お姉さん、驚く

「親御さんに紹介する?」


 いつも眠そうな目を丸くして、お姉さんが絶句した。

 ここが彼女の部屋でよかった。ファストフードショップや喫茶店でなら、周囲からの注目は避けられなかっただろうから。

 パソコンのデスク前に陣取り、こちらに顔だけ向けていた彼女が椅子を回し、床で漫画を読んでいたわたしと相対する。

 お姉さんの本棚にあったり部屋に積み重ねられた漫画はこれまであまり見たこともないマイナーそうな品揃えで、登場人物が何を言っているのかよくわからないのも多いが、割と面白い。

 だから、わたしはお姉さんが本を読んだりパソコンを弄っているときは、勝手に漫画を読むようになっていた。

 今日はお互い試験も終わったことだし、夏休みのことでも話しましょうと言って昼前に家をおとない、お互いパソコンを弄り、漫画を読みながら、雑談をしていたのだ。


 そしてさりげなく、この前から考えていたことを切り出した。

 こちらを見ているお姉さんは、初めて見る表情になった。

 これがこの人の真顔なのだろうか。ジーンズに包まれ組んでいた足を戻し、キーボードからも手を放し、膝の上に置く。

 そして、震えながらその唇が音を紡いだ。


「誰を?」

「お姉さんを」


 わたしは本を床に置き、お姉さんの方を向いて返す。


「誰に?」


 ぽかんとした顔を不可解に歪ませ、続きを訊いてくるので、これにも即、返答する。


「わたしの親に」


 沈黙。外で鳴く蝉の声と、窓枠にはめ込まれたエアコンの音が響く。


「いやーそれはこう、何かまずくない?」


 手を妙な感じに動かしながら、しどろもどろになるお姉さん。

 Tシャツに描かれたおかしな顔の動物よりおかしな顔をしている。

 この人のこういう表情が見たくなかったといわれたら嘘になるくらい、わたしはこの展開を狙っていた。


「何がですか」


 努めて平然と言葉を返す。

 そう、全然おかしなことはないはずなのだ。


「勉強を見てくれてる先輩を、親に紹介するだけですよ」


 改めて言葉にすると、どこにもおかしな要素はない。


「でもさー、あたしはそんなに褒められることしてないっていうかさー、むしろ君を悪い道に引き込んでるような気もするし、そういう負い目って奴? あるわけよ」


 お姉さんはしどろもどろである。

 だが、言いたいことはわかる。

 ゲームやパソコンになんとなく興味を持ち、パソコン通信をたまに覗かせてもらったりもしている。

 それが世間一般でいう中学生女子に望まれるものかというと、違うだろう。

 だから、悪い道というのも確かにその通りかもしれない。


「でも、お姉さんはわたしくらいのときには、もうパソコンを買って通信とかやってたって言ってましたよね」


 特定の意図を含ませて以前言われたことを引用する。ちょっとずるい。


「そりゃまあ、ねえ。だけど自分の趣味が一般的じゃない自覚はあったさ」


 何もない方へ目を泳がせながらもごもごと言葉が続く。


「だからさー、君まで苦労する必要はないんだよみたいな親心? みたいなのがあるわけよ」

「それはわたしが決めることです。それに、最初に声をかけたのはお姉さんですから」


 これを言うのはかなりずるいか。目を合わせ辛く、上目遣いになる。


「そっかー。そーなんだよなー」


 はああと長いため息を吐きながら、お姉さんは椅子から立ち、わたしの横を通り過ぎて部屋の反対側にあるベッドの下半分に上半身をうつ伏せた。少し埃が舞う。


「最初に声かけたのあたしなんだよなー」

「後悔してますか」

「少し。あんなゲーセンに来る奴なんて、どうせ同類だと思うじゃん」


 顔をちょっと横に向け、そんなことを言うお姉さん。


「まさかゲームとかよく知らない、こんなお嬢様だったなんてさー」

「お嬢様って」


 そんな柄じゃない。わたしはただの中学生だ。


「いやー、お嬢様じゃないなら、アレだ、堅気とか一般人っていうの? キラキラしてる方。そっちの世界の住人だったなんて」


 お姉さんはわたしに対して負い目を感じているらしい。

 オタクっぽい趣味がないわたしに接触してしまったこと、彼女としてはそれ自体が不本意なのかもしれない。

 気にしなくていいのに。こちらもこちらで、わからなかったり、興味がないなりに楽しくやれているのだから。


「らしくないですよ」


 わたしもベッドの上半分、お姉さんの横へ上半身を投げ出す。

 布団からは煙草や他いろいろなものの混じったお姉さんの匂いがした。嫌ではない。

 顔を横にすると、お姉さんの顔が目の前にある。

 半分布団に押しつけられ、髪もばらばらだ。多分、わたしも同じようなものだろうが。


「もー、何なのさー」

「だから、らしくないですよ」


 お姉さんはもっと図太くて、人の心にずかずか踏み込んでくるじゃないですか。と、そう言おうとして、さすがに飲み込んだ。

 見てないようで目ざとく観察しているのは勉強を見てもらってるときにも感じていたが、変なところで気にする質でもあったみたいだ。


「んなことないさー。これでも結構気にするんだい」


 口を尖らせて反論する。ちょっとかわいい。


「何をですか」


 これは純粋な疑問。お姉さんは何を気にしているのだろう。


「いろいろー。これでも繊細なんだい」


 反対側にごろりと転がられてしまった。こちらからは後ろ頭が見えるだけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る