91.理解出来ない使い道


「王女について考察する前に。まずはこの香油への理解を深めよう。この使い道が君には分かるかな?」


 ジェラルドは小瓶を見詰め、しばし考えてはみたものの。

 たった今聞いたその効果をとても悍ましいものとしか捉えられず、その使い道としていい意味は浮かんで来なかった。


 ならば悪用するためか?と考えたところである。


「隣国では裏で流通していると言ったが、何もそれは裏で生きる者たちが使っているのではなくてね」


 ジェラルドの思考を読んだように、ちょうどいいタイミングでレイモンドはそう言った。

 それでジェラルドは、余計に分からなくなってくる。


 表で生きる者が、何のために番を知る者の特性を抑えようというのか。

 やはりジェラルドにはその目的が嫌がらせの類しか思い付けない。


 番を知る者の尋問時などにはおおいに利用出来そうだと考えるが……。


「多くは自分が使うために購入しているそうだよ。この原油を薄めて、他の香油とブレンドする使い方が一般的だということだ。王女もそのように使っていたね」


「自分のため……?隣国の者たちは、自らの意志でこれを使っているということですか?」


 信じられない気持ちでジェラルドは聞き返したが。

 レイモンドの方は、そう驚くことではないといった様子だ。


 同じ番を知る者なのにどうして?とジェラルドは父親を信じられない気持ちで眺める。


「君が分からないのは仕方がないと思うよ。君は幸運なことに、そのときが短く、それも幼いうちに済んだからね」


「……番と出会う前ですか?」


「あぁ、多くは番を知る前に使っている。私にも少なからずそうしたいと願う記憶はあるよ。だが君は覚えていないのだろう?」


 確かにジェラルドにそれは思い出せなかった。

 番を知る者として生まれた者が、必ず持つことになる不幸な時。


 番を知る者は、番と出会うまで色のない世界に閉じ込められた。

 何をしても楽しくないし、何もしたくないとさえ思う。

 けれども番を探すために、ここではないどこかへ行きたい、人の多い場所を移動したい、そういう衝動だけは強く抱え続けるのだ。


 それが自由に動ける身にある者であればまだいい話で。

 だが多くの人はそうではないから。


 番と出会うまでのこの衝動を抑えたいと希望する者は多くいた。


 ここで例の消臭剤を用いても、何ら意味がないことは分かるだろう。

 自分の香りが消えるだけで、相手から見付けて貰えなくなるだけ。

 これでは番に出会うまでに抱える衝動をいつまでも抱え続けることになる。


 だがここでこの香油を使えばどうか?


 番を知らない者にはただのいい香りでしかないそれは、番を知る者には人格まで変わったように錯覚させるほどの効果があった。

 本能的な欲求が抑制されることで、出会う前の鬱々とした日々が、たちまちに色付いたように感じられるのである。


 だがそれだって実は番を知らない者に届くほどの色付きではないのだけれど。

 香りを嗅いだって、何かに強い興味を持つことは出来ないし、やはり番と出会うまではそれほどに楽しくは生きられない。


 でもそんなことは、番を知る者には分からないから。

 

 香りのおかげで少しでも日常が楽しく変われば、すると今度はどうなるだろう?


「依存性があるというのですね?」

 

 そう、番を知る者は、香りへと依存することになる。

 より楽になるものに縋りたくなるのは、番がどうこうを前に、人間の本質ではあるまいか。


「そういうことだ。だから隣国でも表では禁じながら、裏でどれだけ流れようとも見て見ぬふりを続けているのだろう」


 何かに依存した人間は、時に国にも手に負えないものとなる。

 ただでさえ番を知る者の本能的な衝動は強いものだから。

 香油でおとなしくなるのであれば、与えておけ。


 こうした隣国の王家の意図を予測して語ったレイモンドは、さらにそこに自分の想いを加えてみせた。


「この対応はまずまずだよ。裏で取引してまで手に入れて依存したくなる気持ちが、分かってしまうからねぇ」


 父親がこのように言うほどに。

 そこまで辛い時間だったかと、ジェラルドは素直に驚く。


 記憶にも残らないほどにそれが短く済んだジェラルドは幸運であろう。

 だがその後に続く十年間を思うと、誰もがジェラルドを幸せ者だとは言い難い。


 だがジェラルドを越えて幸運だった者があった。


 ジェラルドの番のセイディだ。


 彼女は生まれてまもなく、番を知ったのだから。

 

 それは神に選ばれた子どもとして周囲から崇拝されていてもおかしくないほどの幸運だった。


 しかしジェラルドと同じく。いやそれ以上に。

 セイディもまた十年も辛い日々を過ごし、今となっては誰も彼女を幸福だと語る者はない。


 最上の幸福を与えて奪い、また与える。


 これも神の悪戯だろうか?

 それとも特に誰の思惑もなく、現実とはこのように無慈悲なものか。


 だがひとつの希望は。

 二人ともに、辛い十年があったからこそ、今の幸福を以前よりずっと幸せなものとして噛み締められる。


 セイディに関しては、まだ番としての幸せを知っているかどうか、それは分からなかったけれど。

 しかし今の彼女が幸福を感じていることだけは、間違いない。






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