101.共に揺られて
セイディは侍女たちとの問い掛け遊びが大好きだ。
その大好きな遊びに誘われることは、ジェラルドだって大好きだった。
だからいつものジェラルドであれば、これを大層喜ぶはずであったのだが……。
「せいでぃは、なにをかいたでしょう?」
目をきらきらと輝かせて、問われたとき。
ジェラルドはセイディの描いた絵を見詰め、しばし固まった。
ぐるぐると回る様々な色の線が重なっただけの……芸術的な絵である。
ここで外せないジェラルドの瞳は真剣そのもの。
ジェラルドはこれ以上番からの信頼を失うわけにはいかないのだ。そうこれ以上は……。
──鮮やかなこの色使い。丸みを帯びた縁取り。これはあれか!
「は、はなかな?」
答えを導き出してもなお自信を持てなかったジェラルドは、いつもより小さな声に疑問を残したまま答えた。
セイディの口がむぅっと尖り、ジェラルドの気分は沈む。
しかしセイディも表情豊かになったものである。
保護された当時のことを思えば、この変化は見事なものであったが、もうこれに慣れてしまったジェラルドはその奇跡に気付けない。
「……ちがいます」
「うっ。あれか、ルドを描いてくれたんだな?」
ジェラルドは信頼を回復しようと必死になるが……。
「……ちがいます。るどはおへやにいません」
ますますセイディから疑いの目で見られてしまった。
ジェラルドなら分かってくれると思ったのに。純真な瞳にそう訴えられて、ジェラルドは心を抉られていく。
「すまない。部屋にあるもの、部屋にある……そうか、クマのぬいぐるみだな?」
「……ちがいます。るどはわかりませんか?」
「ぐぅっ……わかる、わかるとも。あと少しだけ待って欲しい」
可愛くも残酷な番に追い詰められていく息子を遠目に見守って、若い二人の残念なやり取りに耳を傾けていた夫妻はどちらからともなく顔を合わせて頷いた。
「この子たちは大丈夫だよ。きっと戻るさ」
「えぇ。セイディちゃんの成長ぶりは目を瞠るものがあるわ。これからが楽しみね」
「うんうん。シェリルといれば、どんどん淑女らしくなっていくし」
「あら?レイモンドといても、どんどん立派な勇者になるわ」
「……その件はすまないね」
「嫌味じゃないわよ。楽しそうでいいと思うわ。それに領地に連れ帰るなら、もう社交のことなんて気にしなくていいのだもの」
「それもそうだが。親としては立派な大人に育てたくはなろう?」
「そうねぇ。母親としては素敵な淑女になればと願うわよ。でも嫌がるならさせていないわ」
「シェリルは優しいからね」
「まぁ、あなただってそうでしょう?ふふ。頑張ってお勉強をする姿があまりにも可愛いものだから。こちらもつい力を入れてしまうのよねぇ」
「シェリルの真似をするセイディちゃんは一段と可愛いからね。それもシェリルが世界一可愛いからだ」
「まぁ。うふふ。レイモンドも世界一素敵よ」
となんだか話が息子たちからすっかり逸れて、熱い視線を交わし合う二人であったけれど。
さすがにこの場では、話題の戻りも早かった。
「あとの処理はしておくから、君はセイディちゃんと楽しく過ごしていてくれるかい?種は蒔いて来たんだ」
「私だって何かしたいわ。香油の件の指揮は任せてちょうだい」
「いやぁ、君が出なくても大丈夫だよ。あれは危ないものだし、彼らも動きたがっているからね?」
「息子は忙しいでしょう?だから、私が指揮をするのよ。ふふ。私がまとめた方がよーく動いてくれるわ。ねぇ、トット?そうよね?」
「……大奥様の仰る通りにございます。ですがひとつお願いが」
「分かっているわよ。あなたたち全員に息子たちから離れろとは言わないわ。それぞれの役割も知っているもの。だから差配はこの私に任せて頂戴ね?」
頭を下げたトットは、すぐさま姿を消していた。
されど去り行く前にはしっかりと必要な聴こえぬ声を残していく。
彼はジェラルドの侍従だから。
──セイディさまは、大奥さまのお部屋にておやつの時間を過ごされたあとに、お代わりはすぐに食べずに我慢して、そちらの絵を描かれておりました。必死に我慢をして描き切ったそのお姿はまさに勇者の名に相応しく、一同感動に咽び泣いたほどに、それは素晴らしいものでしたよ。
今は余裕のないジェラルドは諸々のおかしな点は聞き流して、ついにそこへと到達した。
「そうか!プリンか!」
ぱぁっと輝くように笑うセイディを見ていれば、ジェラルドの心もまた隅々まで明るい光に満ちていく。
「せいかいです!るど、すごいです!よちよちしましゅっ!」
セイディに褒められ、喜ぶジェラルドであったが。
──己、プリンめ。お絵描きでも先を越されるなど……今に見ていろ!
プリンへの苛烈な嫉妬心は忘れず抱いた。
喜びに夢中になっていたせいだろうか。
セイディの手からはらりと落ちて。
ちょうど侍女長が開けた窓から入って来た柔らかい風に乗り。
ひらり、ひらりと舞っていたそれは。
床に落ち着くことなく、乱れた部屋から忽然と姿を消す。
セイディはそれに気付かず声を張り上げた。
「るーす、せいでぃがんばりましたから、ごほうびのぷりんです!るどもせいかいしましたから、ごほうびのぷりんです!」
もうセイディの頭の中は、ジェラルドの憎きライバル、プリンでいっぱいだった。
そうしてセイディが再びそれを思い出したのは、この日の夕食のこと。
額に入れられ壁に飾られた絵を見たセイディは大興奮で……。
「がはくせいでぃでしゅっ!」
画伯セイディによるお絵描きブームの到来である。
それは勇者セイディによる魔王討伐と共に日課へと組み込まれ。
もう一人の画伯と、仲間の剣士と共に。
セイディの日常は続いていく。
それは番であるジェラルドの日常。
これからも二人は共に────。
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