ショッピング・エクスペディション

 翌日。

 思ったよりも早起きしてしまい、身支度を済ませると予定より早めに家を出る。

 ライトグリーンのパーカーにデニムのスカート、ちょっとずれるけど黒いディバッグに文庫本を一冊。

 お姉さんが来るまでこれで暇を潰せばいい。

 自宅近くの駅から、約束した駅へと数分間電車に揺られる。


 日曜昼前の電車はところどころに空席もあり、いつもの通学時とは違うのどかさがあった。

 しかし、待ち合わせの場所は結構大きな駅なので、他の路線から吐き出された人も集まり、結構混雑していた。


 これじゃあ、お姉さんを待ってても気づかないかもしれない。そんな心配をしたのだが。

 いた。

 改札を抜ける前からわかる。飾り気のない長袖のカットソーにジーンズ、そして履き古した感のあるローファーのお姉さんが、革のポシェットをたすきがけにして改札口の真正面にある柱にもたれかかり、人波にさらわれることなく、火のついてないタバコをくわえてぼんやりと立っていた。

 慌てて定期を出して改札を通り抜け、小走りに駆ける。かすかにタバコの匂い。


「お、早かったねー。まだ十一時過ぎじゃん」


 わたしに気づき、手を上げるお姉さん。着古して緩くなっているのか袖が少し余り気味だ。


「そっちこそ、まだ十一時過ぎじゃないですか」

「あたしが誘ったからさー、そこはきちっとしないと。年上だし、漠然としか時間設定してなかったし」


 この人にそんな感覚があったことに少し驚くが、悪い気はしない。


「ちょっと驚きました」

「ルーズそうに見えたから?」


 口の端がくいっと上がり、瞳が輝いてあの悪戯っぽい笑顔が見える。他人へ積極的にアピールする気がないような笑顔。

 口を開けたり大きな声を出したりして笑うのは、自分は笑っていますと周りに主張しているようで、あまり好きではないから。

 密かな自分だけの笑いは、この人に合っている。そんな気がする。

 そんなことを考えながら、すたすた歩き始めたお姉さんについて、駅ビルの外へ出る。


「退屈させそうだし、さくっと済ませちゃおうかね」

「あまり気を遣わなくていいですよ」


 買い物といっても何を買いに行くか告げられていないし、想像もつかない。それだけでも少し興味がある。


「いやー、割と気い遣うって。君、そういうやつに興味なさそうだし」


 お姉さんがこちらを向くといつの間にかタバコがなくなっている。ポシェットになおしたんだろうか。


「それなら何で誘ったんですか」

「んー? 言ったじゃん。デートだって」

「そんなこと人ごみで言わないでください」


 恥ずかしい。顔が熱くなる。


「ごめんごめん。もーちょい歩くよ」


 大通りを少し進み、家電量販店へ。フロアを突っ切ってエスカレータに乗る。二階、三階でまた歩き始め、お姉さんが足を止めたのは、パソコン売り場だった。

 通路に面した陳列テーブルの上にはさまざまなパソコンがディスプレイされ、売り場の半分くらいと壁際には棚が置かれて本やさまざまなパッケージが並べられている。

「ここここ。買うものは決めてっからすぐ終わるさ」


 そう言った通り、お姉さんはディスプレイを眺めながら歩き、ワゴンに積んである箱を取る。これくらいならわたしにもわかる。

 フロッピーディスクだ。

 学校の授業ででも使った。ただ、彼女が取った箱には五十枚入りと書いてある。そんなに何に使うのか。

 それから専門書らしき本を何冊か取り、色とりどりの箱が置いてある壁際の棚へ。よく見てみると、ここはパソコンで使うソフトの売り場らしい。


「んー」


 それをさっと見ていくと、お姉さんはうなってしまった。


「どうかしたんですか」

「いやー。欲しいのが売り切れちゃってるみたいでさ」

「困りましたね」


 返事はない。その代わり、お姉さんは少し考え込むような顔をしている。


「あのさー。もう一件心当たりがあるから、そっち行っていい?」


 ちょっと申し訳なさそうな顔をしている。この人もこんな顔をするのだと少し意外な感じがした。


「いいですよ。今日のことは任せてますから」


 デートですからね。とは言わない。言ってやらない。言えない。


「ありがとー。じゃあこれだけでも買っちゃお」


 会計を済ませ、ビルの外へ出る。丁度お昼時で、人も増えてきた。


「こっからちょっと歩くから」

「はい」


 またお姉さんはさっさと歩き出した。駅ビルの方向へ戻っていくのだが、かなり人が多い。

 反対側や横から来る人並みで彼女を見失いそうになる。時折足を止めてこちらを見てくれてはいるのだが、どうにももどかしい。

 何回目かに足を止めたとき、お姉さんは左手を後ろに出し、こう言った。


「手え繋ごっか」


 この人は隙さえあれば間合いを詰めてくる。さらに、既成事実を作るのも上手いのかもしれない。少し気になってしまう。

 しかし、ここまで人が多いとそれが合理的ではある。


「はい」


 右手を出すと、お姉さんの手を握る。

 初めて握った彼女の手は、少しひんやりしていた。


「君の手、あったかい」


 言い返せず手を引かれていく。駅前に戻ると商店街のアーケードへ入る。かなり人が多い。

 手を繋いでいてよかった。お姉さんは割と足が速いし、こちらを見ているか怪しいので、人が多すぎると見失っていたかもしれない。

 路地へ入る。中学校に入学して一年と少し最寄り駅だったけど、行ったことのない場所へと導かれていく。

 いくつか角を曲がり、連れてこられたのはどこにでもあるような雑居ビルだった。一階には何かの会社が入っているようで、シャッターが閉まっている。

 お姉さんは慣れた雰囲気でその横にある通路に入り、エレベータのボタンを押すと、ほどなくエレベータの扉が開いた。気がつくと、いつの間にか手が離されていた。


「どーする? ここで待っててもいいけど」

「一緒に行きます」


 今更何を言ってるんですか。とは言わず、エレベータに乗る。

 お姉さんはにい、と笑ってうなずくと、行き先のボタンを押して閉ボタンを押す。

 頭の上から押してくるようなあの感覚を味わい、数十秒で目的の階へ。

 お姉さんに導かれてやってきたのは、飾り気のないガラス張りのドアの前だった。

 向こう側には棚とその上にパソコンや箱、色々な物がごちゃごちゃ並び、それを物色している人たちがいる。

 彼女はそこへドアを引いて入ると、首をすくめるように会釈する。

 わたしも続き、やはり小さく会釈する。


「いらっしゃいませ」


 店の中、ドアからは死角になっているカウンタから声がかかる。なるほど、だから会釈していたのか。

 レジの前にはエプロンをつけた細身の青年が立っていて、この人が声をかけていた。


「ちょっと待ってな。見てくるから」


 お姉さんは棚でごちゃごちゃした狭い通路を慣れた感じで進み、ある棚の前で立ち止まり、目的の物を見つけたのか取って戻ってきた。


「会計よろしく」


 箱をレジに出すと、ポシェットから財布を取り出したお姉さんに、レジの人が声をかけた。


「はいはい。ありゃ、こんなのやるのか。てっきり昔やってたとばかり」

「ソフトもマシンも実家だし、リバイバル買おうと思ってたんだよー。忘れてたけど」


 またいい加減なことを言っている。でも、やろうと思って忘れていることはわたしにもある。


「あまり無意味に見ていかないんだな。いつもは三十分はかかるのに」

「今日は連れがいるかんねー」


 そう言って入り口の近くにある棚の隙間に立っていたわたしの方を見ると、男の人もこちらを見る。

 反射的にぺこりと礼をする。


「ふうん。まあ君にも人並みの社交性はあったんだ」


 お客にかなり辛辣なことを言っているが、お姉さんとは顔見知りなのだろう。そんな雰囲気がする。


「まーねー。デートだし」


 レジを打っていた店員さんの手が止まる。わたしも顔が真っ赤になったと思う。


「ちょっと待てよ。えらい年下だろ。大丈夫か」

「んー。あの子の方がしっかりしてるしなー」


 あの笑みを浮かべながら、支払いを済ませるお姉さん。

 釈然としない顔をしている店員さんからお釣りを受け取ると、レシートと一緒にくしゃっと丸めて財布に入れる。


「んじゃねー。今度はゆっくりさせてもらうわ」


 呆然としているわたしの手を取ると、ドアを押してエレベータを呼ぶお姉さん。


「何であんなこと言うんですか」


 エレベータのドアが閉まると、わたしはお姉さんに抗議した。


「だって昨日言ったじゃん。デートだって」

「社交辞令とかレトリックとか、そんなんじゃないんですか」

「いやー、親しい人と遊びに行くならデートみたいな?」

「それは普通に友達と遊びに行くって言えばいいんです。それに」


 わたしはお姉さんのことを知らなすぎるし、お姉さんもわたしのことを知らなすぎる、と思う。


「それにわたしたち、この前初対面で一回電話したくらいじゃないですか。それで親しいとか、デートとかって、軽すぎます」


 エレベータを出て、お説教をするように抗議する。


「話してたら君のこといいって思っちゃったからなー。一目惚れ? 友達になれそうだって」


 軽い感じで言ってくるけど、珍しくこっちをしっかり見てくる。

 確かになんだかんだでわたしはお姉さんのことが嫌いではないので、お互い馴染む部分はあるかもしれない。


「それはわかりましたけど、距離を詰めるのが早すぎるんです」


 でも、言うことは言わないといけない。


「そうだった、ごめん」


 はっと何かに気づいた顔になるお姉さん。そういえば、距離感については自分でも言っていた。


「公言したのはまずかったかなー」


 いまひとつ理解がずれているようだけど、反省しているならいい。

 そういえば、通路で話し込むのはあまりよくない。それに気づいて、わたしは手を差し出す。


「デートなんですよね。エスコートしてください」


 まともにお姉さんを見られないし、声も震えたけど、仕返しをしてやった。


「はいはい。お姫様」


 お姉さんはそんなわたしの手を取る。少し低い体温が火照った手に心地よい。


「んじゃー、昼時だし何か食べに行きますか」

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