ファルファーラの翼の物語
朝羽岬
イリスのリボン
Ⅰ.左足首だけの幽霊(1)
闇だけが存在していた。
「エレナ」
春が迫るもまだ冷える空気に、呼ぶ声はただ溶けていくのみ。
「ヴァレンティーナ」
届かぬことは知っている。何度も呼んだ。それでも、飽きることなく呼び続ける。切なる思いを抱きながら、愛おしい名前を叫び続ける。
もう、幾夜この行為を続けているだろう。はじめから数えることをしていないため、分からない。分かるのは、自分がいくつもの黒を手にしていることだけ。
視界に広がる夜の色。己の髪。身にまとう服。手足に着いた炭の色。
沈む心。
「エレナ」
絶望を振り切るようにシャベルを振り上げ、勢いよく下ろす。壁の残骸に弾かれ、すっかり弱ってしまった体は跳ね返されてしまった。道具は痺れを生じた手から離れ、転げた身はあちらこちらが痛む。
惨めだった。涼しげに見下ろしてくる月が憎い。
「もしも……そう、もしもだ。おまえに力があるなら、私に貸してほしい」
いつだったか読んだ物語の一説が、頭の中に滑り込む。少女が魔女に頼み込む台詞は、今の自分には似合いだと思った。
「どうか私に、愛しい人の消息を教えてちょうだい」
両手で顔を覆う。しかし、涙は抑えられなかった。いっそうのこと、悲しみも憎しみも希望さえも封じ込めて、心の奥底に捨ててきてしまおうか。
「今日は、このくらいにしておけ」
いつも投げやりになった頃に、男の声は降ってくる。手をどかせば、灯りを携えた幼馴染が月を隠すかのようにして立っていた。差し出された手を、素直に借りる。1人でも立ち上がれないことはないが、精神的に引き上げられる感じがした。
声を掛けられるのは先の一言だけで、あとは互いに無言のまま帰宅する。
少し前までは無かった習慣が突如終わったのは、それから5日ほど後のことだった。
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