その名はMAGIC

 何かお姉さんにとっては難解な質問をしてしまったようで、ううんううんと唸りだしてしまった。


「一種のトランプみたいな、カードで遊ぶゲームなんだけど、パックに何が入ってるかわかんないんだよね。んだから、買って、集めないといけない」


 お姉さんが悩むのもわかる。何を言ってるのかよくわからない。

 そもそも、買ってそのまま遊べないのは何か違う気がする。


「不良品じゃないですか」

「割とそう言われる」


 否定されなかった。


「だけどなー、限られた戦力でしか戦えない。ってのが、リアリティあるっていうか、制限があるほど燃える。みたいなところがあるのさー」


 ああ。何かがわたしの中でひっかかった。


「不完全な状態から、ゲームを始めるんですか」

「そうそう。最初なんか何がどれだけ入ってるかもよくわかんなくて。それをパソ通なんかで埋めてくわけ」


 それは、わかる気がする。

 お姉さんが買ったこのゲームは、誰かと話がしたくなるゲームなんだ。

 学校で昨日のテレビや試験の点数が話題になるように。現に、今、こんな風に。


「話をするための道具。でもあるんですね」


 なんとなく口にしただけだが、お姉さんがはっとした顔をしてこちらを見る。


「それだ」


 どうやら図星をつけたようで、少し嬉しい。


「そうなんだよなー。不完全だから話のネタにしやすいゲームなの。買ってるだけで探検してるみたいな気分になるしさー」


 随分ご執心のようだ。ひょっとして。


「今月は金欠って」

「そ、これ買っててちょっとね。購入制限かかってるのにすぐ売り切れるからさー」


 そんなに人気なのか。普段の行動範囲とはまったく交わらない場所で起こっている何かが漏れてくるのも、このお姉さんとつきあい出してからの楽しみかもしれない。

 行き違うだけだから、鬱陶しくなくていい。

 わたしにとって、お姉さんは世界の広さを示唆してくれる人なのである。

 それはそれとして、ビルの前で延々喋っているのも具合が悪い。


「どこ、行きましょうか」

「どうしよっか。まだ昼前だけど駅前で暇潰す?」


 腕時計を見ながらお姉さんが訊いてくる。わたしもつられて自分のを見てみると、確かにまだ十一時をちょっと過ぎたくらいで、お昼というには早い。


「君さえよければさー。うち来る?」


 少し驚く。相変わらず、急に距離を詰めてくる。


「いいですよ」


 ごく自然にそう応じていた。

 実は友達の家に行く経験はあまりない。小学生の頃以来だろうか。

 でも、今の流れなら悪くない。


「じゃー、バス停行こ」


 大通りに出て、バスに乗る。日曜のこの時間帯、郊外行きのバスにそこまで乗客はいないので、すんなり座ることができた。


 ふたりがけの席に隣り合って座ると、少し緊張する。

 友達と乗るときも同じようにしているのに、今は気になってしまう。

 お互いの体温がわかる距離、近い間合い。

 ほのかに煙草の残り香がする。気がする。それくらいの近さ。

 窓枠に肘をついて窓の外を眺めているお姉さんに合わせ、わたしもなんとなく窓の外へ目をやる。

 今はちょうど彼女と初めて出逢ったゲームセンターのある商店街だ。そこからわたしの学校と図書館の前を通り過ぎ、もう少し進む。


「次で降りるよー」


 そう言ってボタンを押してから、お姉さんははっとしてこっちを向く。


「もしかして、押したかった?」

「いえ」


 子どもじゃあるまいし。でも、お姉さんは押したい人に見える。

 バス停で降りると、学生街の外れ、建物の間に緑が混じる住宅地に放り出される。

 わたしの活動範囲である学校からもそう離れていないのに、さっきの商店街とはまた雰囲気が違う、未知の土地だ。


「ちょっと寄り道するから」

「はい」


 曲がり角に貼りついているような建物のコンビニに入る。

 中は少し薄暗く、ひなびた雰囲気だ。レジに学生のバイトっぽい店員さんがひとり、暇そうに立っている。

 他にお客もいない店内をお姉さんは行きつ戻りつ、計算しているのか指折りながら飲み物やお菓子などをかごに放り込んでいる。


「五百円。いや、七百円までかなー」


 随分厳しそうだ。ペットボトルの飲み物とポテトチップス、チョコ。それにお弁当を追加したら予算オーバーである。


「お菓子、わたしも買ってますから」


 ふたりで食べられそうなお菓子をいくつか被っているふうに出し、それとなく助け船を出してみる。


「うーん、君に気を遣わせるわけには」

「この前おごってもらったじゃないですか」


 それに、どうせわたしも食べますから。みたいなことを続け、お姉さんにお菓子を諦めてもらおうとする。

 お姉さんは半ば笑い、もう半分は困ったような微妙な表情で、お菓子を棚に戻してくれた。

 お姉さんの気が変わらないうちにとわたしはレジを先に済ませ、一足早く店の外へ。


「はい、お礼ってわけでもないけど」


 しばらくすると、お姉さんが出てきて緑色のアイスを半分に割り、片方をこっちに渡してきた。


「あ、ありがとうございます」


 陽が高くなり、蒸し暑さも感じ始めた昼前には、爽やかなソーダ味がありがたい。

 ふたりでそれを食べながら、無言で歩く。親や先生が見たら眉を顰められそうなことをする背徳感が刺激的だ。


「っと、そこのアパートね」


 もうしばらく歩き、お姉さんがアイスの棒で示した木立の向こうには、結構年季の入ったアパートが建っていた。二階建ての、通路が露出しているやつだ。

 あのママチャリが繋がれてる部屋がある。お姉さんはその前でポケットに手をやり、鍵を取り出す。


「いらっしゃいませ」


 ドアが開く。


「お邪魔します」


 ドアを開けているお姉さんにぺこりと一礼し、中へ。

 足を踏み入れたら、その家にある色々なものが混じった、よその家の香りがした。

 煙草の他はよくわからないが、お姉さんがいつも身に纏っている香りをさらに強くした感じだ。

 入ったところは台所で、そこを隔てて本棚とタンスがある部屋が見える。


「はい、ちょっとごめん」


 お姉さんが後から入り、台所の向こうに行くと、こっちを手招きする。

 それに招かれて入ってみると、部屋の全体像が目に入った。

 壁越しで見えなかった本棚の横にはテレビとビデオデッキとゲーム機にテーブル、その向かい側にはデスクトップ型のパソコンが鎮座したデスク。

 そして、逆の壁際にベッド。


 まさに所狭し。だ。ベッドや床の上にも本や書類、よくわからないものが放り出されていて、混沌としている。

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