109.無知は自発か導きか


 恨んだことなどは。


 一度たりとも男にはなかった。


 その思考を読んだように、声は問う。


「では嘆きましたか?」


 それもない。


 男は核心を持って心の内で答えていたが。



 これは嘘だ。



 男は常々思っていた。


 いや、思わされてきた。


『勿体ないものだな。お前の方がずっと、この椅子に向いているというのに』


 それは何度繰り返されたか。



 男はどちらにしても、万が一のときの代替品。


 表向きにはスペアにさえなれず。

 むしろそうはならないように。

 常に愚鈍な王子であることを求められた。


 王家にとっては、三番目の男児などおまけのおまけもいいところで。


 裏にあってはまだスペアではあったけれど。

 いずれは臣籍降下して王族から離脱する身の上では、裏側の深い部分に関わることは許されず。


 スペアであっても何も出来ない。


 結局は何も求められない王子。いや、愚かなることだけを求められる王子。

 それがこの国の第三王子という立場だ。



 それでも男は叔父に裏側の仕事への関わりを願い出た。

 自分でも向いていると感じていたから。


 そのためならば臣籍降下後の高位貴族の地位など捨ててもいいと。

 王子として儚くなっても構わないと。

 そうして完全に裏の人間になるのも有りだと。


 そう言えば、叔父は認めてくれて。

 その叔父が儚くなれば、兄も認めてくれて。


 侯爵領を得るまでは、そう考えていたことに嘘はない。



 それでも二人の兄を見ていると時々思ってきたのだ。


 俺ならもっと狡猾に表の善良なる王を演じて見せるのにな、と。

 俺ならもっと冷酷な裏の邪悪なる王としてこの国を導けるのに、と。


 それは三番目に生まれたことによる、どうしようもない嘆き。



 しかし男にとって、その嘆きはあまりに日常過ぎた。

 だから自分が嘆いてきたことに男は気付かない。


 それよりも、兄たちの意外な優秀さに驚いていた。


 この気配のない声の主が、本当のことを言っているとすればの話だが。


 兄たちには弟を切り捨てるだけの王たる器はあった、ということになる。


 それはこれまでの嘆きの訂正。



 しかし男はやはり、ここでも嘆いた。


 日常的に繰り返されてきた思考は、癖となり、多少の変更くらいでは変動しないからだ。


 俺ならば、もっと早くに切り捨てて利用していただろう。


 弟が望んでくれたのだから。

 とっとと表の世界から消し去って、裏で有効活用してやるところだ。



 このように、新たな嘆きを始めていた男だったけれど。



 男はここで口を開いておくことにした。

 そろそろ状況を変化させたい。


「俺に何を求めているかは知らないが。その手の問いをいくら続けても無駄になるぞ?お前が許可を得たのが事実だとして。俺は恨むどころか、二人が英明なる判断を出来たことに心底安堵しているからな」


 その発言が、先に生まれた兄たちをどう思ってきたかを示していたが。


 男は気付かずに不敵に笑った。



 切り捨てる判断は見事だとして、自分がこの状況に甘んじる謂れもまた、どこにもない。



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