86.そしてそれは奪われた
「気持ち悪いわ」
王女がその場でぼそりと呟けば、大事となった。
急いで城に連れ戻された王女は、医者に全身を診られ、よく分からない薬を飲まされ、それから眠った。
だが目覚めても王女の気分は晴れないまま。
頭の中に、あの笑顔がこびりついている。
「気に入らないわ」
兄たちにどうにかして貰おう。
王女はいつも通り一番上の兄の元へと急いだ。
この兄が兄たちの中でもっとも人を動かせる力を持つことを、もう王女は知っていたから。
さらなる権力を持つ両親は、王女に甘い人たちだったけれど、忙しい人たちでもあった。
だから王女にとっての両親は、最後の最後に泣き付く場所。
駆け足で部屋に飛び込んだ王女は、兄の顔を見るなりそのお願いをした。
それしか気分の悪さを晴らすことは出来ないと考えていたからだ。
「え?駄目駄目。彼らは駄目だ。番を知る者はね、放っておくのが一番なんだよ。だから忘れようね」
何よそれ。
わたくしがこんなに辛いと言っているのに。
一のお兄さまらしくないわ!
不満を感じた王女は、この日は王太子の部屋でお菓子を食べることも拒絶して、その足で二番目の兄の元へと向かった。
こちらの兄はいつもと変わらない様子に見えていたけれど。
「そうなんだね。うんうん、姫は彼らを気に入らないと。姫の憂いがすべて払えるよう祈ろう」
二番目の兄の言葉に安堵しつつ。
王女はこのとき、何故かこれだけで満足してはいけないと感じたのだ。
そこで念のためにと、三番目の兄にも同じ話をしておくことにした。
「んーよく分からないけど。姫がそう言うなら、嫌な奴らなんだろうな。いいよ、言ってくれたら何でもする。あーでも兄上たちにも話したんだよね?それなら兄上が動くときに手伝うことにするよ!」
これで二人の兄が何とかしてくれるだろう。
王女はにこりと笑って、気分が晴れるときを待っていた。
ところが。
一向に良い知らせが入ってこない。
気に入らない。
とても気に入らないわ。
王女の癇癪を起こす時間が増えた。
あの幸せそうな笑顔が、絡みついているように何をしても頭から離れない。
すると心に真っ黒いものがどんどんと広がって。
それを王女は癇癪として発散するしかなかった。
ひとしきり部屋で暴れれば、それは兄たちへと伝わって。
すぐに彼らは王女を励まそうと会いに来てくれる。
「うんうん、辛いのだね。ほら、珍しいお菓子を持ってきたよ」
一番上の兄はいつも、嫌なことから気を逸らすことで、王女の機嫌を取ろうとした。
けれどもこの兄は、彼らの話をするとすぐさま考えることをやめるようにと諭してくるので、王女はもうこの兄の前でそのお願いを口にしてはいなかった。
「姫の憂いをすべて取り払うよう祈ろう」
二番目の兄にはお願いごとを続けていたが、この兄の答えはいつも変わらなかった。
記憶を辿らされた王女は、彼がいつも確証めいた言葉を使って来なかったことに気付く。
けれども二番目の兄がそう言えば、憂いは確かに払われてきたから。
嘘吐き!どうしてよ!
どうして何もしてくれないの!
余計に願いが叶わないことへの苛立ちが募り、王女の癇癪は酷くなる。
二番目の兄にも叶えられない願いなのだろうか。
それならば三番目の兄にはきっと何も出来ない。
王女はとうとう両親にも泣きついた。
それなのに両親は一番上の兄と同じような反応を示してくる。
もう誰もわたくしのお願いを叶えてくれないのね?
わたくしのことなんてどうでもいいんだわ!
あれだけ歩くことが好きだったのに。
今は外出する気分にもなれない。
ご機嫌を取ろうと、別荘に行くかと提案されても気乗りはしなかった。
部屋に籠り、多くは泣いて暮らし、定期的に暴れ、夜にも魘されるようになって、顔色はどんどん悪くなっていく。
本当に病気では?と心配された王女は、薬で眠らされる日も増えていった。
どうして?
ねぇ、どうしてよ?
早くわたくしのお願いを叶えて、お兄さま!
いつもなんでも叶えてくれたじゃない!
気に入らない。
気に入らないのよ!
あの子たちを引き離して!
そうしてまたしばらく時が過ぎた。
その日は突然にやって来る。
それを聞いた王女の気分は、瞬く間に晴れた。
とてつもなく長く続いた雨のあとに、広がる快晴の空の下で。
王女は急に出歩きたいと思った。
少しすれば悪かった顔色も良くなって、周囲は王女が健康になったのだと信じ喜ぶ。
そこには両親である王と王妃も含まれていた。
それからは頻繁に城の外へと出掛けた王女。
遠出もよく叶うようになったし、侍女に扮して一人で外を歩くときもある。
相変わらず楽しいことは少ない王女だったけれど。
時折耳に入って来る話はいつでも王女の心を満たしてくれた。
ふふふ。そう。
あの子は親にも捨てられたの。
ふふ。
あの子は病んでしまったのね。
そうよね。
番なんて獣みたいで穢らわしいわ。
わたくしはあの子たちを救ったのよ。
なんて素晴らしいの!
その晴れやかな日々にもまた終わりがあることを、王女は長く知らなかった。
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