107.永き夢のはじまり


 その建物は、少し前までとある侯爵家の領地だった土地の、罪人管理区域の中にある。


 この国ではどの領主にも領内における犯罪者を捕えて裁く権限が与えていた。

 しかしながら罪人に科す罰の内容は、領地により様々となる。


 領内に鉱山を所有している場合には、最も危険かつ重労働であり、その環境の悪さから就労者には長く生きられない者が多い、という理由から、罪人に鉱山での労働を義務付ける場合は多い。

 だがそれも絶対ではなく、鉱山を持ちながらも、善良な領民たちと変わらない内容での無償の労働を義務付けらることもあった。

 当然のごとく、領内に鉱山がなければ、同様の罰を与える領主は多い。


 この元侯爵領にも鉱山はなかった。

 だから罪人に科せられる労働は、一般の領民たちも従事している仕事となる。


 そうは言っても、善良な領民と同じ領域で働かせるわけにはいかないことは誰にでも分かるだろう。

 逃げ出されて、また罪を重ねられても困るわけだ。


 こうして多くの領地において、王家が所有管理する北のあの地のように、罪人を収容する管理区域がそれぞれの地に作られた。



 この元侯爵領の罪人管理区域は、それなりに広大な土地を確保している。

 しかしその全貌は、高い塀で囲われているために一般の領民は元より、王家を含めた他家の者らが知るところではなかった。

 実は中には広大な畑が広がっており、収穫物を加工する大きな工場もあって、当然ながら罪人らの居住用の建物も並び、管理官たちが集う棟も用意され、一見するとひとつの巨大な街のようである。


 こういう場所は、領主にとってもあまりに都合の良い隠し場所だ。


 それはこの侯爵領も同じで。

 一体何年前から、この建物がこの地に建っていたのだろう。

 歴代の領主たちは、これをどのように活用してきたのか。




「アルメスタの奴らめ。何度思い出しても忌々しいが。まぁ、いいさ。俺にはここがある」


 その男は上機嫌で地下へと続く階段を下りていた。

 かなりのいい身なりをしていながらも、男の傍らには従者が一人もない。


「だけど数が減ったのは痛手だよなぁ。またあちこちから集めないと」


 鼻歌でも囀りそうなほど、男の足取りは踊っていた。


 よく知る香りが強まれば、それが男の気分をさらに高揚させる。


 しかしそれも束の間のこと。


「はっ?」


 男が音を発したのは、壁付けの照明に持ってきたランタンから火を移した直後のことだった。


「はっ……?」


 男は二度も同じ声にならない音を発してから、次々と室内の照明に火を入れていく。

 並ぶ鉄格子の向こうまで見渡せるくらいに、辺りが十分に明るくなった頃に。


「どこへやった!おいっ!管理官を呼べ!」


 男は振り返って叫び、急いで元来た階段を駆け上ろうとした。


 そのときだ。


 ひやりと感じる首元のそれを感知して、男は瞬間的に動きを止める。


「……まさか」


「おそらくは想像どうりかと思いますよ?まだ考えられる頭をお持ちであれば、の話になりますがね」


 冷ややかな声は、どこか遠く。

 首に感じるそれを考えれば、側にあるはずなのに。

 視線だけで見える限りを把握しても、煌々と揺れる灯りに影はなく。

 声の主の気配というものが感じられなかった。


 それでも男は後ろを振り返れない。

 確かに首元に感じるそれは実在するはずだからだ。


 白昼夢など、男が見るはずはなかった。

 いや、自分が見る日は来ないと男は信じていた。


 しかしその冷たい何かを持った人間は、間違いなく男の背後を取っている。

 地下に続く階段はひとつだけだ。

 階段を下りてきた男が振り返り戻ろうとしたその瞬間に、後ろに立っていたと言うことは……。


 はじめからこの地下に潜んでいた?


 男には状況を察する能力は残っていた。

 だがそれがかえって男に絶望を突き付ける。


 しかし……。

 男はまだ自信を持っていた。

 これまで生きてきて築いた自信だ。


「……ここまで辿り着いたことは褒めてやろう。だが俺にこんなことをして許されると思うのか?」


 男の脳裏には二人の男。

 代替わり前のあいつの方が幾分も操りやすかったものだが。


 だがどちらも代わった今とて、多少の変化はあれど操りやすさに支障はない。


 あれらは甘いのだから。

 自分とは違って──。




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