106.約束の地へ
大事な人を膝の上に横抱きにして、その大事な人がさっきまで楽しそうに眺めていた窓の向こうにゆったりと流れゆく景色を眺めた。
まだ陽は高く、一面の青草が鮮やかに輝きながら同じ方向に揺れては大きなうねりを作っている。
王都では見られないその美しき壮大な光景に、ジェラルドはひとつ息を吐いた。
この二十日程、あらゆる感情が心に押し寄せ、落ち着く日というものはなかったが。
こうして番相手であるセイディを抱き締めていれば。
何もかも遠く、はるか昔の出来事のように思えるから不思議だ。
王都を出て二日で、田園風景が広がるようになった。
こうなれば代わり映えのしない景観が続くことになって、そう楽しいこともあるまいに。
セイディは窓の外をずっと眺めては、あれはなんだ、これはなんだと、どこからでも楽しいものを次から次へと見付け出し、ジェラルドに問い掛けた。
そのほとんどにジェラルドは答えていったが、時折答えに詰まると、いつもならすぐさま出て来る例の侍従は現れず、ジェラルドが『あとで』と言ってはセイディが神妙に頷いたものである。
侍従が傍らにない時間というものも、記憶のある限りなかったのではあるまいか。
気付いたジェラルドは少しだけ、それはほんの少しだったけれど、心細さを感じて、眠るセイディの頭に頬ずりをしてしまった。
聴こえてくる規則的な寝息は、ジェラルドにも眠気を誘う。
だが思い出してしまった王都でのあれこれは、まだジェラルドを眠らせようとはしない。
「アルメスタがあの隣国に近い領地でないことは良かったな」
ジェラルドにとっての憂い事は、いつでもセイディに関することだ。
領地が安心して楽しく過ごせない場所になってしまっては、代わりの場所を見繕う時間が必要となるところだった。
隣国でクーデターが起きた。
その知らせが届いたのと、別件の知らせが入ったのは、ほとんど同時で、アルメスタ公爵家とてこれには落ち着いてはいられなかった。
隣国で反乱軍が蜂起したらしい、という知らせが届いた翌日には、城がすでに制圧されて王族らは捕えられているようだという情報も届けられた。
他国の情勢がこの国に与える影響についての懸念もさることながら、アルメスタ公爵家が穏やかでいられなかったのは、その隣国が秘密裏にあの香油を製造し国内外へと流通させていた国だったからだ。
もしや父親が何かしたのではないか。
一瞬は疑ったジェラルドであったが、同時に報告を受けて素直に驚きを示す父レイモンドの姿を目にすれば、すぐにその疑いは晴らしている。
その後のレイモンドの対応も見ていれば、この件にアルメスタ公爵家が何ら関わっていないことは間違いない。
レイモンドは急ぎ情報を集めよと命じていた。
香油の件でいつも以上に多くのアルメスタ家の関係者が潜伏していた状況にも関わらず、今回のクーデターについて事前にアルメスタ家の誰も感知出来ていなかったのだ。
とすれば、もしや隣国の王族らにとっても、寝耳に水といったところだったのではないか。
混乱状態にある隣国から正しい情報を得ることはなかなか難しいようで、現時点ではっきりしていることは少ない。
だがクーデターを起こした者たちについて、推測は出来るようになってきた。
彼ら反乱軍を名乗る者たちは、最初の行動として各地の香油の製造所を同日同時刻に一斉に破壊したというのだ。
番を知る者たちが率いていたかは定かでないも、関与していると見て間違いないだろう。
この旅路にジェラルドの両親が同行していないのは、これが理由だ。
隣国の情勢を見極めるまでは、今しばらく彼らは王都に残ることにしたのだ。
それは王家が揺らいでいる今だからこその判断でもあった。
急にお隣の国が騒がしくなったが、今はこちらの国とて忙しない。
王の代替わりが迫る最中に、王女が儚くなられた──。
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