オレンジジュースで乾杯
「まー、適当にそこ座っててよ。コップ持ってくる」
困惑しながらフローリングの床が見える場所に座ると、お姉さんが台所からコップを持ってきて、コンビニで買ったオレンジジュースを注いでわたしに手渡し、自分の分もコップに注ぐと、それを掲げてこう言った。
「記念すべき我が家初めての来客にかんぱーい」
はいかんぱーいとお姉さんがわたしのコップに自分のコップをぶつけると。カツンと音がした。
「いいんですか」
思わず訊いてしまう。
「ん?」
「わたしが初めてで」
するとお姉さんはふき出してしまった。いつもながら、ちょっと失礼な人だ。
「ごめんごめん、かんぱーいとか言ったけど、特に呼ぶ人もいなかっただけだかんね。ここに住みだしたのも春からだし。シリアスに取らないでいいよ」
初めてだと言われたので少し緊張したが、そう否定されてもそれはそれで釈然としないものがある。
その気持ちごと、オレンジジュースを飲み、アーモンドチョコを開ける。
「食べるならどうぞ」
「お、ありがと」
お姉さんは椅子の上からチョコをひとつ取ってかじりながら、パソコンのスイッチを入れ、駅前で買ったゲームのパッケージを剥き始めた。
「パソコン使うんですか」
「うん、カードのリストがあるんだ」
彼女は慣れた感じで何度かキーを叩きながら、画面とカードを見比べている。
それをまじまじと見るのも気が引けるので半分ほど視界に入れ、チョコをかじり、空のコップにジュースを注ぎながら、部屋の中を見る。
本棚、積まれた裸の本や箱、学校のものらしきプリント類、パソコン関係の機械か道具のようなもの、脱ぎっぱなしの服、エトセトラ、エトセトラ。雑然としている。
物が多い部屋。
長いことこうしているのも悪い気がするので、文庫本を出して読み始める。まさか、こんなところで役に立つとは。
「ごめんね、暇させちゃって。終わった」
カードの確認が終わったのか、お姉さんがこっちに声をかけてきたので、わたしも文庫本から顔を上げ、彼女の方を向く。
「しかし、なんだなー」
ちょっと申し訳なさそうな感じでお姉さんも床に座りながら言う。
「君が楽しめそうなの、うちにあるかな」
本棚には学校のテキストもそこそこに雑誌や漫画が並び、床にも積まれているが、わたしの知らないものばかりだ。
「何か適当に読む? ゲームは、ひとり用が多いかな。あとは格ゲー」
ゲームは、悪いけどよくわからない。
「いいですよ、気にしないで」
お姉さんはもてなし慣れてないみたいだし、わたしも人の家に行って何をすべきかなどよくわからない。
「しばらく本読んでます」
「そっか。そういやそろそろ一服したいけど、いい?」
肯くと、お姉さんはテーブルの上に置いていた煙草を取り、吸い始めた。
「ねー」
数分経っただろうか、お姉さんが声をかけてきた。
「何ですか」
「いやー、家に誰かいるのも悪くないね」
ふふ、と笑う。
「そうですね。お互い何もしてなくても」
本から顔を上げ、そう応じる。
心地よい。
ひょっとしたら家よりも落ち着くかもしれない。
「悪いけど、弁当も食べるね」
「いいですよ」
煙草を吸い終わったお姉さんは唐揚げ弁当を開けつつ、デスクでパソコンをいじり始めた。 電話をかけるときのような音が鳴り、機械音が響く。
「何」
「あー、ちょっと通信をね」
この前も言っていた、パソコン通信だろう。あんな音がするのか。
「さっき出たカードの交換依頼出すの」
「交換するんですか」
「そ。そして自分好みのセットを作っていくの」
お姉さんがこっちを向いて喋っている間も画面に文字が流れ、短く音が鳴った。
「はい書き込み終わり」
「何も操作してないのにですか」
「うん。そういうツールがあるの。市内で三分十円でもバカになんないし、遠距離はなおさらね」
高いんだわーと笑いながら、またパソコンを何事か操作している。
「こうやってね、回線切って書き込み読むの。昼だしあんまり書き込みなかったけど」
キーを叩きつつ最後に残っていた唐揚げを口に入れ、お姉さんは少し沈黙した。
「楽しそうですね」
屈託なく笑うお姉さんが楽しそうで、可愛くて、こちらの頬も緩んでしまう。
「うん、たのしーよ」
わたしはこんな顔になれるのだろうか。
「ん? あたし何かいいこと言った?」
お姉さんが笑顔のまま不思議そうにこっちを見下ろした。
「え」
「だって君も」
楽しそうだからさ。と言い、床に腰を下ろす。
「お姉さんが楽しそうだったから、わたしも」
「そっかー、ならよかった。あたしだけが楽しんでるわけじゃなくて」
わたしも結構笑っていたようだ。指摘されて気づく。
「あたしはほら、もう大学生だし、通信もあるしで、普段は趣味が同じ人としか接しないからさー。君を家に呼んでもそれから何をすればいいのかわかんなくってさ」
今更ほっとしたような顔をして、そんなことを言われる。
いい加減というか、それで意外と気にしてるというか。
「そういうところ、好きですよ」
言いながら、恥ずかしさを紛らわすためにお姉さんのコップへジュースを注ぐ。
「えへへー、ありがと」
どちらへのありがとうかはこの際気にしない。
「これも開けちゃいましょう」
気恥ずかしさを紛らわすためにポテトチップスを開け、口に運ぶ。
顔が熱く、自分でもしどろもどろになっているのがわかる。好きだと言うだけでこんなにも動揺するものなのか。
恋人がいるらしい噂や、いることを公言しているクラスメイトの顔が脳裏を駆け、彼女たちが一気に凄く感じられた。
こんなことを日常的にしているのだから。
などと考えていたところで、ふと気づく。
わたしにとってお姉さんは何なんだろう、そして、お姉さんにとってわたしは何なんだろう。
頭の中で考えるだけでは詮無いことかもしれない。
しかし考えながら、お姉さんにポテトを勧める。
「いやー、悪いね」
「数百円じゃないですか。それに、どうせわたしも食べるんです」
そのことについて訊いてみる気はない。この曖昧さが居心地のよさを形づくっているのだろうから。
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