第5話:複雑になる人間関係

 安彦を殴った日、須河内すがうち陣内じんない安彦あびこの三人は静かになった。


 教室内は静かに平和を喜んでいた……ことを遥から聞いた。クラスのグループチャットでは三人が静かになったことを喜ぶ書き込みが多かったらしい。


 なぜか、遥がどや顔で俺を見てくる。俺の机の前の席に座っている遥がちょいちょいこちらを見て、ニヤニヤしてくるのだが……



「なんだよ」



 俺はありったけの怖さを顔に詰め込んで睨んでみた。



「なんで、安彦くん殴ったの?」


「単にムカついたからだ」


「うんうん、そうだね。なんでムカついたの?」


「……」



 普段、無表情な彼女の表情はほんの少し緩んでいるようにも見える。遥は頭がいい。俺が自分自身で理解できない感情を上手い具合に誘導して言葉にさせようとする。


 断じて違う! 形だけとはいえ許嫁の遥が、はずみとはいえ男に殴られてケガをしたのが面白くない訳じゃない!


 俺と遥は無関係なのだ。



 クラスの雰囲気と遥の表情に追い詰められて とても居心地が悪くなっていたところに救世主が現れた。



 教室の後ろの扉の所に一人の少女が立ったいた。少しだけ顔を出して教室内を覗き込んでいる。


 そのうち、教室内の一人が声をかけ、対象の生徒を呼びだした。



「あの……神庭かんばくん!」



 俺のことを呼びだすやつなんて碌なやつじゃないと思っていたが、その姿が見えたので立ち上がった。


 教室内はにわかにざわついた。俺はクラスのいじめっ子でヤンキーで嫌われ者。対して、やってきた少女は誰がどう見ても美少女だった。肩までの黒髪、透き通るような白い肌、そして大きな目。


 そして、その制服は同じ学校の敷地内の中学校の物だった。


 俺がクラスメイトに知られたくなかった「弱点」。俺の妹だ。


 入り口に駆け寄り小さな声で聞いた。



美沙姫みさき、どうした?」


「キーくん、今日お弁当忘れて行ったよ?」


「お、そうか。すまん。でも、持ってきてくれなくても……」


「でも、お弁当があるのに、買ったらもったいないから」


「そうだけど……」



 美沙姫を戻すと教室内の人間の目が期待している目立った。クラスの嫌われ者と美少女……この組み合わせは良くない。最悪、美沙姫の方に悪い噂がたつかもしれないし、俺にケンカを売りに来たヤツが美沙姫を人質にするかもしれない。



「弁当取り上げてやったぜ!」



 席に戻ると教室がわざわざし始めた。



「どうだ?」



 俺が遥に聞いた。この場合の「どうだ?」は、「いま言ったことはクラスの連中に信じられたか?」ということだ。



「半々だったわ」



 遥は頭がいい。「半々よ」なら分かるけれど、「だったわ」とは!?



「キーくん! ごめん! お箸忘れてた!」



 教室の入り口で美沙姫が大きな声で再び俺を呼んだ。俺は頭痛を和らげるために無意識に額に手を当てた。


 そう言うことか。俺が「取り上げた」と言ったのだから、教室の連中に信じられたかは「半々」だった。


 ここに来て、美沙姫が箸を持ってもう一度顔を出してしまったので、「取り上げた」は成り立たない。自ら箸を持ってきてしまったのだから。


 俺は慌てて箸を受け取ると美沙姫を自分の教室に戻した。



「おめでとう。クラスメイトに対してのイメージチェンジが順調よ」



 遥の皮肉が痛い。


 単なるクラスの嫌われ者で、いじめっ子のヤンキーに可愛い女の子が弁当を作ってきてしまった。俺としてはすごいイメージダウンだった。いや、イメージアップか。


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