いシフォンを重ねたワンピースとレースで作ったコルセットベスト。総レースのオーバーワンピース。レースに刺繍を施したヘッドドレスには、ベールを付けて顔を隠せるようにしている。
「凝った服だな。一着分しか払ってないのに、二着もいいのか?」
「手間が掛かる靴と下着がないから、その分サービスよ。基本的に同じデザインなんだけど、こっちは着せても持ち運びしやすいように、金具とかは使わないで刺繍にしてるの。ワンピースは皺になりにくいポリエステルシフォン。こっちは飾る用で金具やらビーズ縫い付けてあって、ワンピースはシルクシフォン」
時間が掛かる靴と下着が入っていないと、服を二着作っても作業時間は変わらない。夜刀のオーダーは完全前払いだから、安心して高価な材料を惜しげもなく使うことができる。ドールの服に限らず、人間の服やアクセサリーも注文しておきながら代金の支払いを渋る人間は一定の割合で存在するから、年間のオーダー数が安定して完全紹介制に踏み切るまでは高価な材料に手が出せなかった。
「ちょうど着替えさせたいヤツがいるから頼めるか?」
「いいわよ。手を洗っていい?」
箱を夜刀に手渡して作業部屋を出る。古民家といってもリノベーションされていて、
「最初の頃はなんか暗くて不気味だったけど、大掃除でもしたの?」
「いや。昔から週一で軽い掃除しかしてないな」
数か月前、最初にこの家を訪れた時には昼間で電灯が点いていてもおどろおどろしい空気が流れていたのに、今ではすっきりさっぱりしている。ふと踊り場の壁に作られた飾り棚が目に入った。
「この飾り棚に花瓶とか置けばいいのに」
「花瓶はマズイ。霊が暴れた時、簡単に武器にされる」
「武器?」
「よく怪談話とかで物が飛んだりするポルターガイストとかいうのがあるだろ? 力の弱い霊でも割と簡単に影響を及ぼせる水と、土で出来た陶器やガラスの組み合わせとか最悪な武器にしかならん」
力の弱い霊は同調しやすい水や風を使い、力の強い霊は火や土を使いがち。さらに上位になると雷や嵐、地震まで起こすらしい。つまりは力の弱い霊が水を使って土で出来た物を動かすことで、攻撃力が強くなることになる。
「あ。だから夜刀が使ってる食器は軽いのにしてるのね」
夜刀の台所に置かれた食器棚には漆器とプラスティックで出来た食器が並んでいた。陶器は湯呑とマグカップだけで、驚いたことを思い出す。
「いや……その……それは……皿洗ってる時に欠けたのを捨てたら、それを知った親戚が怒って無事なのを全部持って行った。今でも顔を合わせると、セットで揃ってたらもっと価値があったと愚痴られる」
夜刀が割った皿はお祓いのお礼として受け取った皿で、歴史的価値があるものらしい。親戚が奪っていくのは理解できないけれど、夜刀が渡したのなら他人の私が口をはさむことでもなかった。
「価値のある食器だったんなら、捨てずに金接ぎとかすればよかったんじゃない?」
「それも考え方の一つではあるな。ま、そうはいっても、俺の職業では欠けた食器は凶事を呼ぶ。修繕しても欠けは欠けだからな」
「凶事って何が起きるの?」
拝み屋の凶事と聞いて、少々興味が沸いた。
「縁が欠けるというのは、完全で安定した状態ではなくなるということだ。日常では何ていうこともないほんの些細なことが大事になる。……俺の知人は欠けた茶碗を毎日使っていたが、その欠けを入り口にして日々の仕事で残った穢れが溜まったんだ。穢れは穢れを呼び寄せて集まる性質がある。そのうち満杯になった穢れが溢れて本人へと一気に返って……急性の病を発症して亡くなった」
「それは……お悔やみを申し上げるしかないわね……」
いきなり生死に関わる程の事だとは思わなかった。聞いて悪かったなと反省しつつ、自分の食器に欠けた物はなかったかどうか心配になる。
「普通の職業なら、多少運気が欠けるだけで支障はないぞ」
「運気が欠けるって運が悪くなるってことでしょ。一般人にとっても大問題よ」
廊下の奥、人形部屋の扉を夜刀が開くと、ひやりとした空気が流れ出てきた。人工的な冷房の風ではないというのは肌感覚でわかる。柔らかな羽根で皮膚表面を触れるか触れないかの距離で撫でられているような不快感に鳥肌が立った。
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