51.過去に追われる幸せな暮らし

 昼間は陽を浴び土に汚れて遊んだ。

 嫌いな野菜は避けつつも沢山食べた。

 大好きなプリンはもちろんおかわりもした。

 そして隅々まで綺麗にして貰った。


 だから今夜もいつも通り寝付きは素晴らしく良かった。

 ベッドに横になったら、もう寝息が聞こえていたから。


 それでも彼女には広過ぎるベッドがどんと置かれたこの部屋が真っ暗な闇に包まれることはもうしばらくはない予定だ。

 この部屋の眠り姫が眩しくないよう計算されて選ばれた一部のランプが、夜明けまで薄く灯っている。


 光の無い部屋は、セイディを過去に引き摺り戻した。

 それは夢も同じく、だからセイディは目を開けてほっとするのだ。


 ここに来るまで過ごしてきたどの家とも違う場所にいることがすぐに分かるから。


 隠された存在だったからだろうか。

 セイディの過ごす場所に灯りは用意されていなかった。



 けれども不安は完全には尽きない。

 孤独な夜の静けさもかつてを思い出す要因のひとつだから。


 しかしそれもすぐに霧散した。

 布団から出た肩に置かれた温もりが、あれは夢で、すでに夢から覚めていることを教えてくれる。



「セイディさま。お目覚めですね」


「そふぃあ」


 ほっとした声と共に霞んでいく視界に、セイディは戸惑いながら首を振った。


「大丈夫ですよ。ソフィアはずっとここにおりました。主さまもすぐに来てくださいますからね」


 上半身を起こして侍女長のソフィアにぎゅっと抱き着いたセイディは、しかし泣かない。


 この侍女長のソフィアには特別に懐いている様子を見せているセイディであったが、涙を零す場所はここに譲らなかった。

 だから今も、瞳を潤ませるだけ潤ませたのち、唇をきゅっと結んで耐えるのだ。


 足音が近づいてくる。

 夜分でも気にせずに駆けて来る人々。


 やがて扉が開いて、真っ先にジェラルドが中に飛び込んで来た。


 ふわりと香る臭いが強まったとき、セイディの瞳の奥にある防波堤は決壊する。


「ふぇえええん」


 泣き始めたセイディの身体は、さっと身を引いたソフィアに代わりベッドに半身腰かけたジェラルドが包み込んだ。


「よしよし、もう大丈夫だ。怖い夢を見たな。ルドがその夢を蹴散らしてやろう」


 悪夢は毎晩見るわけではない。

 だからジェラルドもセイディを寝かしつけた後には自室に戻るようにしている。

 番に対しての想いをジェラルド側は変わらず持っているからだ。


 されどこういう夜には、寝た後もずっと側にいてやればよかったとまた後悔するジェラルドである。


「ふぇっふぇえん。ひとりはいやです」


「うん、もう一人になることはないよ、セイディ。ルドがそうしないからね」


「るどといっしょです。ずっといっしょにいます」


「そうだな。ずーっと一緒だ。私がセイディを離さない」


 一人が怖ろしいことに変わったのは、セイディが人といることを知ったから。


 それは心の成長の証であって、こんな夜があることを悲観して嘆かなくていいと医者のカールは言った。

 しかしジェラルドは違う。


「くらいところいやです。でもべつのところにいくのもいやです。いたいのもいやです」


 闇を怖れることも、明るさを知ったから。

 痛みを避けたいと願うことだって、痛みのない暮らしが日常に変わったからだということになる。


 だからといって、ジェラルドはカールの言うようにセイディの変化を素直に喜んではいられない。

 

「痛いことはもうないよ、セイディ。このルドが、セイディを誰にも傷付けさせないからね。もうずっとセイディはここにいていいんだ。ルドと一緒にずーっとだ」


「うぇええん」


 えんえんと泣き出したセイディは、溢れる記憶に追い掛けられて拙い言葉で少しずつ過去を語った。

 この時間のジェラルドの複雑な胸中を心から理解することは、たとえ物分かりのいい侍従にも不可能なこと。




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