お姉さんの居ぬ間に
門を開け、玄関を開けて家の中へ。
「ただいま」
ニルさんの声でわたしたちが戻ってきたのを察してか、猫のグーが二階から下りてくる。ニルさんはグーのために外出の時もエアコンをつけっぱなしにしているので、ほのかに涼しい。
「やー、歩いたねー。立ち止まったら疲れちゃった」
お姉さんは靴を脱ぐと空いてるスペースにへたり込む。
「お年寄りみたいですよ」
「だってさー、明日はサークル参加で早いらしいしさー」
勝手に扇風機をつけ、ソックスも脱いで足の指を動かしている。
「八時前後には着きたいから、六時半には家を出たいね。お風呂入れてくる」
そう言うとニルさんは奥へ行く。それにしても、六時半にここを出るなら今日より一時間くらい早く起きないと。
「目覚ましかけるし、三人いるから誰か起きるでしょー」
それもそうだと思うが、今日はみんな同じだけ歩いて色々回った。全員がぐっすりいかないかちょっと心配だ。
「お待たせ。お風呂準備できたよ」
「先に入りゃいいのに」
「仮にもお客を待たせないっての。先入ってな」
「へーい。あ、君先に入る?」
「今日は先に入っちゃってください」
「そっかー。じゃあお先」
お姉さんをお風呂へ送り出すと、床に座っているのはわたしとニルさんだけになる。
グーはまた二階へ戻ったし、扇風機が部屋の空気をかき回す音だけが響く。
「ゼロワンさん。夕方のアレ、余計なお世話だった?」
扇風機の羽音に混じって、ニルさんの声が届く。夕方のアレ、というのは、わたしたちふたりを結構強引に観覧車に乗せたこと。
「ヒダカちゃんはもう数年の付き合いだし、お互い遠慮しないんだけど、ゼロワンさんはどうだったかなって」
その場の勢いだったと思っていたら、結構気にする人みたいだ。
「大丈夫ですよ」
沈黙を作りたくない雰囲気になってしまったので、急いで返事をする。
「そっか。ゼロワンさんとはあまり話してなかったから。ノリが苦手だったらごめん」
「そんな。わたしこそ場違いじゃないかって」
そう言ったらニルさんは少し笑った。
「ううん。大丈夫。だいたいああいうネットにいるのは、周りとノリが合わない奴らで、そういうのがおっかなびっくりやってるの」
でもさ。とニルさんは続ける。
「ゼロワンさんはヒダカちゃんが誘惑した健全な中学生だったりしてそうじゃん」
そう言うとにんまり笑う。わたしでもこれは冗談だとわかる笑い。
「むしろわたしがお姉さんにねだってる側ですよ」
少し言葉に力が入る。パソコン通信をやってみたいと言ったのも、今回のコミケ行きも、全部わたしから言い出したものだ。だからここにはプライドがある。
「へえ、意外。あの子ってそういうのはかわすタイプだと思ってた」
「かわされそうになりました」
「やっぱり。でも、それでも向かっていったんだ」
自分のことなのに、なぜここまで執着するか、その奥底にあるものはわからない。
「ああ、でも。それくらい強い方があの子には合ってるのかも」
そう言うと何かに納得したような顔になるニルさん。
「強いですか」
そういう自覚はないのだけれど。
「っていうか、素直なのかな。あの子ってそういう正面からの人付き合い、最初から諦めてるふしがあるから」
それは確かに感じることがある。だからわたしが押していかないとキスもできない。
「まあ、それを言っちゃうと私もなんだけど。ゼロワンさんは違うなって思ったの。ごめんね。重いこと話しちゃって」
ははと笑いながら、ニルさんは話を終わらせようとする。
「わたしもそんなに正面からの付き合い、得意なわけじゃないですよ」
これは言っておかないと。実際、わたしは学校や家族との付き合いからは逃げがちだ。ニルさんが言うほどの人じゃない。
「お姉さん。ええと、ヒダカさんだからです」
もともと丸いニルさんの目がもっと丸くなり、笑う。
「ほら、そういうとこ」
釈然としないが、ニルさんにはそう見えるということにしておく。
それはそうと。
「本人がいないところでこういうこと話すの、陰口みたいで苦手です」
言うべきことだと思ったので言っておく。
「そうだね。やめとこうか」
ニルさんは悪戯っぽく笑って舌をちょっと出し、話をやめてくれた。助かる。
「中華街で言ってた、神話とかの本ってどういうのですか」
話を打ち切っただけじゃ悪いので、こちらからも振ってみる。
「えっと。そういうのを要約してる新紀元社の本とか、なんとか神話物語みたいな本とか。上に何冊かあるけど」
「わたしたちが寝てた部屋の本棚ですか」
「そうそうあそこの本。適当に読んでもいいから。って言っても、そんなに時間ないけどね」
今日の夜が終わったら朝からコミケに行って、一回戻ったら帰らないといけない。二泊三日、高速バスを入れたら四泊五日の旅だが、自由時間はあっという間に過ぎてしまう。
「もうちょっとのんびりしたかったですね」
「お? なーに? もうちょっと居たかった?」
お風呂から出てきたお姉さんが麦茶を飲みながら扇風機の近くに来た。
「特に予定を入れずにしばらく居たりとか、いいかもしれません」
「あー、いーねー。ここに泊めてもらってごろごろしたりアキバ行ったりすんの」
「学校が無い時期なら泊めるよ」
お姉さんの家でいつもやってるようなことを、何日も。魅力的だ。
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