勝鬨橋を渡り
慣れない自動販売機で切符を買い、改札を抜けるとすぐに電車が来た。
それに乗って揺られていると、三月のサリン事件ではこの路線も現場になったんだなあなどと、気にする人からは不謹慎といわれそうな感慨がわいてくる。
通過する駅も、ニュースで見たような気がする。
横に立っている人をちらとうかがうが、彼女はどこを見ているかわからない目で手すりを握っている。
こういう時、わたしたちは言葉を交わさない。
常に話をし続けるのは、話し続けていないといけないような気持ちになってしまうので、沈黙したままでも用事があるまで放っておいてくれるお姉さんとは気が合う。
そんなことを以前話したら、あたしも口下手だからさ。などと言われたけど。
それが心地いい。
途中、結構人が乗ってきて、わたしたちも含めて築地でそれなりの量が下りる。
「これのほとんどがコミケ組かー」
お姉さんが嘆息しているが、確かに多い。
「朝はもっと凄いらしいけどね」
そうも言われた。その流れに乗り、駅を出て通りを歩く。横には大きなお寺。空はすっきりとした晴れだが、その分日射しが痛いほどだ。
「ちょっと不格好だけど、これ被っとく?」
お姉さんがバッグから取り出したのは、タオルだった。
頭に直接日光を受けないためにはいいかもしれない。
ありがたく借りることにする。その端を両手で持って頭に乗せていると、なんだか体育祭みたいだ。
お姉さんもタオルを被り、ふたりで歩く。できるだけ建物のある場所を通っているつもりだが、ちょうどお昼時なので影が短い。
暑さに辟易してきたところで、大きな橋が見えてくる。
「あれが勝鬨橋だって」
見たことがあるかもしれないアーチの橋。やはりテレビや新聞で見るような場所に自分がいるのは、不思議な気分になる。
そんな旅情を掻き消すように、遮る物のない橋の上は日射しが辛い。
「暑いですね」
「あっついねー。日焼け止めも落ちちゃいそう」
お姉さんはタオルの端で顔をあおいでいるが、辛そうなのが見て取れる。以前からインドア派と自称していただけあり、わたしより参ってそうな声だ。
「日傘買えばよかったですね」
「人が多いし長い物はだめっぽいからねー」
「そうなんですか」
知らないことだらけ。いや、わたしが何も知らないまま来ているだけか。
「いやー。タオル持ってきててよかったー」
橋を渡り終えて大通りをまだ歩き、別の通りと合流する頃になると、そちらからも人が集まってきて、みんながぞろぞろと歩む。
話をしながら歩いている人たち、黙々と早歩きする人、駅に戻るのだろうか、わたしたちが来た道へ帰る人など、多くの人々に紛れ、わたしたちは言葉少なに歩いた。
そして、間近に見える建物をぐるりと反対側に回らされ、ついに辿りついた。
大きな建物がいくつかと、その間でうごめく人の群れ。出入り口には大きな看板。
「いやー、なんてーか」
お姉さんも息を吐いている。
「多いね」
「はい」
人が多いときの駅のような、誰もがどこかを目指している動きに圧倒される。
「まー、社会見学だし。君が読んでるような小説のは、あるなら多分明日」
「あるんですか」
人の流れの緩いところでゆっくり歩きながら、お姉さんが説明してくれる。
「どーだろ。君が何読んでるかよくわかんないし、まだカタログもろくに読んでないからなー。歩きながら探すってことで」
そう言って微笑まれるが、肝心なところがいい加減だ。
「今日は何でしたっけ」
「スラダンとか幽白とかのジャンプ系と、ガンダムやらロミオとかのアニメ。全般的に女の子向けかなー」
「それならうちの学校の美術部にも好きな子がいますね」
「そっかー。後輩たちも相変わらずなようで重畳重畳」
ゆるゆる歩きながら軽く説明を受ける。
うちの学校でもイラストを描く子がいたことを言うと、意外にも反応が来た。
「あたしは帰宅部だったけど友達に熱心なのがいてねー。うちのって高校からも先輩たちが来るし、活発な方だと思うよ」
続く言葉に、はっとする。
「それに、そもそも元生徒だし」
お姉さんはわたしの学校の先輩に当たるのは確かなのだが、彼女の口から学校の事が語られるのがこんなにも意外だったとは。
「お姉さん、学校の友達って感じじゃないですから」
「だよねー。ゲーセンの変なねーちゃんだし、あたし」
突然見えてしまった側面から目を逸らしてそう言ってしまったが、にっこり笑ってくれたところに、何故かほっとする。
わたしが家にいるのも息苦しく、学校にいるのも窮屈だったところに、新しい世界を見せてくれた人。
お姉さんと一緒にいる間は、そういう事を忘れていたかったのかもしれない。
そう考えると、すっかり甘えてしまっている。
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