75.国王の子どもたち

 再び王太子が第二王子の部屋を訪問するまでに十日も過ぎた。


 十日前とは比べられないほど顔色を悪くして、目の下に深いくまを刻んだ王太子は、足取り重く部屋の前までやって来たあとに、しばらく動きを止めていた。


 毎日届けられる資料。

 積み重なっていく事実。


 アルメスタがあえて少しずつ情報を提供していることは、悪感情に疎い王太子でも気付いていた。


 怒らせてはいけない者たちに何故手を出した。

 国王は毎日嘆き頭を抱えている。


 王太子の前ではいつも先を歩む者として凛々しく振る舞ってきた父親のこうも弱弱しい姿を連日見せられている王太子は、では自分がどのように動けば尊敬する偉大なる父の姿をまた目にすることが出来るのか、想像することも出来なかった。


 王が嘆いたところで、後回しにされる仕事は積み上がっていくばかり、アルメスタから届く書類だって減るわけもなく。

 正直なところ、今は嘆いていないで働いてくれ、ということくらいしか王太子には考えられなかった。

 王にそのような非難めいた気持ちを持ったことも、王太子としては初めての経験である。


 そんな状況であるのについに今日は、体調が優れぬと嫌な役目を押し付けようとする父の知らなかった一面まで見せられてしまった。

 まだまだ早いと息子には極一部の権限しか渡さなかった男が、この局面で急に「立派に成長したな。頼りにしているぞ」と言ってきたのだ。


 そんな父の人間らしい側面など知らずに代替わりを果たしたかったものだと、王太子は心からそう願った。


 だがもう知ってしまったあとには、知らなかった頃には戻れない。



 ──父上は王として終わりだろうか。



 そこまで考える事態に発展していることは、王太子とて理解せざるを得なかった。

 

 王太子はまた、これから王になる自分がかなり厳しい状況に置かれることをよく分かっている。



 もう事実を見ないようにして、あるいは捻じ曲げて、誤魔化せるときではない。

 問題を丸投げ出来る存在もいなくなった。


 王太子が心を決めて部屋の扉を叩けば、すぐに中から扉が開かれた。


「兄上、お久しぶりですね」


 歳の近い弟からの明るい笑顔の出迎え。

 何ら以前と変わらぬその表情に、感じるものがあった王太子は言葉を忘れてまじまじと弟を観察してしまった。


 その室内に下の弟と妹がいることは、すぐに分かった。

 明るい話し声が響いてきたからだ。


 いつもなら微笑ましく彼らを見守っていただろう。

 自分も仲間に入れてくれと、菓子をたんまりもって部屋に入ったはずだ。


 だがそれもここまでなのか……。


 王太子は一度目を閉じ、幸せな日々をその脳裏に焼き付けてから、口を開いた。


「聞きたいことがある」


 それでは二人には席を外させますね、と第二王子が弟たちに退室を促そうとするのは王太子が止めた。


「三人ともに聞きたいことがあった。呼ぶ手間が省けていいんだ。ここで全員から話を聞いて構わないな?」


 そうは言ったが、王太子は三人がこの部屋に揃っていることを侍従から聞いて知っていた。


 集まって楽しく過ごす時間の貴重さ。

 これを思った王太子は、呼び出すのではなく、あえて自らここに来ることを選んだのだ。


 最初に第二王子の部屋を訪れたときには、まだ疑って申し訳ないという気持ちがあって、そのときもあえてそうした。

 だが今は違う。


 本当ならばもう拘束して呼び出す段階に入っている。

 けれどもまだ、そうしたくない気持ちがどうして捨てられなかったから。


 だがそれだけではない。

 自分はおそらく、しばらくは今のまま自室を使い続けることになるだろう。

 そこに嫌な記憶を残したくない、という父王に似た弱く甘えた側面が、この部屋に彼の足を運ばせたのだ。


 父親がどうかは分からない。

 だが王太子には、この己の弱い部分を直視する強さがあった。

 それはまだこの国の希望と言えたであろうか。


 これからこの国が如何様に転んでいくか、それが自分の一挙手一投足に委ねられてしまったことを正しく理解出来ている王となるのだから──。

 少なくとも現王のように、嘆くだけで動かない王にはなるまい。



 それもこのまますんなりと彼が王になれたなら──の話だが。

 それすら分かってこの部屋にやって来ている王太子であった。




 王太子はふーっと息を吐き心を整えてから、部屋に入った。

 扉をそっと閉めた第二王子は、静かに兄の後を追い掛けていく。



 王家の兄弟たち四人全員が第二王子の部屋に揃った。









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