遊びにおいでよ
ジュースを飲みながら無意識に手を伸ばすと、袋の前で指がぶつかる。指を戻すと、お姉さんも戻す。
ぷっ。とお姉さんがふき出す。
「お先にどうぞ、お嬢様」
「なんですかそれ」
「言葉通りの意味だよー」
そう言ってにいと笑うお姉さんの言葉に甘えてポテトを取る。
いつものようにテーブル越しではなく、膝をつき合わせる距離でこんなことをやるのは、かなり恥ずかしい。
恥ずかしいことばかりだ。嫌ではないけれど。
「しかし、ふたりいると暑いわ。パソもあるし」
指をティッシュで拭いながらお姉さんは窓を開けたが、残念ながらあまり風はない。湿り気と瑞々しい植物の匂いが部屋に入ってくる。
「もうすぐ夏だねー」
「そうですね。夏休みどこか行きますか」
今度はこっちから攻めてやる。
「ん、あたしゃ何の予定もないけど。あってパソ通のオフかゲームの集まりくらいで」
ああ、無自覚なんだ、この人は。だから、わたしが恥ずかしい思いをする。
「わたしと、どこかに、行きませんか。ということです」
お姉さんが口をへの字にして目を丸くした。わたしは彼女をこういう表情にさせたかった。のかもしれない。
「そ、そう言われると、なんとも言えないよ」
何を照れているのだろう。
「だいたい外泊とかはちゃんと親御さんの許可取らないと、誘拐犯になっちゃうし」
そういうことだったのか。夏休みどこかに行くが旅行や外泊と取られるとは。でも、大学生ともなるとそんなものかもしれない。
「別に外泊とか旅行じゃなくって、夏休みにどこか行きませんか。くらいの意味です」
「そっかー、悪い悪い。夏休みだから勝手に旅行か何かかと、ね」
言われてみれば、普段も逢っているのだから、夏休みにと頭につけば旅行や外泊を思い浮かべるのは自然かもしれない。
そして、それは悪くもない提案だった。
「泊まりになるかどうかはともかく、夏休みにどこか行きませんか」
改めて訊ねる。
「そーねえ。考えとく」
意外にもちょっと真面目な顔をしたまま、そう返された。なんとなくふたつ返事で承諾すると踏んでいたのに。
「いやさー。あたしアウトドア苦手なのよ。プールや海ってガラじゃないし」
カーディガンの袖を弄りながら言うのがちょっとかわいい。確かにこのお姉さんが海やプールでいきいきしてる姿は想像しがたい。
「じゃあ、お姉さんの好きなところで」
「んー。でも一日中いたりして君が楽しめるかっつーとさあ。ねえ」
やっぱり結構気を遣う人なんだ。実際、やることだけを済ませて余裕なさげにしている感じがするときも多い。
「いいんですよ。楽しそうにしてるのを見るのも楽しいですから」
「そう言われてもなー」
一応気にはしてるんだよ。と言って口を尖らせる。
「いいじゃないですか。ここでこんな風にしているだけでも」
「えー。それってなんか凄く爛れた感じじゃん。君は仮にも中学生なんだから」
何か変な気の遣われ方だ。
「しかし、夏休みねー。うちは七月末まで授業あるし、八月からだなー」
そうなんだ。だとしたら、結構先の話だった。
「ま、お互い試験もあるし、まだ先でしょ」
それはそうなのだけど。この人は妙なところで年上らしいところを見せてくる。
「悪い人づきあいをしてるから成績が下がったって言われても、嫌でしょ」
「お姉さんは悪い人なんですか」
「ん、悪い奴かもよ」
口の両端を上げ、中坊を家に連れ込んで悪いことを教えてるからねーと、デスクの上にあるパソコンやカードを顎で示す。
「それですよ」
「んー?」
「教えてもらってないです」
ただ一緒にいるだけじゃないですか。そう続ける。
一緒にいるだけで楽しいけど、教えてもらってはない。
「教えてくださいよ。パソコン通信とか、ゲームとか」
「うーん。こういうのって教えてなんとかなるもんじゃない気がするしさー」
カルマっつうかさ、なっちゃうんだよ。などとぶつぶつ呟いている。
「あたしも誰に教えられたわけでもないのよ。自分で好きなことを見つけて、そっちに向かったら、いつの間にかこんなになっちゃったわけ」
そう言って頭をぐるりと回すお姉さんに合わせ、わたしも部屋をぐるりと見渡す。たくさんの本と、ゲーム、そしてパソコン。
趣味の部屋だ。いわゆるオタク、マニアな人なんだろう。
「だから教えるったって無理かなー。だいたい、遊びは教えられるもんじゃないよ。最終的に続くかどうかって、その人のセンスだから」
厳しい。だが、わたしも興味があるから言っているのだ。
「パソコン通信って、どれくらいかかるんですか」
「パソコンと、モデムっていう機械と、電話回線がいるけど、家にパソコンがあるとして、回線使わせてもらえるかが一番きついかもねー。中学生が見ず知らずの不特定多数とコミュニケーションする。ってだいたいよくない方向の想像されるでしょ」
実際言葉にされると、ぐうの音も出ない。このお姉さんのことだ、それをどうにかする論理を教えてくれたりはしないだろう。
多分、そーゆーのは自分でやりなよー。などと言われ、はぐらかされるに違いない。
「そう、ですね。厳しいです」
「そもそも君んちにパソコンあるんだっけ。まずはそこからかなー」
「一応親が持ってますけど」
「そっかー。それならモデムが一万円くらいかな」
結構安い。それならお小遣いの貯金から出せそうだ。
「ま、うちで余ってるやつも貸せるけど」
あれだけ深刻な話をしたのに、わたしが結構やる気だと見たら乗り気なのだろうか。
「それにさ」
よっ。と立ち上がり、デスク前の椅子を半分くらいこちらへ回す。
「その掛け声、年寄り臭いですよ」
「いーの、君から見たら年寄りなんだから。それより、さ」
椅子に座るよう促される。なんなんだろう。
「ほい」
椅子を回され、体がデスクに向けられる。そこにあるのはパソコンのキーボードと。ディスプレイ。そしてマウスや灰皿。
「とりあえず、どこかのネットをゲストで見てみる?」
お姉さんがわたしの肩越しにキーを叩くと、画面が切り替わっていく。
「ゲストって何ですか」
「文字通りお客様。読み書きできる掲示板が限定されるけど、雰囲気はわかってもらえるかも。情報も登録しないでいいからね」
またキーが叩かれ、あの機械音が響く。
「ここからは自分でやってごらん」
画面に出ている説明は幸い日本語だったので、それに促されてゲストで入るための文字列を入力し、送信する。
ここは学校の授業で少し触ったパソコンの操作と同じだ。
「こうやって繋ぐわけ。で、後は掲示板を覗いたりするわけだけど」
操作のやり方を教えてもらいながら、掲示板を眺める。
ゲストなので見られる場所は制限されているらしいが、それでもかなりの量があり、その中では自己紹介や日常のちょっとしたことが書き込まれている。
十分ほど眺めて、回線を切る。
「教室の雑談みたいですね」
「そ、自分で居心地のいい場所を探せるのが利点かな」
わたしがここにたどり着いたように、お姉さんも探していたのだろうか。
「あの」
「んー?」
思い切って訊いてみる。
「ここでパソコン通信、させてもらっていいですか」
あつかましいことこの上ないが、ちょっと試してみたい魅力があった。
お姉さんはお姉さんはお姉さんはうーんと唸りながらも、笑みを浮かべて言った。
「ま、うちでする分ならあたしが見てやってられるしさ」
遊びにおいでよ。
「それ、殺し文句ですよ」
「知ってる。恥ずかしいんだよ、こっちも。みなまで言わせるない」
多分、この人もわたしも、不器用なんだろう。人との距離の取り方や、縮め方が。
だから、時々お互いびっくりするような詰め方をする。
こういうのを何というのだろう。同病相憐れむ。類は友を呼ぶ。とにかく、そんな言葉が恥ずかしさを打ち消そうと頭の中をぐるぐるする。
しかし本当に大事なのは、お姉さんの好意はたぶん本物だということ。
そして、わたしはその好意に甘えたいということだ。
「よろしくお願いします」
今度はお互い笑い合えた。自分の表情はわからないが、そう確信できた。
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