第29話

 「戸締まりをして、不必要に出歩かないこと。知らない人は中に入れない。いいな。」

 何度目かになる注意を、コーは静流におこなっていた。

 昨日から何度聞かされたか。


 昨日、コーと共に、この家に静流は戻ってきた。

 まったく変わりばえのしないこの町は、だが、見えないところで大きく変わったようだ。静流に認知できるのは真新しい「井上」という表札だけだったが。


 この静流の育った家はコーたちにとっても第二の実家みたいなものだという。

 静流が産まれた後に訪れることはなかったが、それでも、この家も周りもまったく変わらない、と、コーは嬉しそうだ。

 コーか満が、夜にはここに帰って来る、そうコーは言う。


 、かぁ、と静流は不思議な感慨を持って思う。

 自分にとって、この家はじいちゃんとばぁちゃんだけが帰って来るところだった。

 順に二人が亡くなって、もう帰って来るのは自分だけだと思っていたのに、あっという間に帰ってくる人が増えてしまった。


 「あ、そうそう。多分、今日は満がこっちに泊まるから。俺は、仕事次第だけど、多分無理だな。ちなみに、昨日のあれ、ちゃんと覚えておいた方が良いぞ。満がテストして、不合格だったら、絶対お前絞められる。」

 と、最後に不穏な発言をしてニヤッと笑うと、車を走らせてしまった。



 コーを送り出した静流は、一人になった家でハーとため息をつく。

 人を覚えるのは苦手だ、と思いながらキオに渡されたタブレットを出す。

 その中には今日の課題、として、複数の人物の動画とその解説レジュメが入っていた。コーが言っていた「昨日のあれ」という奴だ。


 昨夜、教師役のコーからちょっとした解説付きで教わったものの、そもそも人に感心が薄かった静流には、人の名前や顔すら覚えるのが苦手だ。

 「にしても、ここまで詳しくって、プライバシーはどうなってるんだか。」

 チラッと見て、静流は思う。

 名前、年齢、所属はもちろん、趣味嗜好に使う技から弱点、人によっては初恋の人物、とか、どうやって調べたのやら。


 (だけど、覚えてないと、満さん、マジ怖いしなぁ。)


 初めて満に勉強を見てもらったのは、4日前だったか。

 もともと粗暴な感じのコーが、軽く頭をはたいて叱るのは、なんとなく理解出来たし、やめろと抗議する余裕はあったのだけど。

 あの日帰ってきた満にどこまで覚えているかチェックしよう、そう言われて、全然ダメで。

 「静流、座ってばかりで血が頭にまでいってないのかな。ちょっと身体、動かそうか。」


 笑顔だけど、目が笑っていなかったな、と今なら思う。

 が、そのとき静流は、机にかじりついて覚えるのが苦痛だったから、喜んで裏に造られた訓練所に行ったのだったが。



 ただ、ひたすら投げられた。

 柔道技か、レスリングか。

 まだ受け身もまともにとれない静流はただひたすら床に打ち付けられた。

 気がつくと小さい子みたいに泣きじゃくっていて、痛みにうなりながら、ひたすら許しを請うていた。


 「何、泣いてるのかな?座ってばかりで頭まで血が回っていなかったからって、軽く運動しただけだろ?」

 むしろ優しげに不思議そうにいう様子に、静流は、ただただ頷いて、満に言われるまま、座学に戻ったのだけれど。

 しばしの記憶の時間の後の再テストでも、満のお気に召さなかったようで、同じ事がもう一度行われたのだった。

 さすがに次、は、コーのお陰でなかったのであるが。

 もう一度座学に戻ろうとした満に、自分の教え方がまずかったのだと、明日までには覚えさせるから、と、仲裁してもらって、事なきを得たに過ぎなかったのだと思い出す。

 翌日のテストでなんとか及第点を得て、満はそのあとは会っていない。

 コーも満も優秀で、仕事はそれなりに多忙らしい。


 「さてと、なんとか覚えなきゃな。」

 満が来る、というと、恐ろしい気もするし、なんせ今日は庇ってくれるかも知れないコーが、戻ってこない可能性が高い。

 静流は、何度目かのため息をつき、必死に動画とレジュメを頭にたたき込んだ。



 幸い辛うじて及第点、ということで、帰ってきた満に覚えるべき人物をアップデートされて、ため息をつく静流だったが、明日は裏の家に行く、という言葉に、姿勢を正した。

 「鳥居の家を探すって事?」

 鳥居にも同じような隠れ家があるはずで、それは鍵であるペンダントが導く、そう言われていた。近いうちにそれを探しに行く予定と聞いていたので、そのことか、と静流は思ったのだ。

 「いや、舞財の方だ。お前の嫌いなオカルトが見られるぞ。」

 フフフ、と満は笑って言った。

 「え?どういうこと?」

 「それは明日のお楽しみ、というところだな。鳥居の方も気にはなるが、そっちはコーも一緒の方が良いから、先にこっちをやろうと思ってな。」

 「何をやるの?」

 「だからそれは明日のお楽しみだ。てことで、明日は早い。今日はとっとと休むぞ。」

 「いいけど・・・」

 「なんだ不満か?言っとくが、明日早くなかったら、あんな程度で合格出してないからな。なんなら脳のリフレッシュしてから、再テストするか?」

 意地悪な笑みを向けて、満は言った。

 ブルブルと、高速で首を横に振った静流は、慌てて寝る用意に入る。


 (本来なら、産まれてから30過ぎぐらいまでにやらなきゃならないことを、出来るだけ短期間で叩き込むんだ。無理だと思ったが、さすがにばぁさんの秘蔵っ子か。ついてこられるだけに辛いな。)

 そんな後ろ姿に向けられたつぶやきを、静流は知ることはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る