110.毒されていたものは
書状とやらがある方が、この場合男には都合が良かった。
すでに王家が切り捨てた第三王子を他者へと預けた後とするならば。
それを取り逃がした失態の責任も、もはや王家にはないということだからだ。
ならば一応は王子である自分も、何の責も憂いもなく動けよう。
男はこの場を切り抜けた後に、身を隠す暮らしにまで意識を向ける。
どちらの兄にも近付くのは危険だが、国に散らばる彼らならば匿ってくれるだろう。
当初考えていたように、共に働くと言えばいい。
男は今まで以上に意識を集中すると、地下の隅々から階段の先の上階までも、生物の存在を確認していく。
相手が一人とは限らない。人払いをしている場所だとして、こいつが誰も連れていない方がおかしい。
そしてきっと、姿を見せない彼らもどこかにあるはず。
あえてこの場所で捕まるように。
声の主を導けるだろうか。
鉄格子の向こうには、秘密の抜け道が用意されていることを男は知っていた。
この建物を建築させた人間は、余程用心深い人間だったに違いない。
形勢逆転となった場合に備え、しかしどうやっても何も知らず鉄格子の向こうに入った人間には悟られないようにして、巧妙に隠した逃げ道を用意してあるのだから。
彼らが潜むなら、その逃げ道の先だろう。
表向きは切り捨てられたとして、あの甘い兄たちからの手助けがないとは、男には思えなかった。
しかし。
それにしてもだ。
やはりおかしい。
首に当たるそれは感じるのに、己の感覚はそこにいるはずの誰かをいつまでも認識しない。
この俺が?
叔父上だけでなく、彼らにも認められていたこの俺がか?
この国の精鋭たちと共に生き、鍛えてきたこの俺だぞ?
これほどに静かで何もない地下室において、この近さにあって。
気配ひとつも読ませない人間など、存在してたまるかと思えども。
実は夢の中なのではないか。
そうだ。夢を見ているのだ。そうに違いない。
という考えを否定するように、首に触れるその冷たい感覚だけはやけに現実的だ。
そこでくすりと、男は酷く近い場所で笑われたように感じた。
何か音が聴こえたわけではないから、息遣いを感じたのだろうか。
けれども肌に吐息が触れた感覚もなかった。
それなのにどうしてか。
男には誰かが確かに笑ったように思えたのだ。
それは正しいと言うように、今度は声が男を嘲笑う。
「なるほど、なるほど。自信過剰な質にもあると。つまりあなたは、周りはおろか、自分のことさえもまったく見えていない人だったということですね。それならば、この環境に落ち着いていられるのも納得出来るというもの」
また何のお喋りが始まったか。
男は黙って耳を澄ませた。
「自分には何の影響もない。これまでも、これからも。いまだにそう信じていらっしゃるのでしょう?いえ、しかし、そうでしたね。影響を受けたからこそ、分からずに今まで過ごせてきた、そういうこともありましょうか」
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