3 幸せは突然終わります。不幸でも急に死にます。

〈小さなハンター〉


 森がいつもよりも騒がしい。

 不安になって辺りを見渡すが、高さが足りないせいか何も分からない。ふと、母の姿を見ると一つの方向にだけ視線を向けている。その目は何かを警戒しているように鋭い。


「バウッ」


 声帯や舌の構造的が複雑な言葉を話す事に向いていないので一度だけ吠えた。とても怯えていて情けない音が響く。

 すると母はボクを口で咥えて他の兄妹の所へ運んだ。いつもは凛々しい母なのだが少しだけ震えていた気がする。


 運ばれた先には自分と姿形が似た二つの影がある。一つはボクよりも少し大きくて尻尾が中途半端に分かれている思春期の兄だ。もう一つはボクよりも一回り小さい妹だ。妹は女の子なので尻尾が二つに分かれる事はない。

 この尻尾というのが不思議で尻尾の分かれている部分が美しいほどモテるのだ。いつかボクにも可愛いお嫁さんができるだろうか。


 突然、前方から衝撃を受けコロコロと回転する。ボクを吹き飛ばした犯人は兄だ。いつもは負けているが今日こそ勝ちたい。

 不意打ちにもめげず、よろけながら立ち上がる。そこへ再び兄が攻撃してきた。しかし、右足を振り下ろしているのが見え見えだ。ボクはすぐに横へ移動する。


 ボクの兄はとても卑怯な男だ。前にやった時は目に砂をかけたし、おやつの虫を食べようとした時はボクのを盗んで逃走した。どこまでも卑劣で残忍だ。だからこそ、ボクは正々堂々と勝たなければならない。勝ってボクが正しいことを証明するのだ。

 不意打ちが失敗したせいか兄は攻撃をせず、こちらを睨んでいる。ボクも不用意に反撃が出来ず、お互いが円を描くように歩いている。


 この拮抗した状態を破ったのは兄だった。足で砂を蹴りボクの目を潰そうとしてくる。しかし、それは前にも見た技術だ。小手先のものでは初見殺ししかできない。

 身体を回転させて、背中で砂をガードする。そして回転の勢いをつけたまま噛みつく。これで終わりだ。


 しかし、そこに兄はいなかった。ボクは止まる事ができず、身体のバランスを崩し転倒してしまう。

 顎が痛い。どこかを擦りむいてしまっただろうか。しかし、血の匂いはしない。どこにも怪我がないことを確認し立ち上がろうとする。


「グガァァァ」


 叫び声と同時に身体が押さえつけられる。ボクの上に兄が乗ったようだ。


「バゥッ」


 必死で抵抗した。押してみたり、引いてみたり、少しでも動けるように無駄な努力をした。その度に身体は締め付けられ痛みが増した。


「ガァァァ」


 勝利の雄叫びが聞こえる。やはり年齢には勝てなかった。

 ボクよりも速く、ボクよりも強く、ボクよりも大きい。卑怯な事をしなくても兄は強いのだ。真っ正面から立ち向かって勝てるほど兄は甘くない。


「バゥゥ」


 情けない。ボクはなんて弱いのだろうか。強くなりたい。

 無念の気持ちに押し潰されている中で突然背中が軽くなった。兄が立ち去ったのかと思ったが違うようだ。


 すぐ近くで妹が兄の顔を舐めている。どうやら兄は妹にタックルされたらしい。男と男の決闘など女には関係ないというわけだ。

 ボクも兄と妹の方に行ってじゃれつく。おやつを盗むような卑劣な兄だがやっぱりボクは兄が好きだ。雨が降って気温が低くなり凍え死にそうな時にずっとそばにいたのは兄だった。怪我をして血が出た時も兄が傷口を舐めてくれた。舐める事に意味はないかも知れないが、兄はとても優しいのだ。


「ガゥッ」


 急に兄が吠えた。その視線の先は母が見ていた方角だ。一体何があるというのだ。とても嫌な予感がしてきた。


 バサバサバサバサバサバサ


 森の入り口辺りに生息しているはずの鳥達が一斉に羽ばたいている。森で大きな音があったわけでも、火事が起こったわけでもないのに、一体どうしたのだろうか。


 あれ?


 飛んでいるはずの鳥が急に下へ落ちていった。必死に翼を動かしているのに落ちている。まるで何かに吸い込まれているようだ。


「ヴォォォォォァァァ」


 突然声を張り上げながら現れた。

 何本もの木が根を全力で地面に叩きつけながら走っている。とてもダサくて不格好で醜い。だからこそ、その行動がとても怖い。

 本来、意思ある植物は森の中でじっとしている。枝についている木の実を食べようとした草食動物を捕食する事もあるが滅多にあることではない。ましてや地面深くにある根を引き抜いてまで移動しているのだから事の異常性が分かる。


 ボクは意思ある植物と同じ方向へ逃げた。ボクの中に眠る野生の本能が逃げろと伝えたのだ。

 兄と母はただじっと見つめていた。自分の目で何が起こっているかを確認しない限り行動する事が出来ないのだろう。偉大なる母と卑怯な兄には大小あれどプライドが存在するのだ。

 妹はボクとは逆の方向、危険がある場所へ走り出した。妹はとても好奇心旺盛だから仕方ない。ボクはビビっているので妹を止めようという考えは生まれなかった。


 ただただ全身全霊で走った。何で走っているのかも分からないのに逃げた。

 音を慎重に聞いていると二匹の走る音が聞こえる。きっと何かが姿を見せたのだ。だから逃げたのだろう。でも、そうだとすると足りない。妹の足音が聞こえない。それに足音はだんだんと遠ざかっている。


 ボクは後ろを振り向く事にした。走っている時にそんな事をすれば足が遅くなる。それでも確認しなければならないのだ。

 そこにいたのは夜のように黒くて、マギュムのように大きくて、意思ある木のように太い何かだ。それは周りにある土や木や生き物を吸収しながら進んでいた。そして妹の身体が刺さっていた。



 ボクは180度方向転換し急いで妹のもとに向かった。妹は必死に身体を抜こうとしているが底無し沼に落ちたかのように沈んでいく。

 ボクは本気で走った。すると今までにないくらいの速度で走れた。もしも、こんな状況じゃなかったら浮かれていた事だろう。小さなハンターはそれに吸い寄せられているなんて考えもしなかった。


 それに辿り着くと兄と母が妹を助けようと足を引っ張っている。ボクも足を噛んで引っ張った。妹はなされるがままにしていた。しかし、一向に妹は抜けない。

 妹の足から血が流れ落ちた。ボクが噛む力加減を間違えたせいだ。しかし、妹は全く反応しない。何かがおかしい。


 ふと足元に違和感を覚えた。そこに目をやると、黒い水が広がっていた。ボクは足を離そうとしたが手遅れだった。びくともしない。それどころか黒い水がツタのように絡まってきた。


「バウッ」


 母と兄に助けを求めた。しかし、周りには誰もいなかった。足だけが見えていた妹も、助けようとしていた母と兄も姿が見えなかった。

 ここで小さなハンターは気付いた。自分は狩られる側なのだと、強いと思っていた自分の力は兄どころか化け物にも通用しないのだと、思い知らされた。


 


 彼が主人公であったならば、ここで謎の力が発動し覚醒と同時に黒い化け物を倒しただろう。しかし、世の中は無情だ。突然雷が落ちるように、突然隕石が衝突するように、突然宇宙人に誘拐されるように、死は唐突に訪れる。小さなハンターの物語は呆気なく終幕をむかえた。


 


 どんなに命を奪おうとも、触手が止まる事はない。邪魔するものは吸収し尽くし、やがて一つの星が一つの生命体に覆われ吸収された。

 その生命体は自我を取り戻し、ある星に移動した。


後書き

マギュム


直径が2メートルぐらいのキノコ。黒と黄色の工事現場のような色をしていて危険に見えるが毒はない。味は濃厚で美味しく、特定の時期になると大繁盛するので一部の動物にとても人気がある。

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