閑話 まおうさまおしえてください(雨の日の勇者と魔王①)


 しとしとと朝から雨が降り続いていたその日。


 王都の公爵邸の廊下に先ほどから響く声──


「ふははは!その程度の力でこの魔王を倒せると思ったか!」

「ゆうしゃはまけません!まおうをやっつけます!えい、やぁ!」


 ──を聞く外の者があったなら、それは幻聴として処理されたに違いない。

 あるいは王都の公爵邸には何か出ると囁かれていたであろうか。


 

 やがて声が静まると、「さぁ次はおやつの時間だね」と優しく言った魔王は、勇者の小さな手を取り廊下を歩み始めた。


 これはそんな魔王と勇者が、目当ての部屋までの移動の間に交わした言葉の記録だ。





 ちょこちょこと歩きながら「きょうはあめです。とっとのたちなみです」「あしたのてんきは……たいへんです。おそらがみえません。まどがしろです」と雨粒に打たれ続ける窓を見て呟いていた小さな勇者は、あるところで魔王の顔を見上げると問い掛けた。

 きっと急に思い出したのだろう。


「るどはあるじさまです。おかあしゃまはおおおくさまです。おとうしゃまはおやかたさまです。せいでぃはせいでぃでせいでぃさまです。つがいさまにもなります。なにがちがいますか?」


 とてもゆったりとした勇者の声のあと。

 

 広がったどよめき。そして直後の拍手。


 一体どこから……?


 と、またしても色々な面で疑いを持ってしまう公爵邸にあるまじき音が響き渡るも、雨音と無駄に広大な庭は、外部の人間にそれを届けなかった。これは救いである。


 救われたのは、もちろん外部の人間のことだ。



 さて、拍手は続く。

 内部の人間は誰一人疑問を持っていないらしい。


 セイディさま、さすがです。

 よくぞお気付きになられました。


 どこからかそんな声をいくつも聴いたセイディは、ふふんと胸を張ってまた先代公爵レイモンドを見上げて言った。


「おとうしゃま?おしえてください」


 もしかすると、ここで気が付いてしまったかもしれない。

 セイディは落ち着いて話せば、ちゃんと『さ』を言えるようになっているのだ。

 それなのに『おとうしゃま』呼びは続いている。

 

 誰も本人に指摘しないせいではあるが、誰が指摘せぬよう言い含めているかについては今は流そう。



 使用人らと同じく、私の娘はなんて賢くて可愛いのだと感動していたレイモンドは、にこにこと微笑んでセイディの頭を撫でた。


「凄いねぇ、セイディちゃんは凄いんだねぇ」


 でれでれに頬を緩めたその表情は完全に父親のそれ。

 だがその外見は魔王そのもの。

 頭にはぴかぴかと冠が輝いているし、どうなっているのかその頭から二本の角も生えていて、肩からは漆黒の闇を纏うマントが翻っていた。


 そしてレイモンドに手を握られたセイディの空いた手にも。

 立派な、それでいてとても軽い剣が、力強く握り締められている。


 外部の人間はこの屋敷にもう何年も近付かない方が良さそうだ。

 しかしこれが広い庭でも連日行われているものだから……もうおかしな噂話は広がっているのかもしれない。


 えぇもう広がっておりますよ。広めましたからね。かえって近付く者が減ってこちらとしては有難いのですよ。それにまもなくセイディさまのはじめてのお引越しが控えておりますからね。いい置き土産となりましょう。

 という聴こえぬ声は、聴こえぬのだから放置しておこう。


 あぁついでに。明日はくもりです。まもなくこの雨も上がります。あとでセイディさまと嗜みますけどね。

 そんな声も無視しておく。聴こえないからな。


「せいでぃはすごいです。すごいのでたくさんよちよちです」


 満足そうに目を細めて、ひゅんひゅんと剣を振り回す勇者はとてもご機嫌である。


 これでまたすっかり質問したことを忘れてしまったか。

 そう思いきや、意外にも頭を撫でられている理由を勇者はすぐに思い出した。


 子どもの心は移ろいやすいというけれど。

 大分遠回りしてから最初に戻って来ることもあるけれど。


 今日はそれがなかった。

 これも成長だろうか。


「あるじさまとおやかたさまとおおおくさまです。どうちがいますか?」


「そうだねぇ、セイディちゃんには不思議だよねぇ。うん、うちの者たちはおかしいねぇ」


 遠い目をしたレイモンドの脳裏に、かつての無駄な騒動の記憶が舞い戻った。



 あれはセイディが誘拐されて、しばらく経ってからのこと。

 レイモンドが公爵位を息子に譲ると決定した直後の出来事である。




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