かぐや秘めの物語。

豆渓ありさ

第1話

「だいたい、そもそも親爺おやじが変な嘘をつくからこんなややこしいことになるんだ」

 ここは、竹取たけとりのおきなこと讃岐さぬきのみやつこの屋敷である。

 三方を土壁つちかべに囲まれた薄暗い塗籠ぬりごめの中で、かぐやは忌々いまいましげにうめいた。ついでにきつい視線で睨み据えるのは、この屋敷の主のおきな、つまりは、かぐやの養い親その人である。

「お前、そうは言うがな」

 養い子から容赦のない鋭い視線を向けられた竹取翁は、もごもごと口籠もりつつも反論を試みてくる。が、かぐやはそれに、ああん、と、実にがら悪く、低い声で凄んでやった。

 すると翁は、ひ、と、息を呑み、そのまま沈黙してしまう。しばらくして、しょんぼりと肩を落として、はあ、と、長嘆息するのが聞こえた。

 しかしその姿に憐れを催すこともなく、溜め息吐きたいのはこっちだよ、まったく、と、かぐやは舌打ちした。

 養い親である竹取翁には、たしかに、並々ならぬ恩がある。数年前、まだ幼かったかぐやは、竹林で行き倒れているところをこの老人に拾われたのだ。そして、そのまま、この屋敷で今日まで育ててもらった。

 が、しかし。その恩を補って余りあるほどの、深い深い恨みも無きにしも非ずであった。

「もとはと言えばだなあ、親爺がおれのことをひめとして育てたりするから、いま、こんなわけのわかんねえ事態ことになってんだろうが!」

 かぐやは再びそう翁を責め立てたのだった。

 そう。かぐやはれっきとした少年だ。それにも関わらず、竹林でかぐやを見つけた翁は――いったい何を思ったか、否、とち狂ったのか――世間に対して、かぐやをむすめと偽って養育し始めたのである。

 それから数年、国造こくぞう家の深層の媛は輝かんばかりの美しさらしい、とか、なんとかかんとか、要らぬ尾鰭おひれ数多あまたついた風聞が世には飛び交い、おかげで求婚してくる男はひっきりなしだ。勿論、こちらは実のところは男の身。受けるわけにもいかないので、全部、片っ端から、すっぱりと、断りに断った。

 それでも特に熱心で諦めの悪かった男五人に対しては、望みの物を持って来てくれた者と結婚する、と、そう言って、仏の御鉢だの、蓬莱ほうらいの玉の枝だの、火鼠のかわごろもだの、龍の首のたまだの、つばくらめの子安貝だの、無理難題を吹っ掛けてあしらったりもした。

 いっそのこと真実を暴露してしまえば早かったのだが、一応、育ててもらった恩もある。翁の立場が悪くなるようなこと――たとえば嘘吐きじじいと世間から後ろ指さされてしまうとか――も出来ないとなれば、ほんとうに、ほんとうに、面倒くさいことこの上なかった。

「全部あんたの嘘の所為せいだ」

「だってわし、どうしても娘が欲しかったんじゃもの」

「ふざけんなよ、くそ親爺おやじ

 かぐやは口汚なく悪態を吐いた。が、それくらいしたくもなるというものだ。なにせ、五人の公達からの求婚をなんとかうまくかわしたのも束の間、すぐにまた次の困難が、かぐやと讃岐さぬきのみやつこ家を襲ったのだから。

 それはちょうど、ありもしない子安貝などを取りに行って怪我をしたとかいう最後のひとりの公達きんだちに、かぐやが適当な見舞いのてがみを遣り終えた頃のことである。やれやれこれで一件落着、と、かぐやは安堵の息を吐いていた。その頃には、竹取翁のところの媛はどうも結婚する気がないらしい、と、ようよう世間もそうとわかってくれたらしく、求婚者もほぼ途絶えて、目出度めでたし目出度しという気分だった。

 しかし、ほっとしたのも刹那のこと、今度はなんと、帝からの使者が讃岐造の屋敷へ遣ってきてしまったのである。用件は勿論、かぐや媛を我が妻に、と、そういうものだ。

 なんといっても今度の相手は帝、つまりは至上の位にある御方である。さすがに無碍むげに断ることも出来ない。かといって、おおせのままに、と、後宮に上がることとて出来るはずもなく、なんやかやと誤魔化しながら、結局、気づけば三年、てがみの遣り取りをした。

 その間にわかったことといえば、帝はどうやら極めて真摯しんしであるらしいということだ。かぐやと文を交わしている間、他の女性にょしょうには目もくれず、誰ひとりとして後宮に入れるでもなく、ただひたすらにかぐや媛一筋であるとかいう噂である。かぐや媛でなければ誰とも結婚しない、と、周囲にそうも漏らしているようだ。

 そんな風聞を耳にすれば、どうしたって応えることの出来ないかぐやとしては、だんだんと申し訳ない想いも募ってきた。そこでついに、帝に諦めてもらうための、ひとつの嘘を吐いたのである。


 ――わたくしは実はもともと月の住人なのです。来る八月十五夜には、迎えが参って、月へ還らねばなりません。どうぞ、もうわたくしのことはお忘れください。


 そして八月十五夜である。

 なんと帝は、かぐやを月の使者から守るため、千人を越える兵士つわものを翁の屋敷に差し向けてきた。それでいま、かぐやは屋敷の奥の塗籠ぬりごめの中、来るはずもない――そもそも嘘なのだから――月からの迎えから、逃げ隠れしているというていである。ついでに竹取翁はといえば、かぐやのすぐ傍に付き添って、一番近くで愛娘を守る養い親を演じているというわけだ。

「ああ、もう、なんでこうなるんだよ」

「それはほれ、お前が盛大な嘘を吐いたからなのでは」

「黙れ、じじい。もとはと言えば……」

 堂々巡りの会話がまたしても繰り広げられようとした折のことである。

 ふいに、くすくす、と、鈴を転がすような軽やかな笑い声が聞こえてきた。

 ふと見ると、先程まで堅く閉ざされていたはずの塗籠の戸が開いている。そしてそこには、白いかざみの肩にうちぎを引っ掛けたような姿の女性にょしょうが立っていた。

 かぐやは息を呑み、目をみはった。いまこの屋敷は、どこもかしこもを、帝の差し向けた兵たちが守り固めている。この塗籠の戸の前とて例外ではないのに――むしろここが最も警備が厳重であるはずなのに――いったい、この女はどうやってここまで入ってきたのだろうか。

 女は頬にしずかな微笑みを湛えている。すらりとしたその立ち姿は、どこか浮世離れしたうつくしさだ。

「天女……まさか、本気で来たとか」

 かぐやは呆然と呟いた。千人を超える兵たちの間をくぐってくるなど、とてもではないが人間業にんげんわざとは思えない。だから、もしや嘘から真実まことでも出たのではないか、と、一瞬、そう思ってしまったのだ。

 いやしかし、本当に目の前の相手が人外の者――たとえば月の住人とか――だとして、それではなぜ、かぐやの前にそんなものが顕現するというのだろう。はっきりいって、理由がない。わけがわからない。

 かぐやが信じられない思いでまじまじと相手を見ていると、相手は、くすん、と、肩を竦めた。

「――残念ながら、ちがう」

 澄んだうつくしい声は、まさに天上の音楽のようだった。が、相手はどうも、己は天女ではない、と、かぐやの先程の言を否定するようだ。そうは言っても、その後も正体を明かすでもなく、いったい何が可笑おかしいのか、ただくすくすくすと声を立てて笑っている。

 女のそんな様子にかぐやはますます不審を募らせ、ちら、と、眉を寄せた。そして油断なく相手を見据えた。

 そんなかぐやのいぶかるような視線を受けたためなのかどうなのか、やがて笑いを収めた相手は、かぐやを頭のてっぺんから足先までひと眺めし、すぅっと目を眇めて、やはりそういうことか、と、ひとり得心したように頷いた。

「かぐや媛は実は男。ゆえに帝の妻にはなれぬ、と」

 そういうことだったのだな、と、相手がそう言うのを聞いて、かぐやははっと息を呑んだ――……彼女はもしや、帝の使者ではないのか。

 それならば、帝の兵が守る中、この塗籠まで入ってこられたことにも納得が行く。もしもこの女が帝の使いであるならば、そもそも、兵たちにさまたげられようはずなどないではないか。

 だが、それならそれで、事態は非常にまずいものだった。いままさに、かぐやや翁が、帝をたばかっていたことを、この使者に知られてしまった。国主をあざむいたとなれば、最悪、遠流おんるなどに処されても文句は言えない。

「なぜ……」

 焦ったかぐやは、たいした意味もなく、そんな言葉を呟いていた。女は、ん、なんだ、とでもいうふうに、ことりと小首を傾げると、そのままかぐやのほうに近づいてくる。その口許には、場違いなほどに穏やかな、鷹揚ともいうべき笑みが浮かんでいた。

「名だたる公達きんだちからの求婚を、軒並み断ったと聴いて、そも、何か裏があるような気はしておった。そうまでかたくなに結婚を拒むのは、なにか、退きならぬ理由わけがあるのだろう、と、そう考えたときに……もしや男か、と、思ったのは、たんなるひらめきにすぎなかったのだが」

 唄うように言葉を連ねた相手は、どうやら当たっていたようだ、と、また笑った。どうやら先程からなんとも愉しげに笑っていたのも、己が予測が的を射ていたことを面白がっていたらしい。

 かぐやは眉をひそめた。この女性にょしょうがほんとうに帝の使者なのだとしたら、そして彼女が当初よりかぐや媛を男かもしれぬと疑っていたのなら、それはつまり、帝もまた、かぐやが媛でないかもしれない、と、最初から思っていた可能性があるということではないのだろうか――……ならばそも、どうして、帝は男かもしれないかぐや媛に、求婚などして寄越したのだろうか。

「ふふ……実に、好都合だ」

 女はふと、そんなわけのわからぬ発言をした。

 そして、理知的な光を宿す黒眸を、じ、と、かぐやに向けた。

「のう、そなた。わたしの伴侶つまにならぬか」

「……は?」

「ふふ、あらためて、求婚しておるのだ。後宮へ上がって、帝たるわたしの伴侶つまにならぬか、と」

「……帝?」

「そう」

「あんたが?」

「いけないか」

「だって……女」

 間の抜けた声でかぐやが言うと、歴史を鑑みれば女帝の先例とてある、と、相手はくすりとちいさく笑んで答えた。

「え、でも、だって」

「こちらにもいろいろと事情があってな。閨閥やら権力闘争やらというのは、一筋縄ではゆかぬものだから。とにかく、もろもろあって、わたしはいま世間を偽って、女の身で御位みくらいいておる。そなたとは逆だの、かぐや媛。――まあ、それでも、それなりにうまくやっておるし、これからもやってゆくつもりなのだが……」

 そういう自負はあるのだが、と、そこまで言って、彼女はちいさく嘆息した。

「困ったことが、ひとつだけある」

 そう深刻そうに言った後で、ふ、と、どこか悪戯っぽく目を眇めた。

「いくらわたしとて、女を後宮に入れて、その媛との間に子を生すことは、さすがに無理だ」

 その点そなたは好都合、と、女――女帝は、くつくつ、と、今度は喉を鳴らすように笑った。

「そなたであれば、わたしと子を生せる。勿論、生むのはわたしだが。――生んだあとはまつりごとに戻るつもりゆえ、子はそなたが養育しておくれ。国造家の媛では身分は見劣りせぬでもないが、なに、うつくしいと評判のかぐや媛、しかも実は月の媛だったというむすめならば、文句はあるまい」

「いや、その、それは……」

 真っ赤な嘘ですがとも言えずにもごもごと口籠るかぐやを前に、女帝は、ふ、と、口角を持ち上げる。それは、なにもかもお見通し、と、そういった表情かおだった。つまり相手は、嘘偽りなど百も承知で、この際それを利用してしまうつもりでいるというわけだ。

 かぐやは黙り込んだ。

 女帝は、たおやかな手をかぐやに伸ばし、そ、と、こちらの頬にふれた。

「そなたを迎えられれば、わたしとしては、愛しい媛を月の使者から守り抜いての結婚だから、箔もつくというもの」

 秘密は秘密のままで万事うまく運ぶなかなかいい案だと思うのだが、と、彼女はかぐやの頬をなぞるようにして言った。

「さあ、かぐや媛。月へ帰るなどと言わず、ぜひともわたしの伴侶つまに……長い歴史の中にひと組くらい、女の帝と男の皇后きさきがいても、おもしろいとおもうが、どう?」

 どうと訊かれても、と、かぐやは思った。相手は帝、しかもこちらの嘘はすでにすっかり見破られてしまっているらしい。この上、このうつくしい女帝に逆らう術など、かぐやにあろうはずもないではないか。

 ならばもう、自分たちはきっと、世にも珍しい、女の帝と男の皇后のひと組となるしかないのだ――……この禁中秘事が、いつか歴史の表で語られるかどうかは、別として。 

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