旅立ちの日

 ふたりで並んで会計を済ませ、また色々な店を回る。


「そういえば、何で洗顔料がいるんですか」

「行き帰り夜行バスだから。寝る前に歯磨きして顔を綺麗にしたほうがいいっしょ」


 なぜかデパートの中にある旅行用品コーナーを覗きながら、そんなことを話す。


「あー、訊いとくの忘れてた。もしかして毎日決まった時間にお風呂に入らないと駄目な人だったりする?」

「そんなことはないですけど」

「よかったー。一日目の朝着で、そのまま晴海まで行く予定にしたからさー」


 説明を聞くと、夜行バスで東京についてそのままコミケの会場に行き、終わってから泊めてくれる人と合流する予定らしい。

 なので、お風呂を済ませてから家を出ないと、最悪一日お風呂に入れないという話だった。夏にそれは困るので、今聞いておけたのは助かる。


「バスはもう予約してるんですか」

「手配してるよん」


 旅行用品コーナーに洗顔料は置いてなかったので、お姉さんが家のを持ってきて遣うことにし、適当に歩きながら話す。

 あっちで何をするか、最近あったこと、夏休みの宿題のことなども。


「あ、こんなとこにもゲームあるんだ。これ面白いよ」


 デパートの休憩所になっている一角に、予定命日や享年などと書かれたゲーム機が据えられていた。


「ちょっとやってかない? レバー倒すだけのクイズゲーだから」


 それなら簡単そうなので、うなづいてお姉さんに続きお金を入れる。レバーを倒しながら性別と現在年齢を設定すると、ゲームが始まった。

 クイズの内容は生活習慣みたいなものが多く、割と簡単だが、回答が速いほど寿命が増え、逆に間違っていたら寿命が減る。

 お姉さんは全問正解で享年百歳を越え、わたしも無難に半分以上を正解させ、享年六十歳くらいの得点だった。


「ね、面白いっしょー」

「結構いいですね。でも、答え覚えてなかったですか」

「ばれたかー。去年はまったんだよね」


 余命データは印刷され、それをもらえるようになっている。凝っている。

 その後も店内をぶらぶらしていると、ファンシー系の雑貨店で店先のワゴンにカメラが置いてあった。しかも五百円。フィルムを入れるだけのタイプだが、安い。

 さっきお姉さんを眺めていたとき、カメラが欲しかったことを思い出し、手に取る。フラッシュもついてるし、悪くなさそうだ。


「カメラ買うの?」

「せっかく旅行に行くんですから」


 それに、今みたいなお姉さんとのデートも撮りたいし。とは言わず、レジに持って行く。

 結局ほとんどぶらぶらしているだけで、買ったのは服を一着ずつと、わたしが歯ブラシとカメラくらいだった。お互い、あまり無駄遣いするわけにもいかない。


「じゃー、今日はバスで帰るから」

「お礼のメールはまた別の日に行って出します」


 外に出ると、空がすみれ色になっていた。今からお姉さんの家に行くと遅くなりすぎる。くるりと背を向け、バスターミナルの方へ向かうお姉さんを見送り、わたしは家に向かう電車に乗るために、反対側の駅へ向かう。


 一学期の初め頃は漠然と帰りたくなかった家が、最近はそこまで辛い場所ではなくなってきた気がする。

 家でも学校でもない世界を、お姉さんに見せられたからかもしれない。

 世界は広く、家や学校ではない場所にも色々と居場所があることを知ることができ、そういう裏付けが気を楽にしている。


 だから、この出逢いは本当によかった。


 電車に揺られながらそう強く感じ、家に戻る。

 それからは、旅行の日を指折り数える毎日だった。

 ある程度前倒しにして宿題をこなし、学校の友達と少し遊び、お姉さんの家に何度か行ってパソコン通信をしたり、漫画を読んだり。

 なんだかんだで色々なことをして、その日がやってきた。


「それじゃあ、行ってきます」


 少し神妙に、母に言う。


「気をつけなさいよ。それからこれ」


 一万円札が何枚か入った封筒を渡された。


「いいの、こんなに」

「スーツケースの裏にでも入れておきなさい。お金が足りなくなってご迷惑かけないようにね。無駄遣いはしないように」


 ありがたいが、これは帰ってから返したい。

 駅に着くと、既に着いていたお姉さんが手を振ってくる。この前わたしが勧めたジャンパースカートを着てくれているのがちょっと嬉しい。


「やー、これから数日よろしく」

「よろしくお願いします」


 バスターミナルではお土産や飲み物、お菓子を買い、荷物を預けてバスの中へ。

 それぞれ独立した椅子が、横に三列並んでいて、トイレや給湯スペースまである。お姉さんと肩を寄せ合って寝られるようなのではなかったと、少し残念な気分になる。


「ん? どーしたの?」

「いえ、深夜バスってこんななんですね」


 適当に誤魔化してシートに座ってしばらくすると、出発した。周囲の人が静かな上、席も離れているのでお姉さんにも話しかけづらい。サービスなのかビデオがかかっているので、それを見ながらぼんやりする。

 これはなかなか辛そうだ。横を見ると、お姉さんもビデオをぼんやりと見ている。

 途中で休憩が入ったのでふたりで顔を洗って戻ると、ビデオは終わり、明かりも消えてしまったので、頑張って寝るしかなくなる。


 わたしのいちばん長い夏が始まった。

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