第31話

 「でだ。まずは、これを覚えてもらう。」


 裏の家に入った満は、静流に1枚の紙を出して言った。

 A4コピー用紙に書かれたそれを見て、静流は首を傾げる。

 「子守歌?」

 その答えに、今度は満が首を傾げた。


 「なんでこれが子守歌なんだ?」

 「だって、これって、これでしょ。」

 そう言うと、静流は独特の美しい旋律で歌い出した。

 確かにその歌詞は、今、満が出している、その紙の内容と同じものだった。


 「マジか・・・」

 満は目を覆って言う。

 「おっと、ストップストップ!」

 間もなく歌を終える、というところで、満は慌てて静流を止めた。

 「へ?何?」

 「おまえがこれを、しかも正しい旋律で唱えられるのは分かった。・・って、これ、子守歌だったのか?」

 「ん?違うの?」

 静流は不思議そうに満を見つめる。

 いつもは冷静、というより、すかした感じの満だったが、今はなんだか呆れたような、疲れたような、そんなシャキッとしない様相を見せていた。


 スーハー、スーハー。


 しばらく目を押さえて何かブツブツ言っていた満だったが、やがて何度も何度も深呼吸をはじめた。


 「まぁ、座ろう。」

 そう言いつつ、満は、自分から畳にあぐらをかいて座り込んだ。

 静流もその横にちょこんと三角座りをする。

 様子がおかしい満に、心配げな視線を送りつつ、何を話して良いかも分からないまま、黙ってそのまま座っていた。


そして。


 しばらくたって、「よし」と気合いを入れるためか、自分の両手で両頬をパチンと、挟むように叩くと、満は静流に向き直った。


 「まずは、だ。お前の嫌いなオカルト満載の話からだ。静流が子守歌、と言っていたこいつだが、これはとある呪文だ。」

 満はコピー用紙を見せて指で弾きながら言った。

 「呪文?」と、静流は眉をひそめる。


 「まぁ、そんな顔をするな。ある事象を起動するためのパスワードだと思えば良いさ。そして、こいつはこの文言だけでは不完全だ。ある程度の効果をあらわすことができるが、完璧にはもう1つの要素がいる。」

 「もう1つの要素?」

 「それが旋律、音程とリズムだ。」

 「えっと・・・」

 「ちなみに、その正解は俺は知らない。いや、知らなかった。今、お前が歌うまではな。」

 「それって・・・」

 「お前のその子守歌な、秘伝も秘伝、完璧に術を行う全部の要素が入った奴だ。ちなみに術を現実に影響させるには、プラス霊力と媒体が必要だがな。で、媒体は、カタカムナの指輪が最強だ。」

 「霊力って・・・」

 「引っかかるのはそこか?まぁいい。霊力、なんて言うと非科学的だと思うかもしれんが、この霊力はニューロンの活性化と連動していると、最近の研究で分かっている。それとDNA。このDNAは遺伝子情報のプログラムだ、なんて言い方をされているし、この書き換えで身体の組成自体をいじることができるのは知ってるだろ?霊力とそれを使った術の発動、というのは、このDNAのプログラムに干渉する電気信号の1種ではないか、そう研究されているんだ。非科学的だって言って、そう毛嫌いするな。この手のことは、これから、次々に体験するんだからな。」


 静流は、渋々頷いた。

 マンガみたいなことがあるわけない、という常識にすがりたいだけだ。

 今となっては、そう理解している。

 というよりも、自分の知っているのとは違う理論の上に立つ技術を手に入れたんだ、そう納得することにした。

 いくらそんなはずはない、それはおかしい、と言ったところで、目の前に展開する現実が、そういうものはここにある、と、教えている、それが静流には痛いほどわかっているのだから。


 「静流はさ、こっちの世界、業界のことは知らずに育ったと言っていたよな。」

 落ち着いた風の静流にホッとしながら、満は静かに問うた。

 「うん。」

 「カエデばぁ達はさ、静流がこっちの世界で辛い思いをして欲しくなかった、普通の幸せを掴んでもらいたい、そんな風に思って遠ざけていたんだと思う。」

 「うん。」

 「だけどな、ひょっとしたらこの世界で生きなきゃならないことが起こるかも知れない、むしろその可能性が高いと踏んでいたんじゃないか?」

 「え?」

 「子守歌は、どう考えても舞財の秘伝だ。あれは汎用な術の呪文だと知られている。心の中で起こって欲しい事象をイメージしつつ、あれを唱えれば、術が発動する、そんなチートな呪文だ。」

 「なんだそれ?」

 「まぁ、霊力や媒体、イメージ力によって、その威力は増減する、と言われてはいるけどな。」

 「ったく・・・そう言うのが信じられないっての。」

 「ハハ。それとな、ここに描いて貰いたいんだが、その神経衰弱で使っていたっていう絵。あれはばぁさんやじぃさんとやってたんだろう?それは即興で描いて遊んでたのか?どんなのを描いてたんだ?」

 「基本、即興で。まぁ、絵は何度も同じのがあったし、新しいのばかりじゃなかったけどね。」

 そう言いながら、差し出された子守歌を書いていたコピーの裏に、サラサラとよく使った絵を静流は描いた。


 「やっぱりな。これが小さいときに使った絵か?これって、ESPカードに使われる絵柄だ。それと、後半に使ったこっちのグループ。これは術式の図案だな。それこそ漫画的に言うと魔法陣とか曼荼羅とかそういったものだ。実際は力の流れをプログラムしたコンピューターでいう基盤みたいな役割のもんだ。」

 静流は首を傾げる。

 そんなことを言われても、という感じだ。

 「なぁ、静流、今、この複雑なのをササッと描いてくれたが、こういうのをいくつもかけるのか?その、じいさんやばあさんが描いていた真似、ってやつ。」

 「まぁ。数えたことないけど、100ぐらいは覚えてるかな?」

 「ったく。完全英才教育じゃないか。まぁ、俺たちでも静流の才能の片鱗は感じるんだ。あのばぁさんがもしかしたら、と、思って仕込んでいるのは当たり前か。」

 「満さん?」

 「ああ、まぁ、いいさ。悪いことじゃない。静流が意固地に非科学的云々言うのは、遠ざけるためにわざとそういう思考に導いた、さえあるって事が分かったよ。」

 「えっと・・・」

 「そんな顔するなって。朗報だ。お前が泣こうがわめこうが、いろんな知識や技術を叩きこむ予定だったが、実は舞財ご当主様直伝で、こっそり仕込まれていたことがわかったってことだからな。」

 「それって?」

 「静流が俺たちに泣かされるのが減った、ってことさ。良かったな。」

 「・・・減った、じゃなくて、なくしてくれればいいんだけど・・・」

 「俺が思うに、それは無理だな。」

 「そんなぁ・・・」

 「とりあえず、お前が何を仕込まれていて、何から遠ざけられていたか、ちゃんと調べなきゃならないが、まずは今日の本題だ。」

 「本題?」

 「その前提で、こいつを覚えてもらうつもりだったが、すでにクリア。どころか、予定外に正式な旋律も分かってる。となると、だ。」

 「?」

 「なぁ、静流。家で、危ないから近寄るな、と言われていた場所とかないか?」

 「えっと、・・・裏山?」

 「裏山?」

 「うん。裏庭の物置の向こうに裏山行きの小さい扉があるんだけど、物置の裏側、特に裏山には絶対近づいちゃダメだって。じいちゃんもばぁちゃんも裏山に行ってたけど、子供は危ないって言われて、物置から覗くだけでも叱られた。」

 「それは怪しいな。」

 「怪しい?」

 「よし、この家にもその裏山への扉がないか、調べるぞ。」

 「え、でも・・・」 

 「いいから、行くぞ。」


 静流は不承不承、勝手口から抜けて、裏口へと向かった。

 裏庭は同じ広さであったけど、そこに物置はなく、随分広く感じた。

 物置はないが、その向こうに、竹を編んだような小さな扉が、表の家と同様にあった。


 「あれか。」

 満は扉に向かうと、それを開けた。

 表の家と違って、扉の向こうは洞窟の岩肌で、押したドアが開くギリギリのスペースしかなかった。


 「よし。静流、ここにきて、例の子守歌を歌ってみろ。表の家の扉と繋がっているイメージをしながらな。」

 「え?」

 「たぶん、ここに道がある。空間が繋がっているハズだ。舞財の血がIDで歌がパスワード、そう信じて、イメージしながらやってみな。」


 半信半疑、とはいえ、なぜか満が言うのは正しいような気がした。


 しっかりと表の家をイメージしつつ、道が繋がっていると思い込む。


    「ヒフミヨイ マワリテメグル ムナヤコト

     アウノスベシレ カタチサキ

     ソラニモロケセ ユヱヌオヲ

     ハエツヰネホン カタカムナ   」


 静流の声が静かに響く。


 最後の「ナ」を長くユラユラと揺るがせる。

 と、シャツの下から淡い光が漏れ出して、それが大きく広がり、扉を中心に静流達をも光の中に覆う。


 自分のやったことではあるが、静流はその様子に目を見開いた。

 信じられないが、この扉を開けて向こうへ踏み出すと、よく知った我が家がある、そう確信する。


 なんか地面がふわふわする。

 そんな静流をやさしく包み込むように、満は肩を抱くと、ゆっくりと、扉を抜けた。

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