第35話

 相変わらず、学校と家の往復。そして、家に帰れば、人や歴史の勉強に、体術を中心とした武術の稽古。そんな変わらない高校生活にも慣れてきて、明日からはゴールデンウィークなる、プレ夏休み。

 丁度新しい生活に慣れた頃にこの休みで、調子が狂う者。

 慣れない生活にちょっとした長期休暇で、なんとかリフレッシュできる者。

 人によっていろいろな受け止め方があるものの、静流にとっては、そのいずれとも言いがたい。


 いつの間にか、学校で静流の周りに人が増えた。

 相も変わらず、名前と顔が一致しない静流だったが、毎日の宮原とのやりとりに、なぜか静流は単なる引っ込み思案での寂しん坊だ、などと誤解が生じたようで、我先にと、コミュニケーションを取ろうと、集まってきたのだ。


 静流としては、休み時間には近づくなオーラを出していたつもりだったし、実際クラスメートたちも、気になりつつ、近寄りがたく思っていたようだ。

 だが、宮原と話す静流が、思いの外、取っつきやすそうなだな、という感想を与えてしまったらしい。

 むしろ、頑張って粋がってるようで微笑ましい、と、女子から評価が高いのを、当の本人だけが知らなかった。



 そうこうするうちに、まずは女子たちから、マスコット的に可愛がられるようになり、それに反発する様子がまた可愛いとさらに可愛がられる、という、妙なループが出来てしまった。

 そうなると、その輪の中に入った方が得だ、そう判断した男子たちが、女子に乗っかる派と、逆に静流を硬派として守る派に分かれる、といった、ほのぼのとした派閥争いができ、この1年A組の仲の良い空気をつくりだす結果になったようである。

 ようするに、なんとなくこのクラスは、早々に、静流を中心に仲良くなっていった。・・・のだが、もちろん、そんな静流を気に入らない者たちもいる。

 だが、幸い、というか、不幸にもというか、悪い意味で静流にちょっかいを出そうというものを、人知れず大人しくさせていた人物がいた。宮原健吾だ。

 彼は見た目がいかにも武人だが、どちらかというと、人をしっかりと見る人物だった。



 そんな彼だが、入学式当日から、何故か静流が気になって仕方がなかった。


 はじめは、なぜ惹きつけられたか分からなかったが、性別不明の感じが、自分の周りの人間に似ている、そう思ったのかも知れない。

 井上留美との会話が聞こえ、それで男と知る。そこに違和感はないな、と思いつつ、気がつくと観察していた。

 観察していると、多少ひっかかることが出てきた。

 まず姿勢が良いのだ。

 机につっぷしたり、だらだらしている風の割に、立ちあがってそそくさと帰るその姿がきれいだと、思った。まるで何か武道でも囓っているようだ。達人、とまではいかない。むしろ素人に近い。だが、それでも中心がぶれていない、そのことがまず気になった。




 宮原、という自分が産まれた一族は、少々変わった一族だ。

 親は、表向きは、大手出版社の経営者。

 そして、裏では「宮原家」として、それなりに有名だった。


 そう裏の世界。

 別に悪いことをする人達の社会を指すわけじゃなく、人々を守り導くことが存在意義の、いくつかの家系の者たちだ。


 たとえば天災が起こったとき、それらは機能する。

 まずある家は、天災の予兆をキャッチする。

 別の家は、天災の原因を探り出す。

 他の家は、天災の原因を除こうとする。

 さらに違う家は、起こった天災の被害者を減らす努力をする。

 また別の者達は、被害者を救済する。

 そうして、とある家は、事後処理を行う。


 もちろん、そういう作業は、国の機関が行っているだろう。

 とはいっても、そもそも、その国の機関には、こういったことを扱う家系の者が、中枢部にたくさん入っている。結局はごく一部を除いて、中枢はこのような家の指導に応じて、適宜作業を振っている、ということを知る者は少ない。


 なぜこういうことが起こるのか。


 これらの家のものたちが、特殊な技を継承しているからだ。


 たとえば天災・大雨の予兆。


 当然、気象の専門家が分析調査している・・・と、思われている。

 だが実体は、いまだに「予知」という特殊能力がまず予兆を捕らえる。

 そして、こういう予兆が出てくる予定、と、気象庁中枢部に知識共有されることになるのだ。

 予知により、時期・場所・規模・被害予測があったのち、こういう予兆が現れるから、そのあたりのデータをしっかり精査し予兆をキャッチするように、と、気象庁が知らせを受け、そのための人員を気象庁が割り振る。

 これが、現代の日本の、いや、世界の予測システムの本当の姿だ。

 そして、これがあらゆるレベルの社会構造の中に組み込まれている。


 宮原は、その中で「事後処理」に近い権能を有する家だ。正確には事後処理の事後、というべきだが。


 宮原は、そのたぐいまれな「見る」能力を持って、現実に起こったことを記録することをその生業としている。

 社会は、教科書に書かれているような歴史をたどっているが、その歴史を作るためにどの家がどういう働きをしてきたか、その詳細な記録を、わが宮原家は所持しているのだ。


 それがどういう意味をなすか。

 常々、宮原に産まれた人間は、教え込まれる。

 未来に進むには、過去を知らねばならない。過去の教訓から学び、人が歩む道しるべを作る、それが宮原だ、と。


 そのための真実を見る目が、様々な形で宮原の血統には多く産まれてくるのだ。


 一番多いのは「鑑定眼」と言われるものだ。

 人に特化していたり、物の時代に特化していたり、とにかく特化している。

 昔はこれが超能力的な扱いだったが、今では、それは否定されている。言葉そのものの意味で、のだ。


 たとえば、古文書の鑑定。

 紙を見れば、その繊維1本1本がどうささくれ立っているか、そこまで。そこに使われている墨の成分の色をことが出来る。

 そこでその繊維の劣化具合や使われた年代、墨の特定など、叩き込まれた知識でもって、容易にその古文書の作られた年代やら場所、場合によっては文字の揺れから書いた人間の感情まで、読み解くことが出来るのだ。


 これらの目は、遺伝と教育で築かれる。

 ある意味超能力だが、それはどこぞの原住民の視力は5.0だ、というのに等しいレベルの力にすぎない。ちなみに、遠方を見る力に優れた家系は宮原とは別にある。


 宮原健吾は、そんな宮原の当主の直系の孫にあたる。

 健吾の目は、古文書特化のような細かい物を見るには適していないが、人に特化していると言って良い。

 宮原は目がいい、と言われているが、そもそも五感が優れているのだ。健吾などは、第六感などと言われているものは、実は五感の統合能力のことではないか、と思っているほどに。


 人は、その呼吸や汗などで、嘘をついているかどうかがわかるという。

 正確性に疑問視されるも、嘘発見器などはこの性質を利用した物だ。

 そして、健吾の目は、嘘発見器以上に、人の呼吸・汗・脈拍そして視線などの変化を捉えて、その人が嘘を言っているか否かを感じ取ることができるのだ。

 普段は無意識に感じ取っているし、本気でその気になって見れば、ほぼ間違いない精度で、嘘を見破ることが出来る。


 これが一番の健吾の能力で、その応用というか、劣化というか、ちょっとした人の無意識の行動を見るだけで、その人の人となりをある程度判別できる。

 その人物が、元来おしゃべりか無口か、悪事を簡単に容認できるかできないか、人によって態度を変えるか変えないか、なんだったら生活レベルや家族構成まで分かる場合もある。常に、ではないが。


 しかし、だ。

 分からなかった。

 物心ついてはじめて、よく分からない、という感想を持ったのが静流だった。

 まったく分からない、というのではない。むしろわかりやすいのだ、表面的には。

 頑固で流されやすく、気弱で強気。人を寄せ付けず人を惹きつける。

 そして何より、裏の世界の人間の気配があり気配がない。

 多々矛盾を包含する静流が、健吾には気になって仕方なかった。


 だから・・・・


 そうだ、家に遊びに行こう。

 親友の家に突撃するのは、ごく自然なことだ!


 健吾は、ゴールデンウィークの予定に「井上静流」と書き込んだ。

 

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