六月の日々

五月から六月へ

 結局、喫茶店では無難な質問しかできなかった。どこの大学に通ってるとか、どの辺りに住んでいるのか、とかだ。

 何でも訊いてよと言われた割には、何も訊いていない気もする。

 しかし、あのお姉さんとわたしでは、前提が違いすぎて話の手懸かりになることが少なかったのだ。

 そう思って釈然としない悔しさを紛らわす。

 それでも、学校の話は彼女がわたしの通う学校の卒業生ということもあり、少しは間が持った。


 それによると、どうやら近くにある国立大の理工学部に進学したらしい。

 うちの学校は進学する生徒が多いが、そんな中でも理工学部は結構珍しい。

 だから、噂好きなクラスメイトや進学について詳しい先生に訊ねれば、何か話が聞けるかもしれない。

 もっとも、それで何事か詮索されるのは嫌なので、胸に留めるだけだが。

 そして、趣味はゲームとハッキング。


「ハッキング、って犯罪じゃないですか」


 詳しくないが、コンピュータ犯罪をそう呼ぶらしいことを知っていた。


「んーん。元の意味ではマニアックなコンピュータいじりのことなんだな。ま、あたしがやってることなんてたかが知れてるから、格好つけなんだけど」


 ちょっと顔に赤みがさしたように見えた。照れているのか。

 それからお姉さんは、やや渋い顔になってコンピュータ犯罪のことはクラッキングだよねー。とか、言葉の意味は変わるからなー。などと少し寂しそうにぶつぶつ呟いていた。

 やっぱり変な人だ。

 そう思うと、少し笑えた。


「よかった。いきなり涙目になられたときはどうしようかと思っちゃった」


 表情の変化を見られたのがなぜか恥ずかしく、顔が熱くなってしまう。


「せっかくのデートだもん。泣かれちゃ困るからなー」

「馬鹿なこと言わないでください」

「ちぇー」


 妙に子どもっぽいところがあるのも、発見だったかもしれない。


「にしても、空は晴れてるってのに」


 喫茶店を出て、猫のように伸びながらお姉さんは言う。


「湿っぽいねー」


 確かに。


「そろそろ、梅雨ですから」


 一週間ほど後に、梅雨入りを伝えるニュースを聞いた。

 朝夜は少し肌寒さもあるというのに、昼間は蒸すし、結構暑くなる。

 衣替えも進み、わたしも夏服に替えた。ベースがクリームで、アクセントにモスグリーン。

 ちょうど冬服と逆の色合いになっている。


 暦の上では特段イベントがなく、学校行事も少ない六月も、わたしの中学生生活は平穏に続いていた。無難に勉強をこなし、友達づきあいもきちんとする。


 そして、何日かおきにお姉さんへ電話をするのも習慣になってきた。


 何か目的があるわけでもない。お互い話題を探して長く沈黙することも珍しくない、とりとめない数十分程度の会話。だが、それは確実にそれまでの生活にはなかった、新しいものだった。


「あ、そーそー。日曜に駅前まで出るけど、どっか遊びに行かない?」


 六月半ばの金曜夜、唐突にそう切り出された。


「いいですよ。またお昼ですか」


 わたしたちの関係はいつもそうだ。わたしもお姉さんも、お互い好きなことを言い合っている。ような、気がする。

 こうやって逢う約束をするのも、これまで何度かあった。

 そして、ハンバーガーショップや喫茶店で話をしたり、ゲームセンターに行ったりするのだ。


 とはいえ、校外での関係をあまり友達には知られたくない後ろめたさがわたしにはあるので、初めて遭遇したゲームセンターにはあまり行ってない。寮生の子が商店街にいそうだからだ。

 そういうことはきちんと言ってはいないが、お姉さんは結構気を遣ってくれているのだろう。

 そういう考えがいつも心の底にあって、それが若干負い目になっているのだけれど。


「ううん。どうかなー」


 多分、わたしの考えすぎだろうと、この気の抜けた声を聞くと思ってしまう。


「悪いけど、十時頃で頼める?」

「わかりました。じゃあ、明後日に」

「んじゃーね。明日も学校あるからちゃんと寝なよ」


 あたしはこれから通信だけど。そう笑い、お姉さんからの電話は切れた。

 翌日の学校も特に何もなく、放課後は友達と過ごす。帰宅したら両親と食事をとり、お風呂に入って寝る。いつも通りだ。

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