ポケベルを鳴らして

 ハンバーガーショップでの一件から少し経った。


 週末を挟み、中間試験を前にして、春先からニュースを賑わせていた宗教団体の教祖が逮捕された。

 わたしに直接関係があるわけではなかったが、学校では職員室かどこかで情報を仕入れた誰かが教室のテレビをつけ、その様子をぼんやりと眺めていた。

 今年の頭から報道され続けてきた大事件だ。

 授業の時間になってやってきた先生もしばらく止めはせず、試験前の授業は数十分が外界での出来事で切り取られた。

 そんなことのせいか少し浮ついた雰囲気を感じながらも、週末に試験はやってきて、終わる。


 そして、試験ムードから解放された土曜の放課後。

 ご多分に漏れず、わたしも駅前のハンバーガーショップにいた。

 今日は友達と一緒に、中高生のごった返す禁煙席で。

 心はどこか上の空のまま、試験についての雑談や噂話をこなしていた。


 正直いって、わたしは世の中を舐めているのだろう。

 友達づきあいも、計算して作られた普通の中学生という殻を維持するための作業だと感じることが多い。

 そして、それは今のところ順調に続いている。

 それがちょろいと感じることもよくある。

 だから、わたしは多分世の中を舐めている。

 だけど、そんなことは大なり小なり誰もがやっているのだろうし、誰もがちょろいと心の中で舌を出しているのだろうとも思う。


 それができないのは、辛いだろう。


 すべてを真正面から受け止め、真摯に向き合うなんて、考えただけでも息が詰まる。


 だから、わたしは普通の中学生というその他大勢になるための殻を被っている。

 多分目の前に座っているみんなもそうなんだろう。などとぼんやり考えながら、駅ビルをぶらぶらしたりして時間を潰す。


 そして日が落ちてから帰宅すると、今日も電話機の子機を前に思案する。

 あのお姉さんのポケベルを鳴らしてもいいのだろうか。と。

 番号をもらったのはいいけど、特に話題もない。

 だからといって無視するのも据わりがよくないし、なにより。

 なにより、わたしはあのお姉さんと話をしたい。そんな気がする。


 しかし、特に話題はない。だから困る。試験の間は勉強があることを自分への言い訳にできていたが、今日からはそうもいかない。

 気がつけば、机の上で腕枕をしてメモを書き写した手帳のページをめくりつつ、声にならないうなり声を上げていた。


 時刻は午後九時半過ぎ。以前の様子だとまだゲームセンターにいるかもしれないが、恋人といるところを邪魔したりはしないだろう。と失礼な予想を立てる。

 そこまで頭の中で計算を立てて、ふうっと息を吸い込み、電話機の文字盤を押し、繋がったのを確認したらこちらの番号を打ち込んでいく。

 いざやることをやったら、部屋の静けさが居心地の悪さを感じさせる。再び机の上でうつ伏せになって返事を待とうとすると、不意に電話機が鳴った。


「あいよ、どなた?」


 取った電話の向こうから聞こえてきたのは、間延びしたあの声だった。


「わたしです。この前ゲームセンターで」


 その声で察したのか、こちらに被せてくる。


「ああ、君かー」


 ふふっと笑い声が聞こえた。


「鳴らしてくれるんだ」


 そう言われるのも心外だ。だいたいわたしは教えてもらったから電話をかけたのだし。そうするまでに相当気を遣っているのだ。


「番号教えてもらいましたから。それに、誰からかもわからない番号にかけてきたのはそっちですよ」

「あーりがと。そういえばそうだわ」


 また笑い。なぜだろう、わたしはこのお姉さんには当たりがきつくなるというか、本心をあけすけに出してしまう。


「だからといって、話すことはないんですけど」

「だね」


 沈黙。


「そう言われても困ります」


 電話の向こうからはかちかちと音がする。ワープロかパソコンでもいじってるのだろうか。


「うーん。そういや試験は終わった?」

「ええ。今日」

「ちゃんと勉強してから電話したんだー。偉い偉い」


 言うと思った。だけど、ワープロやパソコンをいじってるのなら、大学の課題をやってる途中なのかもしれない。


「お姉さんこそ、勉強中だったりしてませんか。迷惑なら」


 切ります。と言いかけたところでまた被せられた。


「あー、キーの音で気い遣わせちゃった? 悪いね。けど、こっちは趣味だから」


 駄洒落なんだろうか。そんなことを考えていたらまたかちかちと音がした。趣味なら、ゲームか何かか。授業でも使ったし、パソコンでもゲームができるくらいは知っている。


「それならいいんですけど」

「まあその、なんていうのかな。あまり気にしなくていいから。あたしもそういうの込み込みでベル番渡したわけだし」


 さらりと言ってのけるけど、それってかなり重い気がする。

 この前のことといい、このお姉さんはふらりと一気に距離を詰めてくるこの感じは、一気に顔を近づけられるような気恥ずかしさがある。


「初対面だったのに。そういうのよくないですよ」

「えー。考えが古くない? それに一目惚れってのもあるんだし」


 また来た。こういうのが苦手なのだ。言葉に詰まってしまう。


「苦手、です」


 顔が熱くなり、思わず口に出る。感情を素直にぶつけられるのは苦手。

 わたしはそれが下手だから。


「なんか悪いね」


 少しの沈黙の後、ちょっと深刻そうな声で謝られた。それはそれで悪いことをした気になる。


「あたしの方も距離の取り方が苦手っていうかさー。適当にやってたら距離詰めすぎって友達に怒られたり、むしろ距離置かれたりするわけ」


 それはわかる。一気に詰められたら、誰でも対応に困ってしまうだろう。


「あ、でも。嫌ってわけじゃないですから、その」

 困るんです。そうぼそりと呟いた。

 このお姉さんは、わたしの殻の中まで入ってきてしまう。悪気もその気もないんだろうけど、素のわたしを捕まえようとしてしまう。


「もうちょっと距離感考えましょうよ」


 思わず口から出てしまう。普段友達には言わないような直裁な言葉。

 受話器の向こうからは吹き出すような声が聞こえた。


「そーそー。ゲーセンでもそうだったけどそれくらい辛辣なほうがいいって」

「挑発してたんですか。怒りますよ」


 電話越しでの会話なのに、頬を膨らませている。


「いやー。でもね、そういうところがいいって思ったから」


 言っていることの意味がちょっとわからないが、声の調子からすると褒めてるつもりなんだろう。


「ツッコミする子、かわいいじゃん」


 顔が熱くなるのがわかる。かわいいと言われるのはちょっと破壊力がある。


「か、かわいいって」

「えー。かわいいよー。割と容赦ないところとか」


 他人にそういう姿はあまり見せないし、そう評価されたこともない。

 虚を突かれて声を出せないでいると、向こうからちょっと申し訳なさそうな声が聞こえてくる。


「ごめんごめん。返しづらいこと言っちゃったね」

「お姉さんって結構意地悪。というか無神経ですか」


 かわいいと言われたのだし、これくらいはいいだろう。


「ごめんごめん。からかいすぎた」


 あまり反省してなさそうだが、この人は多分こんな人なんだろう。色々言っても柔らかくかわされてしまう。

 だけど、不思議と腹立たしさは感じない。あの間延びした笑顔が頭に浮かぶからだろうか。

 言っても無駄。とはなんとなく違う。

 少しの心地よさがともなう何か。


「拗ねちゃった?」


 返事をせずにそんなことを考えていると、ちょっと心配そうな声で現実に引き戻される。


「拗ねてませんよ。ちょっと考えごとしてただけです」

「そっか。それならよかった」

「それなら最初から言わないでください」


 ほっとしたような声がしたので、少し意地悪をしてしまう。


「かわいいのはほんとだかんねー」


 悪びれない返事が返ってくる。かわいいとか、魅力的だとか、そういうことを強く意識してこなかったせいかもしれないが、よく考えたらそう言われるのは悪くない。


「ここぞというところでちゃんと言える子は魅力的だよん」

「はあ」


 けむに巻かれた気もするが、褒められたと受け取っておく。それにしても、このお姉さんと話をするといつもと違う部分が出てしまう。


「そういや、試験ではちゃんとマイナスのこと忘れてなかった?」


 試験勉強指摘された部分のことだと気づくのに少しかかり、それから自分の答えを思い出すのにまた少し。


「多分、大丈夫です」

「そっかー。それならあたしも教えた甲斐があるってもんだ」


 それから、わたしたちはしばらく話し込んだ、試験のことや、最近の出来事について。何ということはない、友達とするような話を。


「学校でもニュース見てたのか。駅前じゃ号外配ってたらしいよ、っと。もうこんな時間か」


 時計を見ると、もう十一時近くになっていた。


「長話になっちゃいましたね」

「だねー。悪いけどそろそろ用事あるから」

「バイトですか」


 ちょっと気になる。わたしたちはお互いに何も知らなさすぎるのに、お互い距離を縮めている。

 だから、少しは知りたいのだ。


「んーん、趣味。パソコン通信。って、知らない?」

「聞いたことくらいならありますけど」


 父親が仕事の関係でやるかもしれない。と言っていた気もする。


「それやってんの。十一時から電話代安くなるんだわ」

「じゃあ、わたしに電話かけてるのは」


 結構長話してたし、迷惑だったかもしれないと気づく。


「市内通話だから気にしない気にしない。十一時からはもっと遠いとこにかけるのさ」

「それならいいんですけど」

「そうだぞー。こっちからかけたんだし、気にしない気にしない。んじゃーね」

「あ、待ってください」


 肝心なことを忘れていた。言おう言おうと思っていて、引き伸ばしていたことを思い切って口にする。


「また電話したいから、番号教えてもらっていいですか」

「おっ、積極的だねー。いいよーん」


 そんなことだろうとは予想していたけど、あっけなく承諾された。また恥ずかしい台詞つきで。

 それを復唱しながら手帳に書き留めると、今度はお姉さんのほうから話を振ってきた。


「じゃー。ところで今度、会える?」

「会う。って、いつですか」

「いつでもいいけど、明日とか? ああ、無理だったら無理でいいから」


 唐突だけど、特に予定は入れてない。


「いいですよ。テスト終わって暇ですし」


 会ってみたいのか、勢いに負けたのか、わたしの口はあっさりと約束を取り付けてしまった。


「ありがとー。じゃあ昼くらいに南改札で」

「何かあるんですか」

「んー。何するってわけじゃないけど、明日は買い物に出るし、それも兼ねたデートってやつ? コーヒーくらいなら奢るさ。それとも紅茶?」

「またそんなこと言う。でも、いいですよ。奢ってもらえるし」


 デートという言葉はあえて無視し、食べ物で釣られたふうに取り繕う。


「それじゃあ、明日」

「んじゃねー」


 電話を切って、椅子からベッドへ倒れこむ。枕を抱えると、顔が上気しているのがわかる。

 それもこれも、お姉さんがかわいいとかデートとか、恥ずかしい言葉を軽々しく使うからだ。

 明日会ったらそれを注意することも考えつつ着替えていると、時計が目に留まる。

 結局、十一時を過ぎて話し込んでいた。

 パソコン通信は大丈夫なんだろうかと考えながら、わたしは眠りにつく。

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