母とお姉さんとわたし

「お任せくださいと言えるほど私もしっかりしてはいませんが、できるだけ一緒に行動するようにもしますので」


 礼儀正しく頭を下げるお姉さんと、満足そうにうなづく母。

 そして、ぽかんとしっぱなしだったわたし。

 白いサマーニットにカーキのロングスカートを着てきたお姉さんは、髪もきちんと整えていたし、いつものよれよれなTシャツとジーンズの姿からは見ちがえていた。

 口調まで違っていて、いつものふやけた感じがない。


 水曜日のお昼前、わたしは母と一緒に学校もよりの駅からすぐのデパートにいた。

 買い物ではなく、母にお姉さんを紹介し、三人で旅行の話をするために。

 あれから電話でちゃんとして来てほしいと何度か釘をさしておいたものの、本当に大丈夫か心配して赴いた待ち合わせの場所には、既にちゃんとした格好のお姉さんが待っていた。


「こんにちは。お初にお目にかかります」


 わたしの姿を見つけて歩み寄ると、少し会釈して母にそう挨拶した。

 違う。

 いつもとあまりにも違う。

 しかし、その笑顔はどことなく引きつっていて、表情を作り慣れずに無理をしている様子が伝わる。


 それはともかく、ビルの中にあるハンバーガーショップで行なわれた会談は何事もなく終わった。

 お姉さんが旅行にかかる費用や日程、宿泊先が中学生時代からの友人であることを説明し、母からの質問にも答えてくれたおかげで、わたしはそれにうなづいたり、細かいことを補足するだけで済んだ。

 そして、さっきの一言である。


「そこまでしてくださるなら。家族から離れて旅行なんて修学旅行くらいしか経験のない子で心配ですけど、よろしくお願いします」


 母も頭を下げてわたしにも促すので、慌ててぺこりと頭を下げる。


「では、こちらが私と泊まるところの連絡先です」


 電話番号と名前を書いたメモが手渡され、それをバッグに入れると、母が言う。


「私は仕事に行くけど、あなたはどうするの」


 母は最近また、パートを始めた。今日は昼からの出勤になっていたので、こうして話をしに出てきてくれたわけだ。


「わたしは旅行の買い物もしたいし、もうちょっとこっちにいる」

「行く前から無駄遣いしないようにね」

「わかってる」


 そう言葉を交わすと、母は飲み終わったアイスコーヒーを置いたトレイを持って席を立ち、そのまま去っていった。


 残されたのは、わたしとお姉さん。

 よく見たら、見ているのがわたしであるせいかもしれないが、お姉さんは美人だ。

 よく梳いたのか、いつもぼさぼさで重そうな黒髪もふんわりとして少し艶がかかり、綺麗なロングになっている。それに。


「ちゃんとメイクしてますね」

「してますわよ。おほほほほ」


 なぜか目線を逸らして平板な口調で答えられた通り、うっすらとチークを入れているため白い肌が引き立っている。


「疲れちゃったからさ」

「待って」


 いつものトーンになったお姉さんの声を遮る。


「もう少し、ちゃんとしてるところ見させてください」


 いつになく真剣な声が出てしまう。

 カメラがあればよかったと気持ち悪いことを考えながら、お姉さんが真面目な顔を維持している姿を目に焼き付ける。

 店内放送や周囲の声が気にならない数十秒が過ぎていく。

 見つめていると、お姉さんの顔がふるふると震え始めた。


「はい」


 わたしが合図をすると、お姉さんが息を吐き出す。


「つっかれたー」


 そう言ってテーブルの上に腕を投げ出した。

 さっきまであんなに綺麗だったのに。


「いつもさっきまでの感じだと、もっと魅力的なんですけど」

「無理無理できない。よそ行きだから」


 そう言って、いつものふにゃっとした笑みを浮かべるお姉さん。

 その顔もかわいいことはかわいい。しかし、さっきのきりっとした顔もよかったし、これまでわたしに見せてくれなかったのも少し悔しい。


「わたしと一緒にいるのはよそ行きじゃないんですか」


 ちょっとすねてみる。


「君はさー、かなり親しい友達っていうか、なんていうか。素をさらけ出せる相手っていうかさあ。学校でもここまでなれる相手いないよ」


 そうなんだ。学校でもここまでではないというのは、意外だ。

 わたしも、学校ではここまであけすけではないので、似たもの同士かもしれない。


「君には不思議とガードが下がるの」


 ほぼ氷だけになったコーラをすするお姉さん。それが照れ隠しだと察してしまえるくらいには、相手を知ってしまった。

 ガードが下がっているというのは、それだけお姉さんに近いということだろうが、そうしたらちゃんとしてくれないというのも、釈然としない。


「それじゃ損した気分ですよ」


 ちょっと頬を膨らましてやる。


「でもずーっとこの格好とさっきみたいな口調でもやりづらいっしょー」

「いいんじゃないですか。似合ってますし」


 本当に似合ってるし、ちゃんと大学生っぽい感じもする。


「むー。そんなこと言うなら君だって敬語じゃなくてタメ口でいいのに。お互い楽にやろーよー」

「これが一番楽なんです」


 正直なところ、タメ口、砕けた口調は使いづらい。

 加減の仕方がわからない。

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