準備始めよう

 人が嫌いなわけではないが、学校での人間関係はクラスメイトより遠くの人になると極端に少ない。

 それでも同級生だと合同授業などで顔くらいは知っている人が数人いるが、先輩や後輩になるとまったくわからない。

 学校の行事や生徒会の仕事などで最低限関わるくらいだから、そういう未知の人たちと友達づきあいをするときの普通などさっぱりだ。


「そんなものなんですか」

「んー、あたしもよくわかんない。漫画やアニメからの知識ってやつ?」


 なんとも肩すかしだが、お姉さんらしい答えでもある。


「まーその、できるだけ誠意を持って話はするから」


 確かに、いくら企んでも、今のところそれ以上のことは言えない。

 そういうわけで、またわたしたちはいつもの活動に戻った。

 わたしは部屋に散らばっている漫画から適当なのを読み、お姉さんはパソコンに向かってキーを叩いている。

 東京の友達に一応行くかもしれないとメールを送るらしい。その人は店を出す側のサークル参加なので東京にいるのは確実だが、サークル側は準備などでいろいろ忙しいそうだ。

 というか、コミケで出す同人誌の原稿を描いて印刷所に送らないといけない今この時期が一番大変なんじゃないかな。

 などと他人事のようにお姉さんは笑っていた。


「よーし書けたしもう出した。返事はいつかわからないけど」


 いつものように電話のプッシュ音とノイズ、しばらくして通話の終わる音が部屋に響くと、そう言ってお姉さんもデスクに置きっぱなしの雑誌を読み始めた。

 お姉さんがやっているのを横で見たくらいの知識だが、パソコン通信は電話で会話するように通話したままで通信するのではなく、あらかじめ何をするか準備し、それを自動処理させるものらしい。

 電話料金は特に長距離通話だとかなり高いし、ホストという通話先も個人で運営しているところなら回線がひとつ、よくて数本しかないという。

 だから、効率よく行なうのが秘訣だとお姉さんは言った。

 始めた頃には何もわからず十万円くらいの請求が来て家族会議になったとか、そんなこともあったらしい。

 よく続けさせてもらえたものである。


「そういえば」


 パソコン通信のことを考えていると、ふと気になったことがある。


「んー?」

「パソコン通信で何の話してるんですか」


 さまざまな困難を乗り越えた先に、何があるのか。


「何のってもなー。それこそアニメとか、この間みたいなゲームの話とか、そーゆーあまりお天道様の下では話し相手がいないような話題かなー」


 漠然としている。さっきコミケの話をちょっと聞いたりしたから、その辺の話なのだなとわからないなりにわかる。


「濃いとこだといろいろな意味で凄い人が多くてねー。面白かったり勉強になったりするわけ」


 含みのある言い方だが、実際にいろいろあるんだろう。

 お姉さんみたいな人の見本市だと考えれば、失礼だがお世辞にもまともとはいいがたい。


「ま、あたしなんてしょせん一介の消費者だって認識させられるなー。そんなとこ」


 ちょっとわからなくなってきた。


「消費者ってどういうことですか」

「んとねー。作る側、プロやってる人も結構いるんだ。漫画家とか。プロじゃなくても、何か作ってコミケとか出てる人もいるし、プログラムやイラストをアップして発表する人もいる」


 なるほど。そういう人たちを生産者とすれば、ここで漫画を読んでいるわたしなんかは消費者だ。


「お姉さんは、何か作ったりしないんですか」

「あたしかー。まあ一応タコなプログラムとかアップしたりはしてるけど」

「それじゃあ生産側じゃないですか」

「いやいやいや、いやー、どうだかねー」


 いやいやと謙遜してるようだが、その量からするとまんざらではないらしい。


「まあその、そこまでばばーんとでっかいことはやってないの。自分が作ったもののお裾分け感覚でね。ただ、コミケとかイベントに出なくても、個人でそーゆーことを気楽にできるのが、パソ通のいいとこよ」


 それはそうだ。東京に行かなくても、小さなことなら部屋からできる。


「ただまー、東京でパソ通もできるってのが一番強いんだけど。通信費高くてねー」


 一気に夢から醒まされる。

 この落差もこの人の魅力ではある。


「そういや、コミケとかに食いついたけど、何かやってんの? 絵とか文章とか」

「いえ、全然です」


 これには即答できる。

 わたしには追いかけてる作品や、自分で何かを表現したい欲求のようなものはない。


「まあそんなもんだよねー。っと、もう昼過ぎてるや。何か食べに行く?」


 時計はもう一時を回っていた。

 開けっぱなしになった戸の向こうには、あまり使ってなさそうな台所が見える。

 幸い、母が仕事だと鍵っ子なので簡単な料理はできる。


「何か作りましょうか」

「お、いいねー。ご飯は昨日炊いたのがあるから頼める? 適当に使っていいから」


 承諾を得たので台所へ行くと、冷蔵庫を開く。

 殺風景だが、汚くはない。キャベツと豚肉、もやしが目についたので、野菜炒めにでもしよう。

 恋人の家に来て料理をするような感じになって照れくさい。

 考え方を変えよう。


「じゃあ、今日はわたしが生産者になります」


 そう言って、台所に立つ、小さなことなら部屋からでもできるのだ。

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