三度、晴海へ
「おーい、朝だよー」
肩をゆするその声で意識がまぶたの裏まで引き戻され、目を開けると、お姉さんの顔が間近に迫っていた。
「あ、起きた」
視界を動かして見てみると、お姉さんは部屋着のタンクトップにショートパンツではなく、既にTシャツと茶色いジャンスカに着替えていた。
「あれ。時間大丈夫ですか」
「まだ六時前だからよゆーよゆー」
起こされたので寝坊したかと思ったら、ちょうどいい時間に起こしてくれていた。
「ありがとうございます」
「気持ちよさそうだったから気が引けたけど、それならよかった」
マットレスの上で伸びをして立ち、なんとなく疑問に感じたことを訊いてみる。
「そういえば、ずっとそのジャンスカなんですか」
「あー、うん。君が選んでくれたしね」
たどたどしく理由を説明してくれるお姉さん。目を伏せて照れている。
なんだろう、この人がとてもかわいく見える。
「ありがとうございます。でも、三日もですか」
「んー、汗かくようなところにはあんまり触れないしさー」
そう言いながらもお姉さんはスカート部分を鼻に当て、くんくんとする。
「もしかして、臭い?」
「臭くはないですけど、ずっと着てるからちょっと気になって」
そんなことなら、もう何着か選んでおけばよかった。
「あんな風に服を選んでもらったの、初めてだったからさー」
「それじゃあ、また今度行きましょう」
言われたことで、お姉さんの服を選びたい欲望がふつふつとわいてくる。ふにゃっとした顔だが整っているし、黒髪も綺麗なので、選びがいがありそう。
「うん。楽しみにしとくよん」
この手の話題はいつも否定的なのに、艶っぽい声で承諾されてしまった。ドキドキする。
「どんな風の吹き回しですか」
「君の色に染められる楽しみを知っちゃったのさー」
馬鹿。
「こんなところで惚気ないでくださいよ。恥ずかしい」
「えへへー。でも言えるときに言わないと」
それは確かにそうだし、わたしだって嬉しい。でも恥ずかしい。
「着替えてきます」
「うん、いってらー」
枕元の着替えを取るとお姉さんの声に送られ、階下へ。すると台所から声がかかる。
「おはよ」
「おはようございます」
そちらへ行くとニルさんが瓶の牛乳を飲んで、あんパンを食べていた。
「今日は昨日買ってきたやつ食べて行くから」
わかりましたと言って、バスルームで着替えと洗顔、歯磨きを済ませる。あの様子だと、ふたりはもう終わっている。
ちょっと焦りながら身支度を調え、台所へ。わたしがいない間にお姉さんも来て、やはり昨日買った惣菜売り場の焼きそばを食べていた。
わたしも冷蔵庫に入れていたサンドイッチとりんごジュースを出し、そこに混じる。
「スペースの荷物があるから、飲食物はふたりが持ってくれる?」
台所には昨日買って冷蔵庫に入れていたジュースと食べ物を、ニルさんがふたつの保冷バッグに分ける音が響いている。
「荷物増えちゃうけどごめんね」
「ま、これぐらいはねー」
お世話になってる分はやらないと。という意味だろうか。わたしもうなずく。
「今日は何があるんですか」
「ええと、ゲーム全般と、同人ゲーム。あとはセラムンとか赤チャみたいな魔法少女ものと、男性向けエロ」
ニルさんは流石だ。すらすらと出てくる。ゲームはお姉さんが色々回りたそうで、昨日もビデオを横目にカタログを見ていた。
「ニルちは同人ゲームなんだよね」
「そうだよ。ヒダカちゃんがプログラム作ったじゃない」
初耳だった。
「知らなかったです」
「画像表示して選択肢で分岐させるだけじゃーん。大それたもんじゃないって。ほぼツールのおかげ」
またこの人は謙遜してる。
「できるかもって手を上げてくれて、作ってくれただけで偉いの。自信持ちなさい」
ニルさんが強い口調で言う。その通りだ。
「いやー。たいしたことないって」
「あるの」
「あります」
ハモってしまった。
「私だけだと素材があってもゲームにできなかったし、そこはヒダカちゃんのお陰」
「そ、そーお? ちょこっとプログラムわかればあれくらいはすぐよ?」
「そのすぐを身につけてるから、たいしたことなんです」
少し残った焼きそばを箸でつついているお姉さんにそう言ってやる。ニルさんもうんうんとうなずく。
「そっかー。なんか悪いね、おふたりさん」
にへっと笑うお姉さん。
数ヶ月つきあって、この旅行でなんとなくわかった。このお姉さんは、ところどころ理想が高い。そしてその理想と自分を比較してしまうみたいだ。
ただ、そういうお姉さんのあり方を否定するのは筋違いなので、そのつどわたしの気持ちを言っていくしかないのだろう。
「なんかごめん。お説教みたいになっちゃった」
ニルさんは気持ちをぱっと出してくるが、すぐフォローも入れてくる。こういうのは見習いたい。
「いーのいーの、気にしてないから」
焼きそばを食べ終え麦茶を飲んだお姉さんは調子を取り戻し、伸びをする。
「あたしは準備できた」
「もう後は行くだけ」
「大丈夫です」
三者三様の確認の声が台所に響く。
わたしとお姉さんが自分たちのバッグと一緒に小さめの保冷バッグを抱えると、ニルさんは小さなスーツケースに入れた荷物を玄関に出し、階段をちょっと上ってグーに声をかける。
「行ってきます」
戸締まりを確認し、わたしたちは三度、晴海を目指す。
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