かぐや秘めの物語。
あおい
第1話
「だいたい、そもそも
ここは、
三方を
「お前、そうは言うがな」
養い子から容赦のない鋭い視線を向けられた竹取翁は、もごもごと口籠もりつつも反論を試みてくる。が、かぐやはそれに、ああん、と、実に
すると翁は、ひ、と、息を呑み、そのまま沈黙してしまう。しばらくして、しょんぼりと肩を落として、はあ、と、長嘆息するのが聞こえた。
しかしその姿に憐れを催すこともなく、溜め息吐きたいのはこっちだよ、まったく、と、かぐやは舌打ちした。
養い親である竹取翁には、たしかに、並々ならぬ恩がある。数年前、まだ幼かったかぐやは、竹林で行き倒れているところをこの老人に拾われたのだ。そして、そのまま、この屋敷で今日まで育ててもらった。
が、しかし。その恩を補って余りあるほどの、深い深い恨みも無きにしも非ずであった。
「もとはと言えばだなあ、親爺がおれのことを
かぐやは再びそう翁を責め立てたのだった。
そう。かぐやは
それから数年、
それでも特に熱心で諦めの悪かった男五人に対しては、望みの物を持って来てくれた者と結婚する、と、そう言って、仏の御鉢だの、
いっそのこと真実を暴露してしまえば早かったのだが、一応、育ててもらった恩もある。翁の立場が悪くなるようなこと――たとえば嘘吐き
「全部あんたの嘘の
「だってわし、どうしても娘が欲しかったんじゃもの」
「ふざけんなよ、
かぐやは口汚なく悪態を吐いた。が、それくらいしたくもなるというものだ。なにせ、五人の公達からの求婚をなんとかうまく
それはちょうど、ありもしない子安貝などを取りに行って怪我をしたとかいう最後のひとりの
しかし、ほっとしたのも刹那のこと、今度はなんと、帝からの使者が讃岐造の屋敷へ遣ってきてしまったのである。用件は勿論、かぐや媛を我が妻に、と、そういうものだ。
なんといっても今度の相手は帝、つまりは至上の位にある御方である。さすがに
その間にわかったことといえば、帝はどうやら極めて
そんな風聞を耳にすれば、どうしたって応えることの出来ないかぐやとしては、だんだんと申し訳ない想いも募ってきた。そこでついに、帝に諦めてもらうための、ひとつの嘘を吐いたのである。
――わたくしは実はもともと月の住人なのです。来る八月十五夜には、迎えが参って、月へ還らねばなりません。どうぞ、もうわたくしのことはお忘れください。
そして八月十五夜である。
なんと帝は、かぐやを月の使者から守るため、千人を越える
「ああ、もう、なんでこうなるんだよ」
「それはほれ、お前が盛大な嘘を吐いたからなのでは」
「黙れ、
堂々巡りの会話がまたしても繰り広げられようとした折のことである。
ふいに、くすくす、と、鈴を転がすような軽やかな笑い声が聞こえてきた。
ふと見ると、先程まで堅く閉ざされていたはずの塗籠の戸が開いている。そしてそこには、白い
かぐやは息を呑み、目を
女は頬にしずかな微笑みを湛えている。すらりとしたその立ち姿は、どこか浮世離れしたうつくしさだ。
「天女……まさか、本気で来たとか」
かぐやは呆然と呟いた。千人を超える兵たちの間を
いやしかし、本当に目の前の相手が人外の者――たとえば月の住人とか――だとして、それではなぜ、かぐやの前にそんなものが顕現するというのだろう。はっきりいって、理由がない。わけがわからない。
かぐやが信じられない思いでまじまじと相手を見ていると、相手は、くすん、と、肩を竦めた。
「――残念ながら、ちがう」
澄んだうつくしい声は、まさに天上の音楽のようだった。が、相手はどうも、己は天女ではない、と、かぐやの先程の言を否定するようだ。そうは言っても、その後も正体を明かすでもなく、いったい何が
女のそんな様子にかぐやはますます不審を募らせ、ちら、と、眉を寄せた。そして油断なく相手を見据えた。
そんなかぐやの
「かぐや媛は実は男。ゆえに帝の妻にはなれぬ、と」
そういうことだったのだな、と、相手がそう言うのを聞いて、かぐやははっと息を呑んだ――……彼女はもしや、帝の使者ではないのか。
それならば、帝の兵が守る中、この塗籠まで入ってこられたことにも納得が行く。もしもこの女が帝の使いであるならば、そもそも、兵たちに
だが、それならそれで、事態は非常にまずいものだった。いままさに、かぐやや翁が、帝を
「なぜ……」
焦ったかぐやは、たいした意味もなく、そんな言葉を呟いていた。女は、ん、なんだ、とでもいうふうに、ことりと小首を傾げると、そのままかぐやのほうに近づいてくる。その口許には、場違いなほどに穏やかな、鷹揚ともいうべき笑みが浮かんでいた。
「名だたる
唄うように言葉を連ねた相手は、どうやら当たっていたようだ、と、また笑った。どうやら先程からなんとも愉しげに笑っていたのも、己が予測が的を射ていたことを面白がっていたらしい。
かぐやは眉を
「ふふ……実に、好都合だ」
女はふと、そんなわけのわからぬ発言をした。
そして、理知的な光を宿す黒眸を、じ、と、かぐやに向けた。
「のう、そなた。わたしの
「……は?」
「ふふ、あらためて、求婚しておるのだ。後宮へ上がって、帝たるわたしの
「……帝?」
「そう」
「あんたが?」
「いけないか」
「だって……女」
間の抜けた声でかぐやが言うと、歴史を鑑みれば女帝の先例とてある、と、相手はくすりとちいさく笑んで答えた。
「え、でも、だって」
「こちらにもいろいろと事情があってな。閨閥やら権力闘争やらというのは、一筋縄ではゆかぬものだから。とにかく、もろもろあって、わたしはいま世間を偽って、女の身で
そういう自負はあるのだが、と、そこまで言って、彼女はちいさく嘆息した。
「困ったことが、ひとつだけある」
そう深刻そうに言った後で、ふ、と、どこか悪戯っぽく目を眇めた。
「いくらわたしとて、女を後宮に入れて、その媛との間に子を生すことは、さすがに無理だ」
その点そなたは好都合、と、女――女帝は、くつくつ、と、今度は喉を鳴らすように笑った。
「そなたであれば、わたしと子を生せる。勿論、生むのはわたしだが。――生んだあとは
「いや、その、それは……」
真っ赤な嘘ですがとも言えずにもごもごと口籠るかぐやを前に、女帝は、ふ、と、口角を持ち上げる。それは、なにもかもお見通し、と、そういった
かぐやは黙り込んだ。
女帝は、たおやかな手をかぐやに伸ばし、そ、と、こちらの頬にふれた。
「そなたを迎えられれば、わたしとしては、愛しい媛を月の使者から守り抜いての結婚だから、箔もつくというもの」
秘密は秘密のままで万事うまく運ぶなかなかいい案だと思うのだが、と、彼女はかぐやの頬をなぞるようにして言った。
「さあ、かぐや媛。月へ帰るなどと言わず、ぜひともわたしの
どうと訊かれても、と、かぐやは思った。相手は帝、しかもこちらの嘘はすでにすっかり見破られてしまっているらしい。この上、このうつくしい女帝に逆らう術など、かぐやにあろうはずもないではないか。
ならばもう、自分たちはきっと、世にも珍しい、女の帝と男の皇后のひと組となるしかないのだ――……この禁中秘事が、いつか歴史の表で語られるかどうかは、別として。
かぐや秘めの物語。 あおい @aoi_tsuki
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