Ⅱ.試しの剣と水晶玉(1)
長椅子に座るチェーザレは、証拠品をいじりながらも、ぼんやりとしているようだった。
「どうした、チェーザレ? どこか悪いのか?」
昨日、男3人を軽くのしていたくらいだ。深刻な体調不良ではないだろうが、尋ねてみる。
チェーザレは苦笑いを浮かべながら、首を横に振った。
「いや、なんでもない。ただ、ちょっと夢見が悪くてな。寝不足なだけだ」
「君が寝不足とは、珍しいな」
近衛隊に入ってからのチェーザレは、体調管理には気を遣っている。夜な夜な焼けた屋敷に通っていた男を迎えにきていた時でさえ、寝不足とは聞いたことが無かった。
もっとも、その頃は、まともに話すことも無かったのだが。
「仮眠していても良いんだぞ?」
「んー。でも、こいつが気になるんだよな」
チェーザレは透き通った球体を、時折向きを変えながら眺めている。
「水晶玉か?」
「らしい。しかし、俺もこれほどでかいのは初めて見た。それに、何か入ってる」
執務机に向かうジェラルドへと、チェーザレが水晶玉を手にしている方の腕を伸ばす。眠気からか、立ってまで見せようとは思わないらしい。
ジェラルドからも、球体の中に何かがあるようには見える。しかし、残念ながら距離と光の反射とで、はっきりとは見えなかった。
「確かに。何かがあるようだが」
「そうなんだよな。割ってみても良いんだが、これだけ綺麗な球状をしていると、もったいない気もしてな」
「腕の良い職人が磨いたものか。値が張るだろうな」
「ああ。他のも全部、手の込んだものばっかりだぞ。元は富裕層が持っていたものだろうな」
今朝、チェーザレが持ってきた証拠品は三つだけだ。今、手にしている水晶玉。優美な曲線が美しい花瓶。編み込まれた髪や服の皺まで、精密に掘り出されたカメオブローチ。
「あの娘、金になるとか言っていたしな」
「それにしては、扱いが雑だったようだが。私が渡した金との釣り合いも、取れていない気がする」
「物の価値を知らないんだろ。この花瓶なんか、よく見ると傷がついている。収集家が泣くぞ」
高価な装飾品を欲しがらないチェーザレですら、顔をしかめている。収集家が、汚れた布袋に高価なものを雑多に入れて抱える少女の姿を見たら、さぞ嘆くことだろう。
「盗品、なのだろうな。どこに売るつもりだったかは知らないが」
「どこにあった物か、も気になるところだ。あの男達は、盗まれた家の主が雇った追手なのかもしれん」
「今のところ、盗みの被害報告は受けていないが」
「黙しているだけかもしれんぞ。変に内政府に突かれたくない輩ってのは多いからな。叩けば出る埃が、たくさんあるらしい」
チェーザレが、肩をすくめた。
「嘆かわしいことだな」
ジェラルドは、盛大にため息を吐いた。薄暗いものがあることは、ジェラルドとて勘付いてはいる。しかし、証拠が無いので暴くことができないのが現状だ。
「まあ、この国は、綺麗な方だと思うぞ? 清すぎても、住みづらくなるものだからな」
「それもそうだな」
もう一度ため息を吐いて、ジェラルドは手元の書類に視線を落とした。堤防工事についての報告書だ。あとひと月もすれば、工事が着手される。この工事関係者も、元は有力者の1人が口利きした者達だ。癒着とも言えるが、おかげで当初の予算より少ない額で折り合いが付けられているのも事実だった。
確認のサインを入れたところで、「少し早いが昼飯にしないか?」と、チェーザレから提案された。
「午後から外交府に行くんだろう? その前に、グラート様にあいさつをしに行かないか? 候補者達の訓練の様子も見れるかもしれないし」
「腕を見るつもりか?」
「もちろん。守りの近衛と攻めの警備隊じゃ、戦い方が違うがな。腕の良し悪しくらいは見極められるぞ」
ジェラルドはしばらく考えた後、ペンを置いた。
「先に、人となりを見ることもできるかもしれないしな。行くか」
2人は立ち上がると、執務室を出た。鍵を掛けて、連れだって歩いていく。執務室と食堂の中間辺りで、チェーザレは不意に通路の窓を開けた。
「見ろよ、ジェラルド。花が咲いているぞ。この窓からなら、よく見える」
「ああ、本当だ。綺麗だな」
食堂へと続く通路の窓は、すべて腰高窓で押し上げ式となっている。多くの窓は、男性では肩も通らないほど小さくしか開かない。しかし、数カ所だけ人が通れるほど大きく開く窓がある。有事の時のためのものだ。見た目はさほど変わらないというのに迷わずその窓を選ぶところは、さすが近衛隊隊長といったところだろう。
「2人で花祭りでもするか?」
「その祭りは、酒が出るのだろうな?」
「ああ。特上の酒を用意してやろう。ちなみに、こんな銘柄なんて、どうだ?」
チェーザレはジェラルドの耳に唇を寄せると、小声で話しだす。
「素知らぬ顔をして食堂へ歩け。ここから八つ目の窓の前まできたら、勢いよく振り返るんだ」
離れたチェーザレの顔を見たジェラルドは、すぐに極上の笑みを浮かべた。
「それは、またとない品だな。楽しみにしておこう」
「ああ。あ?」
今まで笑っていたチェーザレが突然、身を屈めた。
「いたっ、いたたたたたっ。なんか、急に腹がっ」
ジェラルドは声を掛けようと、口を開きかける。しかし、チェーザレに何も言うなというように手のひらを向けられ、口を閉じた。
「俺のことは気にせず、先に行ってくれ」
両手を腰に当てたチェーザレは、背中を丸めたまま小走りで廊下を戻っていってしまった。
「なんなんだ」
呆れた顔をしてチェーザレを見送ったジェラルドは、ため息を吐いて再び食堂へと足を向けた。しかし、二つ目の窓に差し掛かったところで、背後から視線を感じた。歩む速度は緩めず、気付かぬ振りをして歩いてみる。視線の主が、距離を保ったまま付いてくるのが分かった。
横目で、窓を数えていく。八つ目の窓の前に着いたところで、勢いよく振り返った。視線の主は目を見開くと、踵を返して走り出そうとした。そこへ、開きっぱなしにしていた窓からチェーザレが躍り出る。
「ほい。つーかまーえた」
チェーザレは、しっかりと視線の主を抱きかかえた。2人は同じくらいの背丈で、チェーザレは負傷中だ。もがく男を押さえ続けることに、苦労しているように見える。
「おいおい。せっかく穏便に事を収めてやろうとしてるんだから、おとなしくしてくれよ。宰相に危害を加えるとどうなるかくらい、上司を見て分かってるだろ?」
その言葉に、視線の主はぴたりと動きを止めた。
「べつに、ジェラルド様に危害を加えるつもりはありません」
「だが、随分と気にしているぞ? 夜も眠れないくらいにな」
もう逃げないと悟ったのか、チェーザレは視線の主を解放してやった。視線の主は、ゆっくりとジェラルドを振り返る。
「それは、申し訳ありませんでした。まさか、そこまで気にされるとは」
「ああ、いや。夜は眠れているんだが」
「そこは、嘘でも『そうだぞ。いったい、どういう了見だ?』って問うとこだぞ? 馬鹿正直が過ぎるぞ、ジェラルド」
「今のは、私の真似か?」
声色を変えるチェーザレを、ジェラルドはげんなりとしながら見た。当の本人は、「似てなかったか?」と首を傾げている。
「まあ、いいか。それより、話を聞かせてもらおうか? 食堂で、ゆっくりとな」
チェーザレが満面の笑みを浮かべて、視線の主の肩を叩く。彼は素直に、「分かりました」と答えた。
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