83.記憶から引き出されたその日


 それは王女が重ねた多くの幼い日々のうちのたった一日の話だ。



 この日は外出を許されなかった王女は、つまらないと感じながら、城の中を歩き回っていた。


 騎士だけでなく侍女までも遠ざけて、一人黙々と歩く王女。


 城の中なら安全だろうという話で当時から王女の一人歩きは叶っていたが。

 こんなことだから、この日からそう遠くない未来に、侍女に扮した王女が一人で城の外へと出掛けてしまうようになるのだ。


 でもまだこの頃は。

 王女は侍女に扮して出掛けることを覚えてはいなかった。


 そうこのときはまだ。




 その日の王女もしばらく歩き続けると、やがて疲れた。


 そこで王女は、きょろきょろと辺りを見渡して誰も自分を見ていないことを確認すると、適当な部屋に忍び込んだのである。

 城には使っていない部屋があり過ぎた。


 部屋に入った王女は、ここで休む以外にも何かしようと思い付く。


 王女は大きな扉付きの家具の中に、身を顰めることにした。

 掃除係の侍女たちを驚かすことに決めたのだ。


 城では使っていない部屋も使用人らの手によって毎日ピカピカに磨かれている。

 城内をよく歩き回っていたことで、幼い王女はそれを把握していた。


 だが興味が続かない王女だからか、それともただ幼かったせいか。

 王女は侍女が来るのを待ち切れず、そこで眠ってしまう。


 このまま夜中まで眠るようなことがあれば、城を上げての大騒ぎになるところであったが、王女は少しして目を覚ますことになった。 


 複数の人の声を聴いたから。



 どうやらその部屋は、当時侍女たちの息抜きの場所となっていたようで。

 明らかに彼女たちは仕事を放棄しお喋りに興じていた。


 もしもこのとき王女が家具から飛び出していたら、彼女たちは仕事を失っていたこともあろうか。

 けれどもそうはならなかったのだから、彼女たちこそ神様の祝福を受けていたのかもしれない。

 発覚して十数年も過ぎていたおかげで、このとき話していた侍女が誰かという調査もなされずに済んだことを思えば、やはり彼女たちは幸運である。



 ひそひそ声でもないそれは、家具の扉越しにも幼い王女の耳によく届いた。



『ねぇ聞いた?アルメスタ公爵家の話』


『当然よ。みんなその話で持ち切りだもの。あのお歳で番に恵まれるなんて凄いわよね』


『しかも二代続けてでしょう?アルメスタ公爵家は神様の祝福でも受けたのかしら?』


『でも王家にとっては残念でしたわよね。降嫁先として最有力候補でしたのに』


『むしろ早くに見付かって良かったのではなくて?結婚してから見付かっていたら、目も当てられないわ』


『まぁねぇ。番は特例となるし?』


『王女殿下相手でも特例となるのかしら?』


『過去には王族に特例が通ったこともあったそうよ。確かそのときは……王弟殿下の婚約者様の方が番を見付けられたと聞いたわ』


『まぁ、それじゃあその王弟殿下は捨てられたのね』


『仕方ないわよ。番ですもの』


『縋っても虚しいだけよね』



 最初にどんな目的を持ってここにいたか、話に聞き入る幼い王女はもう忘れてしまっていた。

 どうせ適当に思い付いた目的であって、心からのそれではない。


 掃除を終えて部屋を出ていく侍女たちを隠れたまま見送った王女は、棚から出ると首を捻って考えた。


「こうかというのは、わたくしのけっこんのはなしよね?アルメスタ?あの子のことかしら?つがいをみつけた?つがいってなにかしらね?」


 確かに侍女たちが話していたように、アルメスタ公爵家の嫡男であるジェラルドは、王女の降嫁先として最有力候補の相手だった。

 そして二人は当時すでに顔見知りである。


 だが実は早々に降嫁の話は立ち消え、二人の縁は続いていなかったのだ。

 掃除を担当する侍女たちは、城では下位の存在だから、二人の顔合わせ後の話を聞いていなかったのだろう。


 もし王女が気に入れば……という話で整えられたアルメスタ家との茶会。

 そこにやってきた男の子は、不貞腐れているのか、照れているのか知らないが、始終暗い顔をしていた。

 それなりに綺麗な顔はしていたけれど、王女からすれば兄たちの方がずっと優れて見えた。


 常に可愛がられてきた王女がそんな男の子に惹かれるはずもなく。


 王女に興味がないと分かれば、親もその話をしなくなった。



 だからこの日までその男の子の存在を忘れてきた王女。



 けれども侍女たちの話を聞いてから、俄然興味が湧いてきた。

 これは当時の王女としては大変珍しいことである。




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