煙草と歳と

「例えばさー、あたしが見てやれなくなったら、変な知識だけ持っちゃったこの子は大丈夫なのかとか」


 だんだん声が小さくなってくるので、聞き逃さないように気をつけるが、ちょっと不可解な方向になってきた。


「もし突然君に嫌われたらあたし大丈夫かなーとか。そーゆーこと考えちゃうわけよ」


 歯切れ悪くそんなことをぼそぼそ呟かれた。

 そこまで気にしなくても。いや、気に掛けてもらえるのは悪い気はしない。

 しかし、何もそこまでと言いたくなる。

 心配性だ。


「心配しすぎです」


 思わず呆れてため息が出てしまう。


「んー、そーねー。今のは極端だとして、上手く行ってるのに予測し辛い要素を入れるのって怖くならない?」


 それはわかる。いつもと同じ道を通ればいつもと同じように学校や家に着くのに、それをわざわざ変える意味はない。

 だが、それを外してわたしはお姉さんと出逢ったのだ。

 だから、多分少しは否定しておいたほうがいい。


「でも、わたしはいつもと違う方法で家に帰るとき、お姉さんに逢ったんですよ」

「それを言われるとなー」


 もともと、わたしの人生の中でお姉さんは異物だった。

 それが、いつの間にか結構気の合う友達みたいなつき合いになっている。

 だからどれくらい外していくかの加減が大事なんだろう。

 しかし、わたしもお姉さんも、それを適切にできるかといわれると、ちょっと言葉につまりそうだ。

 そもそも、そんなことに自信がある人はいないんじゃないだろうか。

 お互い何も言えなくなり、また外の蝉時雨がうるさくなる。

 このアパートの近くには緑が多い。そういうところに何匹もいるのだろう。


「ねー」


 蝉の声の水たまりに一石を投じたのは、お姉さんだった。

 体をもぞもぞと動かし、気まずそうにこちらを向く。

 ちょっと目が潤んでるように見える。


「はい」


 自然と目が合う。少し逸らして調整する。

 お互い人の顔を見るのが苦手なので、ちょっと時間がかかる。


 こんなに顔を近くして話すのは初めてだ。

 お互いの息が当たりそうなくらいの近さ。


「君んちの親御さん、厳しい?」


 決めたら要件から話す人だ。こう来たなら、覚悟ができたのだろう。


「普通。だと思います。交友関係や遊びに行く理由なんかは一応訊いたり、帰りが遅くなったら注意されますけど、決まった門限とかはないです」


 女子校だからか厳しい家だと門限厳守だったり、お小遣いは必要なときに使い方を言わないともらえない同級生もいる。

 そういうところを厳しいというのなら、うちはかなり緩いほうだ。

 そもそも、中学受験も今後の進学を見据えてとか、礼儀作法を身に着けるためみたいな高い志を持ってやったわけではない。

 たまたま家の近くに一貫校があったので、先に受験を済ませておけば中高は楽。くらいの考えなんだと思う。

 そういうわけで、まあ、普通だろう。


「そっかー。少し安心した。一応母校だからそれなりに知ってるけど、やたら厳しい家もあるかんねー」


 そういう家の子だと、そもそも服に煙草の香りを染みこませて帰った時点で大変だ。

 だから喫煙可能なファストフードやファミレスに行くのも駄目な子がいる。


「煙草の匂いつけて帰ってもうるさく言われなかったし、大丈夫ですよ」

「あー、そっかヤニか、ヤニがなー」


 ちょっと苦い顔をするお姉さん。


「どうかしましたか」

「いやね、親御さんがそういうのよくないって言うのなら控えないといけないし、トシがばれてもまずいかなーって」


 そう言われてしまうと、お姉さんが急にわからなくなってくる。

 年齢不詳の童顔で、大学生というのはあくまでも自称。

 わたしは彼女がひとり暮らしだったり、いつも私服を着ている状況証拠でそれを信用しているだけだ。

 今まで変なことはなかったが、何もかもがあやふやな土台の上に乗っていた関係だと思い返し、少し怖くなる。


「あー、変な心配させちゃった? ごめんごめん」


 表情に出てしまったのだろうか。お姉さんが慌ててフォローしてくる。


「トシってのはさ、えーとね」


 ん、っとベッドの上に手をついて上体を起こすと、お姉さんはテーブルの上にあったパスケースを取ると、また上体だけで寝そべる体勢に戻り、それを開いてわたしに見せてきた。

 そこにあったのは、写真付きの学生証。以前お姉さんが言った学校のものだった。

 身分が自称ではないことを示そうとしたのだろうか。そう思ったが、もじもじしているようにも見えるお姉さんの様子を見るにちょっと違うようだ。


「えーと、生年月日見たらわかると思う」


 言われて見てみると、そこには昭和五一年生まれとあった。

 わたしが五六年生まれなので、五歳差。するとお姉さんは。


「未成年だったんですか」


 そういえばここに初めて来たとき、今年から住んでると言っていた。

 入学のときに引っ越してきたということか。


「えへへー。ま、そういうこと。じーちゃんがよく喫っててさー」


 照れ隠しか緩んだ笑顔になるお姉さん。

 まあ、悪いことなんだろう。ただ、わたしは特にそれを指摘したり怒ったりしてもしょうがないとも思う。


「わたしが止めてと言う筋合いもないですから」


 だから、こう言うしかない。


「悪いねえ」


 パスケースを畳んで渡すと、誰に言うともなしにそう呟くお姉さん。


「親の前で喫うのはやめてくださいよ」

「しないよー。というか親御さんと対面するの?」


 お姉さんは少し驚いたような顔をした。


「紹介するって言ったじゃないですか」

「いやー。電話でいつもお世話になってまーすって言うくらいなのかなーと」

「顔を見せて挨拶したほうが信用されますよ」


 確かにわたしが電話してるときに紹介すればいいのかもしれないが、お姉さんみたいに一見無害そうな人なら、実際に顔を合わせて話した方が、親は信用してくれると思うのだ。


「信用されるかー。で、信用してもらってどうするのかなー」


 ちょっと意地悪そうな顔で言ってくる。やっぱり気づかれてしまったか。

 しょうがない。


「この前言ったじゃないですか。夏休みに、どこか行きませんかって」


 正直に言った方がいいだろう。実際、そのために考えたことなんだから。

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