56.じょうずにできました!

 木箱の中には花々が詰まっているだけに見えていた。

 だからセイディは喜んでジェラルドの顔を見上げたが、ジェラルドはそのままセイディを抱き締めて耳元で囁くことにした。


「セイディ。約束した通りにさよならをしよう」


「おにわはさよならですか?」


「帰ったら庭で沢山遊んだらいい。この箱のおにわとはさよならだ。上手に出来そうか?」


「できます!せいでぃはじょうずにできましゅ!」


 つい大きな声が出て、教会内の空気がざわっと揺れたが、それも一瞬。


 カツーン。


 何かが床を叩いたような音が響いて人々の声は止まった。

 


 ジェラルドはセイディを床に降ろすと、後ろからその両肩に手を置いて、セイディに先を促した。

 するとセイディは木箱にちんまりと両手を置いて、頭を下げる。練習の成果の見せ場だ。


「ありがとうございました。さようならです」


 多くのすすり泣く声が聞こえ、セイディは驚き振り返った。

 しかしそこにはジェラルドの身体しか見えないし、たとえジェラルドが身を離したところで、絹布の幕しか見えはしない。


 この場のなにもかもがセイディには経験のないことだ。

 若干不安になったのだろうか。

 セイディは顔を上げ、優しく微笑むジェラルドの瞳をじっと見つめた。


 ジェラルドはいつもの声色で語りかける。


「セイディ、こちらとこちらにも同じように頼めるか?」


「はい!」


 場に釣り合わぬ元気の良い返事に後ろから聴こえた泣き声も止まったが、セイディがまた同じようにお礼と別れの言葉を告げると、やはりすすり泣く声が生じるのだった。


 それぞれは一体誰のために泣いているのだろう。


 セイディはまだ「泣く」がよく分からない。

 ジェラルドの前ですでに何度も泣いているが、感情の発露に慣れないセイディは自分が泣いていることもよく理解出来ていなかった。

 そして周りの人間がこうして声を上げて泣く様子など見たことはない。

 セイディを見付け保護したときのジェラルドは間違いなく声を上げて泣いていたが、あのときのセイディはそれを観察する余裕もなかったはず。


 悲しいから泣くとか。

 悔しいから泣くとか。

 嬉しいから泣くとか。


 まだ知らないセイディである。


 愛しいから泣くことも知らない。



 軽い身体がふわりと浮いて、セイディの顔に安堵の微笑みが浮かんだ。

 そしてジェラルドの肩越しに見知った人を見付けると、セイディはついいつものように小さな手を振った。


 ふっと息を吐いたのは誰だったか。

 侍従はそっと周りから見えないよう配慮して、短い間に手を振り返した。


 アルメスタ公爵邸の日常の延長。

 そう思えたら、セイディは心から安心出来る。


 だからいつものようにジェラルドにぎゅっと抱き着いたセイディは、うっかり願いを口にした。


「ごほうびのとくべつなぷりんはいつたべますか?」


 そこで「うぅぅ……これからお話ししたいことが沢山ありましたのにっ」と少々大きめの嘆き声を漏らしたのは先代公爵夫人だ。

 棺の前でよよよっと倒れ込むようにして夫に肩を抱かれた夫人の姿は、絹布の幕の向こうにいる人々にはとても見えなかったけれど。


 声と雰囲気から状況を察したのだろう。

 女性たちのすすり泣く声が大きくなった。


 泣くなら今よ!と言わんばかり。


 おかげでジェラルドの返答はセイディの耳にだけ届けられ、セイディがベールの中で笑っていても誰も気付かない。




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